神田川日記(30)

101歳のおばあちゃんと同じ部屋にいた93歳のおばあちゃんはもう退院してもよさそうなくらい病状が回復したのに、あえて退院しそうもなかった。理由は家に帰っても一人暮らしだから。時間が来ると三食必ず提供してくれる病院のほうがいいと言うのである。その気持ち、わからないでもない。だが、私の場合、いつまでも病院に甘えていては大きなマイナスだ。
 そのおばあちゃんには息子さんが3人もいるそうだが、近くに住んではいるものの、同居はしていないとのこと。年をとると、息子よりも娘がいたほうがいいなあと思った。
 その他に、子供がいないというおばあちゃんがいた。甥御さんが頻繁に見舞いに来てはいたものの、それはそれで大変なことである。ご主人に先立たれて一人残されたおばあちゃん達も多かった。結婚していようが、独身であろうが、子供がいようが、いまいが、結局のところ、一人で病いを乗り切らなくてはならないのである。

神田川日記(31)

白菜の葉っぱで滑って背骨を圧迫骨折した高田3丁目のおばあちゃんが退院した数日後、個室から73歳の女性が大部屋にやって来た。彼女の話によると、長年にわたり、自宅で介護していた母親が去年、103歳で亡くなり、その後、無気力になり、コンビニのおむすびかパンばかりでどうにか暮らしていたら、この11月に突然立ち上がれなくなり、入院することになったそうである。介護の疲れと栄養バランスの悪さが原因であろう?
 コンビニの食べ物ばかり食べていれば体がおかしくなるのは当然だ。実は退院して自室に戻ると、机の上にコンビニで買ったロールパンが2個、袋の中に入ったままであった。よく見ると、買った時と同じような照りが表面に見られ、カビが全く生えていない。防腐剤のせいとはいえ、気持ち悪かった。73歳の女性の話が現実味を帯びてきた。
 71歳の男性は、「あと5年くらいで、もう死んでもいいよ」と言う。しかし、女性達は違う。みんな、どんなに腰がいたかろうが、100歳を目指して、ベッドの上で寝ていた。

神田川日記(32)

毎朝6時起床。熱いおしぼりで顔を拭く。7時40分頃にお茶が来て、8時に朝食。ゆったりとした時間が過ぎる。7時頃、廊下の奥にある窓まで行って、新しい空気を吸った。神田川の水面(みなも)に水鳥が一羽泳いでいる。そこへもう一羽がやって来た。つがいであろう、と思った。ところがまた次なる水鳥がやって来た。子どもかしら?
 そう思いながらしばらく見ていると、鳥の数がどんどん増えて行った。理由はパンくずを投げる赤いジャケットのおじさんがやって来たからである。鳥達は生きる術(すべ)をよく知っている。
 午後3時頃、同じ窓に立つと、水面がきらきらと輝いている。少ししか開かない窓に立って、ひなたぼっこをすると、急に元気になるのを覚えた。太陽は有り難い。ビタミンDを体に取り入れて、骨を早くくっつけようと思った。

神田川日記(終)

33日間、入院していたので、この神田川日記も33回目で終了とする。
 私には病気も怪我も関係ないと思っていた。だが、筋力不足から骨折を招いてしまった。帰宅後、ご心配いただいた皆さんに退院をお知らせすると、尾道にいる元生徒さんから驚きのラインが返信されて来た。彼女のお母様(65歳)が家の中の階段で転倒し、頭蓋底骨折と脳挫傷をおこして入院中だというのである。彼女のお父様(67歳)は実の父親の介護もしておられるとのこと。もはや老老介護はそこかしこで始まっている。
 私は骨折した時、ビルの管理人さんの手を借りてタクシーに乗ったので、退院した旨を伝え、そしてお世話になった感謝の気持ちを伝えようと思い、管理人室に電話をかけた。だが、聞き慣れぬ声の方が電話を取った。事情を説明したところ、臨時の管理員さんは言った。「彼は入院しています」
すぐに管理会社に電話をすると、管理員さん(75歳)の復帰はもう無理であると言われた。川の流れは戻らない。それぞれの人生も川の如し。どこかへと流れて行く……。

神田川日記(追記)

追記したい項目が出てきたので追記する。入院中、獅子文六(1893-1969)と吉行淳之介(1924-1994)を読み、昭和の時代を回顧した。カトリック信徒の高橋たか子(1932-2013)のエッセイでは彼女の観想生活に触れることができた。阿部龍太郎の『等伯』では、安土桃山時代の絵画や茶道の流れを知った。
 考えようによっては、重病でなければ入院生活も悪くはない。何か文章が書ける。そう思った。
 私が入院していた病院は1950年(昭和25年)に開業しているので、建物は極めて古い。だが、ノンフィクション作家である澤地久枝さん(87歳)の昔の随筆を読んでいた時、彼女が若い頃に心臓の病気でこの病院に長く入院していたことが書かれてあったのを思い出した。彼女と同じ空気を吸ったこと、これを機縁に私にも文才よ、甦れ。

神田川日記(19)

タイ文字による サ行の歌 บทกวี ของ จฉฃซญ
จิตใจต้องเข้มแข็งเมื่อใด(精神はいついかなる時も強くあれ)
เฉพาะในยามโรคภัยไข้เจ็บ(特に病めるときには)
โชคชะตาขึ้นอยู่กับเมตตาของพระพุทธเจ้า(運は仏陀の慈悲におまかせ)
ซักถามว่าความสุขคืออะไร(幸せとは何かと尋ねたところ)
หญิงชราอายุ๑๐๑ปีตอบว่าความสุขคือความมีชีวิตชีวาร่าเริง(百一歳の老女は答えた 明るく暮らすことよ)

神田川日記(20)

タイ語の文字による タ行の歌 บทกวี ของ ดตถทธ
ดีก็ดี ไม่ดีก็ไม่ดี(良きことは良し 悪しきことは悪し)
ต้องทำดีๆด้วยความตัดสินใจ(意を決して良きことを為そう)
ถ้อยคำก็ต้องชัดและสุภาพ(言葉遣いも明瞭で丁寧であるべし)
ทิ้งอดีต ต่อสู้สู่อนาคต(過去を捨て 未来に立ち向かおう)
ธรรมชาติทำให้มนุษย์มีท่าทางถ่อมตัว(自然の前に人間は謙虚であるべし)

神田川日記(21)

タイ語の文字による ハ行の歌บทกวี ของ บปผฝพฟภ
บ้านมีสวนที่ดอกไม้บานสวยงาม(家には美しい花が咲く庭が有る)
ปลาทองก็เป็นในสระ(池には金魚が元気に泳いでいる)
ผลไม้หลายชนิดกำลังดี(たくさんの種類の果物が食べ頃だ)
ฝนเป็นพรของธรรมชาติ(雨は自然からの恵みそのもの)
เพื่อนๆมารวมกันสังสรรค์(多くの友が楽しく集う)
ฟ้าก็แจ่มใส ทะเลก็โปร่งใส(空は青く 海は澄んでいる)
ภูมิใจที่มีชีวิตในชาตินี้(この世に生きていることを誇らしく思う) 
注:残念ながら、ナ行は文字が一字(น)しかないので、はずすことにした。

神田川日記(12)

入院して16日目にギプスカットが有った。リハビリの先生から「ギプスが無くなれば、右足に半分くらいの体重をかけられるようになりますから、かなりラクになりますよ」と言われていたので楽しみに待っていた。だが、医師はすぐにまたギプスを巻いた、踵(かかと)の部分だけを除いて….。
 期待がはずれた途端、後半の入院生活をどのように乗り切ればいいのかと思案した。腰を痛めた老女達にはベッド脇にポータブルトイレが置かれている。24時間、誰かがそのP-トイレを使って用を足すので、臭いと音がとても気になりだした。私がお見舞いをお断りしていた最大の理由は、このP-トイレにあった。
 だが、健康のバロメーターとして、毎朝6時起床とともに看護師が前日の大小便の回数を聞いて回る。したがって、他人の臭いや音を茶化してまぎらわすために、「あいうえおの歌」を作った。

神田川日記(13)

私は毎朝6時半から7時の間に、歌を作った。ただし、かなりこじつけの感があるのは否めない。気をまぎらし、自分を鼓舞するために…..。
あいうえおの歌
頭は空っぽ入れ歯探しといびき うんち メンメン(臭い臭い) 永久にまだらボケおむつとおならで はい、さよおなら
かきくけこの歌
感情まだらで勘定は無理 きのうのこと すでに忘却のかなた 食い気だけはまだまだお盛ん 倦怠感 日増しにつのり これから先の希望無し あら、いと悲し
さしすせその歌
淋しさも感じず 死の怖れも無く すでに彼岸へ向かうのみ 生も活も今は昔 そうなの 心はすでにおだやかなりけり
 姥捨て山軍団の中にいて、なんだか暗いムードになって来た。次からは明るいムードの歌を作ることに切り替えよう。