中学時代の恩師

中学時代の恩師(82歳)が香川県から上京され、教え子達に集合の命令が下ったので、昨日、楽しく歓談した。恩師のお孫さんは東京外国語大学2年生。残念ながら、タイ語専攻ではなかった。
 恩師の話し方は昔と全く変わっておらず、声も力強い。私の期を最後に、彼は丸亀商業高校へと転任され、野球部の監督として、丸亀商業を甲子園へと導かれた。野球部の選手の中にはプロ野球選手になって活躍した人もいる。
 恩師曰く、「小さな声でなんかやってられん。選手に向かって、ライト! レフト!と、両方に指示を出すには大声でないといけないんだ」
 それを聞いて、なるほど、と思った。恩師の話し方や声の大きさは、私の中にも大いに影響されている。さすが、恩師!
 健康のため、毎朝5時から丸亀城の周囲を一周しておられるそうだ。意気軒昂たる姿に、散歩中の犬達も飼い主も恐れをなして後ずさりするそうである。

タイ文字が読める高校生

今月から、「タイ語入門 土曜日12:30」のクラスに高校生が入会した。8月にタイの高校に留学する予定だそうだ。土曜日の午前中にも学校があるらしく、泰日文化倶楽部に到着するのは40分遅れの13時10分。そこで、その40分を穴埋めするために、授業後、私が補講してあげている。
 前回の第2回目にテキストの中のタイ文字部分を指導すると、しっかりとついてきて、あっというまに一人でも読めるようになった。私はびっくりした。そして、何と教えやすい生徒であろうかと感激した。
 それがまぐれではないことが、昨日の第3回目の授業においても実証された。彼は読める! またしても感激! タイ語の世界における”羽生結弦君”だ!
 大人の生徒にタイ文字を指導しても、なかなか覚えてくれない。ところが、高校生は説明しなくても読める。何だろう、この大差は?
 彼はすでにタイ文字の子音を覚えている。あとは『タイ語入門』に出てくる単語をしっかりと予習してきているらしく、タイ文字に対する好奇心も旺盛だ。
 ああ、来週の土曜日が待ち遠しい。彼にタイ語を教えることで、私は幸せそのもの。彼が泰日文化倶楽部に通って来る7月まで、私の喜びは続く….。

タイに会社を作った社長さん

1960年代に大手の日系企業がタイに進出したのが第一次ブームと言われているが、その後、1980年代に第二次ブームがやってきた。1987年の日・タイ修好百周年が契機となっている。そして最近の日系企業の数たるや、もうすぐ10,000社に届く勢いである。
 今月上旬、某会社の社長さんが泰日文化倶楽部におみえになられた。「2年前、タイに会社を作りました。片言でもいいからタイ語をしゃべりたいんですが….。プライベートで教えてくださいませんか?」
 それを聞いて、彼の願いは本物であると思った。
 「そうですか。わかりました。それでは、今月からさっそく始めましょう!」、と、私は応じた。
 そして、彼ののスケジュール調整の結果、今日19日がレッスンの初日となった。社長さん(66歳)は見るからに明るい感じの方なので、タイ人とは仲良くやっていける方だと思われる。タイ語が話せるようになると、タイ人達も社長を尊敬し、頑張って働いてくれるはずである。

24時間営業の書店

泰日文化倶楽部が入っているビルの隣りのビルの1階にはHISと書店が店を構えている。その書店は先月から24時間営業を始めた。以前は23時で店を閉めていたのに、24時間オープンとは!果たしてどのくらい客が夜中に本を買うのであろうか?
 昨晩、タイ人講師の助手をつとめようと思って、22時まで「タイ語入門 20:30」のクラスを手伝った。帰りに書店を覗くと、立ち読み客が数人いた。本が売れなくなったとはいえ、雑誌ならまだまだ売れるのではないかと思いながら帰宅した。
 家に着いた途端、携帯を教室に忘れて来たことに気づく。遅い食事をとった後、教室に戻ることにした。着いたのが23時17分。充電中の電話が鳴っていた。仕事の電話であった。用件を済ませているうちに午前1時半になってしまったので、教室に泊まることにした。
 そして、午前5時半、教室を出て書店の前を通りかかった時、果たして客は?….と思い、店の中を道路から見た。すると、客は全くいなかった。書店の事務員が店の奥のほうで、平積みにされた本を手に取り読んでいた。なかなか良いアルバイトだなあと思った。

最近の申込み状況

泰日文化倶楽部は取り立てて宣伝に力を入れているわけではないので、新しい生徒がわーっと申し込んで来ることはない。4月に入って、ぽつりぽつりと問合せがあるだけだ。その対応に応じるのは私の仕事だが、電話だけではあまりよく分からない。見学(1コマだけ無料)をお勧めすると、本当に見学に来られる方は70%程度だ。あとの30%の方達は、何故、来ないかというと、タイ語を勉強する曜日と時間がうまく合わないからだ。
 グループ・レッスンの曜日と時間が合わないということであれば、個人レッスンを選択するしかない。1時間半の授業で¥5,400(消費税込み)。高いと思われるかもしれないが、マッサージだと1時間¥6,000が相場だから、タイ語の授業を受講するほうが安いのではなかろうか。
 語学の勉強に限って言えば、お金をかけたからといって、急に上手になるわけでもない。グループ・レッスンで根気よく勉強し、学習意欲の持続をはかるかが肝心である。
 中級まで進むと、生徒達の心構えも定着し、よほどのことが無い限り、もはややめることはしない。やめてしまえば、これまでの努力が水泡に帰してしまう。つぎこんだお金と時間は戻ってこない。
 10年や20年、あっというまに過ぎてしまうものだ。20年を3回繰り返せば、60年となり還暦を迎える。だが成人するまでの20年間は、自分の人生があまりよく分からないものだから、意識的に生きていると明言できるのはそれから後の60年であり、長くて80歳までだ。
 ああ、人生はなんと短かいことよ。ぼやぼやとはしていられない。

上智大学グローバル学部

昨日から上智大学でのタイ語の授業が始まった。今年、新しい学部であるグローバル学部が新設され、私はそちらの傘下にある言語教育研究センターに所属することになった。
 初心者対象の「タイ語初級クラス」には、約35名の学生が出席したが、皆さん、タイのことを知りたいという気持ちが強く、これから始まる1年間が愉しい授業になるであろう感触を得た。
 そして、昨夕はグローバル学部に所属する専任教授・非常勤講師・職員達が初めて会合する懇親会が行われ、新学部の船出を祝った。
 その際、フィリピノ語もアラビア語も受講者がものすごく多いと聞いて、タイ語も負けてはいられないと思った。初めて開設されたのはスワヒリ語。果たして何人の学生が受講するのか興味深い。
 タイ語受講生の中には、今年も帰国子女が入っていた。彼らに対する授業は、初めてタイ語を勉強する学生に対する授業とは少し変化をつけて指導しなければならない。何故ならば、すでにタイの空気だけはよく知っており、タイ語も少しは話せるからである。

10年前の生徒 & 20年前の生徒

1週間前に、「私、10年前の生徒のMOです。先生、覚えてくださってますか? 来週からバンコクで働くことにしました。不安が半分、ワクワク感が半分ですが、乗り出した船ですから、バンコクで頑張ってみます! 亡き母と先生をだぶらせて、メールを送りました」という内容であった。
 私はすぐに返信し、「意気軒昂たる精神で、頑張ってください」と書いた。
 彼女は、「泰日文化倶楽部での2年間がとても楽しかったです」という言葉で結んでいた。今頃は、タイの大らかな空気に包まれて、楽しく仕事を始めておられることであろう。
 ところで、昨日は、20年前の生徒の来訪があった。「もう60歳です。そろそろ定年後のことを考えて、またタイ語を始めたいと思っております」と、彼は言った。
 若いと思っていた彼もすでに還暦! 一緒に勉強していたクラスメートはすでに83歳に達しておられる。
 お世辞かもしれないが、「先生、20年前と少しも変わりませんね」と、彼は言ってくれた。
 私はすかさず言った。「是非、来週から勉強にいらしてください!」

電車の中で会ったタイ女性

一昨日、アジア・アフリカ語学院へ行くために、新宿から中央線に乗った。たまたま席が空いていたので、これ幸いと思い座った。ところが左隣りに座っている女性が化粧を始めた。新宿から荻窪までの12分間、マスカラでまつ毛を塗る動作がうっとうしくてたまらない。降車駅である吉祥寺までもう少しだから我慢しようと思った矢先、隣りの女性が私に話しかけてきた。「八王子はまだですか?」
 その口調を聞いて、日本人ではないことがすぐにわかったので、「どちらのお国の方ですか?」と尋ねると、「タイです」と、彼女は答えた。
 それを聞くや否や、「サワッディー・カ」と私はすかさず言った。そして、先ほどの不愉快さは忘れ、吉祥寺に着くまでの5分間、タイ語でしゃべった。
 「八王子にあるタイのお寺に行きます。明日13日がソンクラーンだから、お参りに行くのよ」
 なるほど、それはいいことだと思った。20年、東京に住んでいるそうだ。名刺をくれた。姓が日本人の名前であった。名前の後ろの括弧にタイの愛称を書いていた。その愛称は、泰日文化倶楽部の先生と同じものであったので、思わず苦笑した。

アジア・アフリカ語学院の新校舎

昨日、三鷹市新川にあるアジア・アフリカ語学院へタイ語を教えに行った。「アジア・アフリカ諸語祭」が有ったからである。校舎が新設されてから初めて行ったので、建物がどんなものであるか、とても楽しみであった。
 1階と2階の一部が三鷹市の南部図書館になっており、2階と3階がアジア・アフリカ語学院であった。教室の中はすべてが新しく、とても気持ちよく授業が出来た。
 ところで、私のもう一つの期待は、この新校舎完成にあわせて鋳造された菊地三郎先生(創立者)の胸像を拝顔することであった。先生のお顔は在りし日のお顔そのものであり、実におだやかであった。この世に紳士はたくさんおられるかもしれないが、私の眼から見た男性の中で紳士と言えるのは、菊地三郎先生お一人である。
 先生はアジアやアフリカの諸言語を日本人に学んでもらいたいと強く思われて、1961年、アジア・アフリカ語学院を創設された。私は1976年からここでタイ語を教える機会を持ったが、菊地先生のアジア・アフリカ諸語を広めるという熱意は私の体の中に埋め込まれた。「言語を学ぶことは、武器よりも力を発揮する。平和を築くために言語を学ぼう」という先生の精神。とても崇高である。

アジア模様の洋服

東京は桜が終わり、サツキの花が咲き始めた。ハナミズキも美しい。昨日は、ハナズオウという花を見つけた。花爛漫なり!
 2日前の木曜日は天気予報で24度位になると聞いたものだから、アジサイ色の洋服を着て出かけた。だが、夜10時過ぎに泰日文化倶楽部の教室を出ると、夜の街は寒かった。
 幸いにも馬喰町の問屋街で買った洋服を持っていたので、すかさずはおった。その洋服にはタージマハールを模した小柄模様が連続してプリントされている。5月~6月に着るのが一番適切な服なので、これを一枚はおったところで寒さが解消できるわけではないが、暑い国インドに関連した模様だから、気分だけでも持ちこたえられた。
 私の場合、タイで買った象の模様の服が多い。だが、気分を変えてもう少し西に飛んだインドも決して悪くない。アジア諸国の代表的な模様がプリントされた服。早く気候が安定し、いろいろな色、いろいろな模様を楽しみたいものだ。