神田川日記(14)

たちつてとの歌
楽しいこと まだまだ有るよ地球の果てまで行ってみようつくづく思う 人生の妙天の恵みに感謝しつつとうとう到達 よわい90歳
なにぬねのの歌
七十歳(ななせ)の坂越えに入院坂が立ちはだかるぬくぬくとした毎日念仏を唱えるにはまだ早い望みを持って 今日もリハビリ
はひふへほの歌
はるかなる海原広々とした碧空ふと我が人生をふり返り平安なるかな本当の人生の仕上げにいざ入らん
まみむめもの歌
まだまだ入院 カーテンの中みんなそれぞれの苦痛に耐える日々むなしいとは思うものか目指すは退院もうすぐ社会復帰だあ

神田川日記(15)

やいゆえよの歌
辞め時 退き時いろいろと考えるがゆとりある人生にはエンドレスで働かざるを得ないよーし 吉川 もうひと踏ん張りだあ
らりるれろの歌
ランランランと歌いながらリズミカルに過ごせる日はいつかしらルンルン気分に早くなりたいなあ連日のリハビリ 労多くして遅々たる効果
 五十音の歌が終わった。さて、どうしよう。そうだ、今度はアルファベットの歌にしよう。

神田川日記(16)

The Song of ABCDE
Ability is still within me Being strong is important Changes must be done for future Days of damages are also meaningful Energy may come back and leads me to joyful life
The Song of FGHIJ
Fullfillment should be done in the last stage Grace and generosity are always required Health helps human being happy Intelligence makes me aware the meaning of life Joyness is coming soon with light
The Song of KLMNO
Knowing is necessary for better life Living should be kept on with highly mind Meeting various matters would be null Nothing is desired more than now One thing unforgettable is my presence on the earth

神田川日記(17)

The Song of PQRST
Punctuality leads perfect pace of life Quality must be required for nice living Recovery is assured day by day Sensitivity and stability are also demanded always Toughness of mentality is my treasure absolutely
The Song of UVWYZ
Uncertainty appears unknowingly Various trials should be overcome Who can fight is the winner in the end Yesterday is yesterday Zenith of my life is still ahead
アルファベットの歌もあっというまに終わってしまった。次はタイ文字順(例:กขคฆง)で詩歌を作ってみよう。

神田川日記(18)

 タイ語の文字配列順はサンスクリットやパーリ語と同じである。日本語のア行を一番うしろに回せば、あとはカ行、サ行…..といったふうに、日本語と同じ配列になる。これは明治時代の国語学者が、<いろはにほへと>から、<あいうえお>に変換させる時、参考にしたのが梵語(サンスクリット)だったからだ。
บทกวี ของ กขคฆง (カ行の歌)
กำลังกายกับกำลังใจสำคัญมาก(体力と気力はとても大切)
ขอให้มีเพียงพอสมควร(どうか十分に与えたまえ)
ความเป็นอยู่ย่อมมีความหมายมากมาย(生活には当然多くの意味を持つべし)
ฆ่าเชื้อฆ่าศัตรูให้ได้(菌を殺そう 敵をやっつけてしまおう)
งานคือเงิน เงินคืองาน งานกับเงินเป็นพี่น้องกัน(仕事=お金 お金は仕事と直結 仕事とお金は兄弟なり)
 

神田川日記(7)

私が入院して3日後に、大きな声で話をするおばあちゃんが入院して来られた。御年を尋ねると、何と101歳! それだけを聞いただけで、おばあちゃんのおしゃべりの声をゆるすことにした。このおばあちゃんに感心したことが二つ有る。一つは、彼女の趣味のこと。80歳から始めた編物はかなりお上手。病院内でも自分で編んだベストを着て、ベッドの上でひ孫さんのために帽子を編んでおられた。
 そして、もう一つ驚いたことは記憶力が抜群であること。関東大震災の時、小学校1年生であったらしく、その時の話を聞かせてくださった。
 最近のお見舞い客は、脳トレ用の本を次から次に持って来ているみたいだが、脳トレをしても、皆さん、さほど効果が無さそうで同じことばかりしゃべる。1916年生まれの101歳のおばあちゃんのほうが手先も器用で、頭もはるかにしっかりしておられた。そして、私よりも先に退院して行かれた。

神田川日記(8)

スーパーで白菜の葉っぱに足を乗せて滑って転倒し、背骨を圧迫骨折したおばあちゃんとは一番たくさん話をした。彼女はご自分のことを80歳だと数え年でいつも言っていた。「私ね、新宿の小学校の時、美空ひばりと同級生だったのよ」と昔語りを始めた。なるほど、ひばりさんが生きていれば80歳になるというわけだ。このおばあちゃんにもチャキチャキ娘の時代が有ったはず…..。
 或る日、その彼女のところに長男と次男のお嫁さんが二人そろって、お見舞いに来られた。お花と脳トレの本を持ってだ。
 「こちらの嫁はバンコクに10年住んでいたのよ。タイ語もできるわよ」と言うので、私は長男のお嫁さんに向かってタイ語で話しかけた。日本に本帰国してからもう7年が経過しているというけれど、彼女のヒアリングの力は大変に良かった。彼女は義母に向かって、「タイの方かと思ったわ」と私のことを言った。まさか病室でタイ語で会話するとは! しばしストレス解消になった。

神田川日記(9)

入院して10日が過ぎた頃、一人のおばあちゃん(大正14年生まれ 92歳)が息子さんに連れられて自宅へ帰って行かれた。この方は原節子さんのように美しかった。寝たきりでほとんどしゃべらなかったが、息子さんとはスムーズに話すことができたので、さすが親子だなあと感心した。
 そのおばあちゃんのベッドが空いたかと思いきや、すぐにまたしても美しい老女が入院して来られた。この女性の言葉たるや、ものすごく上品であった。実際は89歳なのに、「私は92歳」と言い張ってきかなく、次に話した時には「94歳」と数字がエスカレートしていった。
 最初の夜、彼女は「ここはどこ? 灯りをつけてくださいな」と何度も言った。すると、窓際にいた88歳のおばあちゃんが、「はいはい、つけました」とおろおろしながら応じる。しかし、それは彼女自身のベッドの灯りであった。その会話が夜中の1時過ぎまで続いた。私は二人の老女のうろたえぶりを見て、ベッドの中でくすくす笑ってしまった。

神田川日記(10)

 夜中におろおろする老女達を見た私はナースコールを押して看護師を呼び、状況説明をした。すると、看護師に一喝された。「ここは大部屋です!」 それ以来、何事が有ろうとも看護師には伝えないことにしようと思った。
 ところが、朝になって、看護師から次のように言われた。「皆さん、腰を痛めているのですから、ベッドを出てむやみやたらに歩いてはいけません。吉川さん、この部屋の皆さんが歩かないように見張っててください」
 かくして、私はこの大部屋の級長を仰せつかることになった。
 入院生活は全く退屈しなかった。リハビリも順調に進んだ。最初、ピックアップ歩行器をあてがわれた時、重心をくずしてしりもちをついた。あわててギプスをはめた右足だけは高々と上げて、意識してかばった。しばらくの間、トイレに行くたびに看護師かヘルパーさんの見守りがあったが、やがて、歩行器から松葉杖へと段階的にうまく使えるようになった。私の体に「こうしてはいられない」という気合のスイッチが入ったのを、リハビリの先生はめざとく見抜いたようである。

神田川日記(11)

実を言うと、私はラーマ9世の御葬儀の取材に行こうとして、スーツケースには黒色の洋服ばかりを詰め込んでいた。バンコクでは元タイ人講師が私のために誂えたタイ式の喪服が待っていた。予定では10月24日の早朝、スワンナプーム空港に到着して、そのまま王宮前広場から1キロばかり離れたホテルに投宿し、周辺を下見した上で、25日から26日まで王宮前広場近くの片隅でプミポン前国王の御棺に合掌しようと思っていた。だが、タイ行きは骨折であえなく頓挫した。
 だが、その代わりに、元タイ人講師がバンコクからどんどん映像を送って来てくれた。留守を守ってくれているボン先生からもタイのテレビ中継がラインで送られて来た。生徒達からも送っていただいた。おかげで5日間に及んだ御葬儀の様子はしかと目におさめることができた。リハビリの先生がやって来られても、事情を話してリハビリの時間を変更していただき、生中継に見入った。