独学が得意なS君

昨日、バンコクに駐在している商社マンのS君からメールが有った。「来年からミャンマー勤務になります。目下、バンコクとヤンゴンを行ったり来たりして事務所の開設に忙しいです。ミャンマーは昔のタイ?っていう雰囲気です。バンコクに戻るとほっとします。さっそくミャンマー語の本を3冊、買いました。これから独学します」
 S君はタイ語がペラペラ。彼はいつも言う。「僕はタイ語をものすごく勉強しました。先生が教えてくださった5倍、いや、10倍の時間をかけて」
 だから、ミャンマー語が話せるようになるのも時間の問題。彼は語学の勉強の仕方を心得ている。大学時代にロシア語できたえられているからだ。もしもバングラデシュへ転勤となればベンガル語、そして、スリランカへ転勤となればシンハラ語を独学する意欲を持っている。語学によるコミュニケーション能力は抜群! 期待が大きい独学青年だ。

人類学者 加藤九祚先生の言葉

アジア文化史を専門とされる人類学者の加藤九祚(きゅうぞう)先生が9月11日に発掘調査中のウズベキスタンで亡くなられた。享年94歳。
 昨日の朝、NHK教育テレビの番組「こころの時代」で、加藤先生のことが再放送された。去年もその番組を見た私は、あらためて加藤先生の後輩に対する言葉に心打たれた。「知ること。知ることは大事ですよ」
 加藤先生の口から直接語られる彼の履歴たるや、これまたすごい。上智大学でドイツ語を専攻したので、捕虜になった時、ドイツ兵からシベリア送りになることを聞き出し、その後はすぐにロシア語の勉強を開始したそうだ。最晩年、故郷である韓国の大学から講演を頼まれた時は、「皆さん、これからは5ヶ国語は勉強しなさいよ」と韓国の若者達に熱く語っていた。
 加藤先生の語学は趣味ではない。生き抜くためのものであり、ひいては、人類を知るための勉強なのだ。

ミャンマー女性の微笑

昨日、「第109回アジア女性のための生け花講座」が開催された。この講座は2007年1月からスタートしており、今年は10年目。最初から参加している日本人達は、秋にふさわしく、菊の三種盛りを生けた。小原流の色彩盛花様式本位という生け方である。
 ところで、昨日はミャンマー女性が新しく2名、参加された。8月に習いに来られたミャンマー料理店のオーナーがフェイスブックでこの生け花講座のことを紹介し、それを見た彼女達が関心をもったというわけだ。
 日本の生け花は初めてという彼女達のために、華道講師は花材として、オミナエシとリンドウを用意した。講師の指導のもと、美しく生け上がったお花に私は心からの賛辞を送った。そして、記念に写真を撮って上げた。その時の微笑はとても印象に残るものであった。日本での思い出の1ページになったに相違ない。

熊さん バンコクで入院

「タイ語中級 金曜日19:00」のクラスで勉強している熊さん(หมี)は、茅ケ崎から高田馬場まで通うこと、かれこれ15年。彼の熱心な態度に、私はいつも敬意を表している。
 その熊さんが、昨晩やって来られて、開口一番、「いやあ、今回、バンコクで怪我をしまして….」と言いながら、目の上に貼ってある絆創膏を指差した。そのあと、状況説明を聞くと、地下鉄のATMでお金を引き下ろした時、お金だけが出て来てカードが出て来ないので、精神的に動転をしているうちに気を失ったそうである。その際、頭をどこかにぶつけて血がたらたら。気がついたら、バムルンラート病院のベッドの上….。
 ありとあらゆる診察をされて15万バーツ。「いやあ、今回は検査のためにバンコクへ行ったようなものです」と、熊さん。「チェックインしただけのホテルから荷物が運ばれて来て、ホテルの人がすばらしい個室の中にいる熊さんの話し相手になってくれたとか。日本語ペラペラのタイ人通訳が3人交代でつき、タイ語を話す機会はほんの少々。頼んでもいないのに日本料理ばかりが提供され、タイ料理を食べずに帰って来たのが残念だと、熊さん。帰国してから日本の病院に抜糸に行ったが、経過報告の写真をタイの病院へ送り続け、タイ人医師がメールでちゃんとコメントしてくれているそうだ。

沖縄の方言の表記

朝日新聞夕刊(9月21日)の第一面に、「沖縄の方言 どう発音。 継承へ音声録音・辞典作り」という記事が有った。
 沖縄県多良間村の表示板や道標には、一般の日本人が発音できない音がカタカナで書かれたまま残っているそうである。たとえば、カタカナの「イ」や「リ」の右上に「○」がついたもの。実際の音を聞いてみないとわからないが、「イ+○」は、もしかしたら、タイ語の「yi」かもしれない。「リ+○」は、記事によると、英語の「L」に似ているそうだ。となると、沖縄の人々は、昔から、「L」と「R」の違いができたのであろう。
 いずれにせよ、過去において、言語学者達が沖縄の方言を残そうと思ったが、いずれのカタカナ表記を採用するかで、意見が一致せず頓挫してしまったそうだ。今のままでは沖縄の方言が消えて行く。話せる人からはやく録音採取をしておかなければならない。
 方言をカタカナ表記化しても、所詮、それは気休めであって、本当の音は再現されない。とにもかくにも、耳で覚え、何度も話してみるに限る。土着が持つ言霊(ことだま)に近づくのは容易なことではないのだ。

言の葉、はらはら

今日は秋分。目白通り沿いの銀杏の木から銀杏が落ちている。そして、どんぐりもコロコロ、転がっているではないか。長月の長雨は残念。だが、あと一週間の辛抱だ。
 私は料理をほとんど作らない。というよりも、作って、いざ食べようとすると、仕事の電話が入る。よって、作ることはもうあきらめている。しかし、今日はカレーでも作ろうと思い立ち、朝4時半、鍋をガス台に置いた。ガス栓をカチッとひねった時に、携帯が鳴った。仕事だ。すぐにガスを消して、始発の電車に乗って出かけた。
 通訳はあらゆることにアンテナを巡らしておく必要が有る。そして、言葉の勉強が好きでたまらないことが肝要だ。さらに大切なことは、人間が好きだということ。外国語であれ、我が母国語の日本語であれ、覚えるべき言葉はいくらでもある。今年の成果は果たしてどの程度?、幹を太くし、枝ぶりを整え、たくさんの「言の葉」をつけたであろうか。
 えっ、何? はらはらと落ちる一方? それはいかん。早く拾いなさい。えっ、もうだめ? ぐじゃぐじゃに踏みつぶされている? では、来年の春まで待とう。それまで栄養補給をして、2017年に期待しよう。

นักเรียน แค่คนเดียวเอง 生徒一人だけ

昨晩、2クラスの授業が予定されていたが、1クラスは休講になった。台風の余波で悪天候が想定されていたので、生徒達みんなで早々に休講を決めたようだ。
 もう1クラスの「タイ語入門」も、3人の生徒のうち2名が欠席届をラインで送って来た。残るは1名。
 私は教室の清掃をして、机を拭いて生徒を待った。19時20分(๑ทุ่ม ๒๐นาที)、生徒のKさんがいつものように自然体で現れた。その5分後、タイ人講師のピカピカ先生がやって来られた。台風であろうが、なんであろうが、マイペンライ。
 先生2名と生徒1名の授業がさっそく開始された。Kさんは言った。「一人だと、緊張しますね」
 その気持ち、分からなくもない。そこで、90分のうち、数回、休憩時間を入れた。だが、勉強時には緊張感が大切なのである(สำคัญมาก)。10月からは、緊張感+集中力で、タイ語の学力を向上させよう!

小学校での英語教育

小学校5年生6年生に対する英語教育を義務化するか否かで、小学校教師にアンケートをしたところ、約75%の教師達が反対しているという結果が出たと、数日前、新聞記事で読んだ。4人に3人が反対していることになる。
 反対理由としては、負担が重いというのが多かった。授業の準備が増えることになるからだ。英語が好きな先生ばかりとは限らない。英語教授法を知っているプロをやとえばいいという意見もあるが、予算面でおそらく無理であろう。
 ピアノやバレーのような稽古事と同じく、習いたい生徒だけが英語を習えばいい。中学校から英語を勉強しても英語が話せない。たとえ2年早く始めても、上手にはならないと思う。義務化するとますます英語が嫌いな子供が増えるだけだ。

或るボランティア活動

生徒さん(70歳の男性)に、「夏休み中、何をなさいましたか?」と尋ねると、「目の不自由な方達をボランティアで国立博物館へ案内し、ギリシャ展を観ました」という返事が戻ってきた。
 そのようなボランティア活動が有ることを私は知らなかった。目の不自由な方達は博物館、美術館、等の会場にただよう雰囲気を感じ取り、それを楽しまれているとのこと。
 今朝、リオのパラリンピックが閉会した。身体にハンディキャップが有っても、みんな一緒になって頑張った。刺激が無い生活を送っていてはもったいない。
BE INNOVATIVE!

動物に関する単語をタイ語で書こう

 昨日、牝牛(แม่วัว)という単語を書かせたところ、生徒達は「牛 วัว」という単語がスムーズに書けなかった。そこで、動物に関する単語をタイ語で書く練習をしてみよう。
 まずは、タイ語の子音字の名称に充てられている動物名から列挙する。これだけはどうしても書けるようになってほしいから。
 ไก่ ควาย งู ช้าง เต่า หนู ม้า ลิง เสือ นกฮูก
 次は、以下の動物をタイ語で書いてください。
 ①熊 ②鹿 ③ライオン ④豹 ⑤キリン ⑥ワニ ⑦シマウマ ⑧リス ⑨アリ ⑩鳥 ⑪ツバメ ⑫オウム ⑬魚 ⑭鮫 ⑮鯨 ⑯犬 ⑰猫 ⑱豚 ⑲カニ ⑳カエル