今日の宿題

タイ料理店でバイトをしている女性から、「次なる日本語の文章をタイ語に訳すならば、どのように言いますか?」というメールが届いた。おそらくタイ人従業員に伝えたいのであろう。皆さんなら、どのように訳しますか?

 ガスコンロのガスが無くなったら倉庫から補充してください。
 倉庫の在庫が無くなったら、必ず言ってください。

 10月もそろそろ終わりだ。鍋の季節、到来! おいしい鍋料理を想定しながら、タイ語に翻訳してみよう。

黄色い新幹線(ドクターイエロー)

 昨日、元生徒さんから、「なかなか見られないので、おすそ分けします」と書いたラインと写真が送られて来た。成田から都心に向かって走っている高速上の写真であった。それを見て、何の変哲も無い雨の昼下がりの状況をどうして送って来たのか、しばらくはピンと来なかった。
 彼から「ドクターイエロー」という説明が届いた。そこで写真をよく見ると、なるほど黄色い電車だ。見たことがないなあと思ってネットで調べてみると、「新幹線区間において、線路のゆがみ具合や架線の状態、信号電流の状況などを検測しながら走行し、新幹線の軌道、電気設備、信号設備を検査するための事業用車両の愛称である」と書いてあった。
 この災害の多い時期、ドクターイエローの登場は不可欠である。
 さらにネットには、「ドクターイエローを見かけると、幸せになれると言われている」とも書いてあった。元生徒さんが「おすそ分けします」と書いて来た意味がやっとわかった。

浅草草履職人

昨日、「きもの紀行in浅草」というイベントに行ってみた。着物を買う目的はさらさら無く、ただ目の保養になればという程度であった。では、何故、行ったのか? それは、浅草草履職人である吉沼作次郎氏に会い、草履に鼻緒をすげてもらいたかったからである。
 吉沼氏の第一印象は好好爺であった。すかさず年齢を伺うと、「88歳です」と自然体で答えてくださった。
 「今、持っている草履ですが、あまり履いていないうちに、鼻緒が少し毛羽立ってきてしまいました。何故でしょう?」と私。
 「それは大事にしまい過ぎて、経年劣化がおきているからです。箱の中にずっとしまっていると、どうしてもそうなります」
 なるほど、そういうことであったのか…..。
 私は吉沢氏の助言を受けて草履を選び、そして鼻緒をすげていただいた。彼は草履職人一筋だ。現役で88歳まで頑張って来られたことを証明する唯一のものは、彼の眼の前に置かれた丸太の叩き台であった。

小さな本

同い年のはとこ(母方の曾祖父母が同じ)から、本が送られて来た。
 「年寄りになった記念に本を作りました。よかったら読んでください」
 私は一気に読み、そして、すぐに感想を彼女に伝えた。
 「素晴らしい御本のプレゼント、とても嬉しく思います。拝読させていただきました。独創性、及び、書くという情熱に、刺激をいただきました」
 本はとても小さな本である。大人のファンタジーが2話、所収されている。表紙や口絵は息子さんが担当。美術大学を出て、出版に携わっているプロなので、母親が書いたファンタジーに生命を吹き込んでいる。母と息子のコラボレーション!
 はとこは昔から物語を書いていたそうだ。出版社にも原稿を持ち込んだこともあるとか…..。だが残念ながら採用されずじまい。去年、会った時、原稿を読んでほしいと手渡されたことがあるが、今回、本になったものとは内容が異なっていた。今回のものは印象に残るストーリーであった。

八戸 と 令和

青森での仕事が終わると、絶対に八戸へ寄ろうと思っていた。「ねこカフェ猫八」にいる黒猫の<ヤマト君>に会うためであった。
 ヤマト君は三沢の自衛隊基地の門前に捨てられていた猫なので、子猫の時はとても人見知りをする猫であったようだ。しかし、2年前に行った時、ヤマト君は私の脛を引っ搔き、軽いジャブを見舞ったものの、その後は私になついてくれた。
 オーナーさんも私のことを覚えていてくださった。だが、店の切り盛りでてんてこ舞い。私が店を出たのを知ると、駅まで追いかけてきて、一枚のポストカードをくださった。
 そのポストカードは、「八戸」の漢字2文字をもじって、「令」にしていた。説明を受けると、だんだん「八戸」に見えてきたから、あら不思議。「八」を頭に置き、その下にデフォルメした「戸」を納めれば、なるほど「令」になる。
 「令和」の「和」は、「口」の中に猫の絵が描かれており、「猫ファンのお客さま、お待ちしております」という顔つきをしている。
 とにもかくにもお客様がいっぱいであった。令和時代を迎えた八戸の猫八は、福猫たちのおかげで商売繁盛なり。

今日の宿題

今日は「即位礼正殿の儀」が行われる。そこで、以下の単語をタイ語で書いてみよう。

 1) 天皇陛下
 2) 皇后陛下
 3) 即位礼
 4) 皇室
 5) 皇族
 6) 皇居
 7) 祝典
 8) 饗宴の儀
 9) 記念硬貨
10) 各国元首・大統領・首相

青森で会った外国の人々

 青森で見かけたタイ人や中国人の観光客はあまりにも数が多すぎ、もはや珍しくも何とも思わなかった。来る日も来る日も両国の人々は青森に来ているような感じすらした。
 縄文時代の三内丸山遺跡を見物した後、近くに在る青森県立美術館にも寄ってみた。青森出身の作家達の芸術作品が大切に展示されているのはすばらしいことだ。
 青森駅まで戻るためにバス停に行ったがバスの便数は極めて少ない。同じくバスを待っていた外国人がいたので彼の横に座った。そして、英語で話しかけた。彼はトルコ人であった。そこで、「Merhaba メルハバ」と言うと、彼は嬉しそうに応じた。
 青森駅はホームに通じるエスカレーターが一方方向しか動いていないので、荷物を持って移動する際、ラッキーかラッキーでないか、その時の運次第。私がスーツケースを持って階段を降りていると、「お持ちしましょうか?」と、日本人と全く同じ発音で話しかけてきた若い女性がいた。ニュージーランド人であった。「どうしてそれほどまでに日本語が上手なの?」と尋ねると、「母が日本人です」とのこと。
 八戸駅から東北新幹線に乗ると、私の隣りはアフリカ系らしき女性であった。話しかけると、テキサス出身で三沢の米軍基地勤務であると答えてくれた。

マンダラという単語

今日からNHKのEテレ番組「こころの時代」で、曼陀羅の世界が取り上げられている。これから月に1回の割合で放送されるようだ。
 第1回目は「なぜマンダラか」という題目で、曼陀羅の絵柄が有する円形、対称性、そして、機密性について語られ、精神分析で知られるユングも影響を受けていることが宗教学者によって解説された。
 それはさておき、曼陀羅(マンダラ)と聞くと、私はタイ語の「มณฑล monthon モントン」が頭に浮かぶ。もちろん、この単語の本家本元をたどれば、サンスクリットやパーリ語に行き着き、まさしく曼陀羅にほかならない。
 タイではラーマ5世時代からラーマ8世時代まで、この「monthon」を行政単位として使い、「เมือง muang ムアング」よりもさらに上位にあった。わかりやすく言うならば、現代で使う「ภาค phaak パーク」に相当するようだ。
 人間の集合体である国、その中で蠢く人間。しかし、曼陀羅の絵図に描かれるような整然としたものではない。自然災害に遭えば、実に脆い。

今日の宿題

青森でおそらく二度とはない体験をしたので、時系列で箇条書きにする。タイ語に訳してみてください。

(1)正午過ぎ、新青森駅に行くと長蛇の列で新幹線の切符を買うのに3時間以上かかりそうであった。
(2)いずれにせよ、新幹線は夕方まで運休することが放送された。外国人は何が何だかわからないと思う。
(3)念のため、八戸のホテルを予約し、在来線である「青い森鉄道」に乗るため、青森駅に戻った。
(4)2時間待って、やっと乗り込んだが、浅虫温泉駅から2駅目の小湊駅で電車は運休となった。理由は線路の下の土砂が陥没したからである。
(5)代替輸送手段が無いとわかると、三沢空港から東京に帰るという新婚旅行の夫婦はタクシーを呼んだ。
(6)電車の中で話をした若者が八戸へ行くと言っていた。その彼もまた、タクシーを呼んだ。
(7)あたりはもう真っ暗。そこで、私も相乗りをさせてほしいと頼んだ。
(8)すると、京都から十和田市に在る大学の面接試験に来ていた母娘が一緒に乗せてと頼んできた。
(9)小湊から八戸までのタクシー代は2万1千円。若者にお世話になったので、我々は多く支払った。
(10)若者は弘前の自衛隊勤務であった。災害出動の命令はくだらなかったそうだ。
(11)知らない土地の道路は不気味であったが、帰宅後、地図を見ると、国道4号線であった。

津軽の風土

先日、青森へ行った折り、五能線で五所川原まで行き、そこから、だるまストーブ列車で有名な津軽鉄道に乗って金木に在る太宰治(1919-1948)の生家である「斜陽館」を見物。私はとりたてて太宰のファンではないが、今年が生誕110周年という記念すべき年にあたっていたので、行ってみる気になった。
 斜陽館は外から見ただけでも威圧的であったが、中に入ってからも度肝を抜かれた。津軽の大地主の家とはこういうものか…….。
「太宰治疎開の家・旧津島家新座敷」にも寄ってみた。太宰が執筆した部屋に入り、作家気取りになって、座卓の前に座った。
 「津軽三味線会館」では、二人の若い女性の情熱的な演奏が披露された。津軽三味線は<叩きつける弾き方をする>という解説を聞き、あらためて、津軽の人々の激しさを知った。
 青森で一緒に仕事をした方から、「ねぶたが終わると、みんな、しょぼんとします」と聞かされた。だが、それを真に受けてはいけないと思った。雪の中の半年間、津軽の人は三味線のバチを叩きつけて、常に芸を磨いている。