今日の翻訳

『พระพุทธศาสนา』(タイ国教科書小学2年生向け พ.ศ.๒๕๕๓)の第1章の最後のページから出題する。「ให้」の使い方、及び、「เป็น」と「คือ」の使い分けを以下の文章から学ぼう。

๑. พ่อสรุปว่า “พระธรรมคำสอนของพระพุทธเจ้าได้ฝังลึกอยู่ในจิตใจของคนไทย และแสดงออกมาเป็นศิลปวัฒนธรรมอย่างที่ลูกๆเห็น

๒. กลายเป็นลักษณะเฉพาะของชาติไทย ที่เรียกกันว่าเอกลักษณ์ของชาติ จึงกล่าวได้ว่า พระพุทธศาสนาเป็นเอกลักษณ์ของชาติไทย

๓. ชาวพุทธจึงควรศึกษาพระพุทธศาสนาให้เข้าใจอย่างถูกต้อง และนำมาปฏิบัติในชีวิตประจำวันให้ได้

๔. ถ้าลูกทำได้อย่างนี้ก็จะเกิดผลดีทั้งแก่ตัวเองและแก่พระพุทธศาสนา ผลดีแก่ตัวเองคือได้เป็นคนดีตามวิถีพุทธ

๕. ผลดีแก่พระพุทธศาสนา คือ ได้ช่วยสืบอายุของพระพุทธศาสนาให้เจริญมั่นคงต่อไปได้นาน เข้าใจไหมลูก”

壺屋焼

先日の茶道教室で使われた茶碗は沖縄の壺屋焼で、作は人間国宝の金城次郎氏。絵付けは彼の得意とする魚紋であった。魚が伸び伸びと描かれすべての線が生きている。茶碗を手に持つと素朴さが伝わってきて、白いご飯を盛りたくなった。まさしく柳宗悦の民藝運動の影響が観て取れる。

その茶碗の魚紋を見ているうちに、どこかで見たような気がして来た。あっ、タイの陶器の模様と似ている。現に私の机上に置いているタイからのお土産のコーヒーカップも魚紋だ。沖縄はかつて中継貿易地として栄えた。沖縄とタイの関連性としては泡盛が特に有名だが、陶器からも東南アジアを感じることができる。

魚行水濁

今月の茶道教室に於ける掛け軸は色紙に墨黒々と書かれた漢字4字で、「魚行水濁」という論語であった。読み方は「うおゆきて みずにごる」。

春になり水ぬるむ頃、魚の動きが活発さを増し、水の中を泳ぎまわる魚が幾重にも重なる。そしてそれが自然界だけでなく、人間の営みをも刺激すると、私は勝手に解釈した。

ところがである。この論語の意味は、「魚が泳ぐことで水が濁る様子から、起きたことは隠せない」だそうだ。そして、本来であれば、さらに「鳥飛毛落(とりとべば けおつ)」と続き、「魚が泳げば水は濁り 鳥が羽ばたけば羽が落ちるように、人の行動には必ず痕跡が残る」という意味になるとのこと。ああ、論語よ論語。簡潔な表現の中に、その意味たるや何と深し…..。

今日のタイ語作文

1.タイの子供も将来の職業として一番なりたいのがインフルエンサーだそうだ。

2.インフルエンサーは果たして一生の仕事になり得るのであろうか?

3.最近の大学新卒者は先生や警察官になりたがらない。

4.親の家業を継ぐ子供は非常に少ない。そして親も子供に強制しない。

5.シャッター通りは由々しき問題だ。いろいろな職種の店舗が復活することを望む。

หมอสู

昨日土曜日の授業で、産婦人科医のことが話題になった。歯科医であるタイ人講師にタイ語で何と言うかと尋ねると、白板に「สูตินรีแพทย์」と書いてくださった。「しかし、タイ人同士の会話では หมอสู(モー・スー) と手短かに言います」と、彼女。なるほど、タイ人らしい。

たしかに、หมอสู(モー・スー)ならとても呼びやすい。それに親しみが持てる。日本料理店の料理人を「板さん」と呼ぶ乗りと同じかな?

สูตินรีแพทย์ の中の < นรี 女>だが、合成語によっては <นารี 女>とも書く。『タイ日辞典』(冨田竹二郎編纂)によると、「นรี/นารีは、นร(人、男)の女性形」と出ている。

体力・財力・気力

昨日、近所の診療所へ行き2月の血液検査の結果を聞いた。「数値は全て良し。栄養もいいですね。貧血もありません。金欠かどうかは知りませんが…..。百歳まで頑張りましょう!」と医師。私よりも20歳年下の彼は明るい。そしていつも一言多い。しかし、その一言が患者にいい意味の刺激を与えてくれる。

百歳まで生きるのには体力、財力、気力が必要だ。いずれが欠けても楽しくない。そう思いながら教室まで歩いた。途中、初めての定食屋に寄ってランチ。広島カキ定食を注文。衣が焦げ茶でがっかり。後から来た客もカキフライを選んだ。だが、彼の皿を見ると、きれいなキツネ色。注文時間がわずか10分異なるだけでこうも違うとは……。カキの季節はそろそろ終わる。よし、もう一度、挑戦だ。挑戦の源は体力・財力・気力なり。

今日の語彙

1.現住所        2.住民税

3.住民票        4.永住権

5.海外移住       6.仮住まい

7.分譲住宅       8.公団住宅

9.建売住宅      10.注文住宅

11.住環境      12.バリアフリー住宅

母校訪問

昨日の朝、東京に雪が舞った。彼岸に入っているというのに……。午後、大学時代の友人と母校訪問。キャンパスは閑散としていた。前日に卒業式が有ったそうだ。我が後輩達の行く末を想像してみた。故郷に帰る者もいれば、東京に就職する者もいるであろう。

大学の食堂の窓際に座り、グラウンドを見ながら、1965年4月から始まった寮生活のあれやこれやを友人と語り合った。彼女は大分から、そして私は香川からの上京。お互いに元気で60年前の青春を語り合える幸せをかみしめた。

大学の購買部で『教養を深める』(森本あんり PHP新書 2024年)を購入。副題は「人間の<芯>のつくり方」。帯には「ファスト教養に陥らない[本物の学び]とは」と書かれてあった。目次を見ると、「遠い言語を学ぶ」というのが有った。東京女子大学学長である著者の森本氏は神学者。彼の言う遠い言語とはヘブライ語、アラビア語、サンスクリット語、等であった。

合鍵 กุญแจผี

昨日の火曜日午後の授業で合鍵の話が出た。合鍵はタイ語で「กุญแจสำรอง(予備の鍵)」。だが、「กุญแจผี(お化けの鍵、幽霊鍵)」という単語も有る。この後者の単語に対して、タイ人講師が解説してくださった。「กุญแจผีにはマイナス・イメージが有ります。すなわち、何か悪いことをしようと思って作ります」、と。

『タイ日辞典』(冨田竹二郎編纂)にも、「多くは悪用する場合に用いる」と書いてあった。鍵(กุญแจ)という単語に「お化け(ผี)」をくっつけるところがタイらしいなあと思って面白がっていたが、まさかマイナス・イメージが有るとは! やはり対面授業で勉強すると、頭への浸透度が違う。

今日の翻訳

タイ国語教科書(小学5年生向け พ.ศ.๒๕๖๕)の第15章の冒頭から出題する。

๑. แม่ต้มปลาช่อนไว้หลายตัว เพื่อเตรียมทำขนมจีนน้ำยาหม้อใหญ่ในวันรุ่งขึ้น

๒. ฝีมือทำน้ำยาของแม่เป็นที่เลื่องลือ ใครๆก็อยากกิน แม่จึงต้องทำปริมาณมาก นอกจากกินเองแล้ว ยังแบ่งให้พี่น้องและเพื่อนบ้านอีก

๓. บ่ายแล้ว แม่ชวนจุ๊นลงไปโขลกปลาที่ร้านใต้ถุนบ้าน ข้างล่างอากาศเย็นสบายกว่าข้างบน

๔. แม่แกะก้างปลาออก เอาเนื้อให้จุ๊นโขลก ทำงานไปคุยกันไป ฟังแม่อบรมสั่งสอนเรื่องคบเพื่อน โดยเฉพาะกลุ่มพี่มอด

๕. “จุ๊นก็รู้ใช่ไหมว่ากลุ่มเจ้ามอด ไม่ทำงานทำการ ทำตัวเป็นอันธพาลลักเล็กขโมยน้อย ตำรวจกำลังจับตาอยู่ ระวังนะลูก จะพลอยเข้าปิ้งไปด้วย”