祝 創立37周年

今月(10月)、泰日文化倶楽部は創立37周年を迎えました。1988年10月に現都庁の近くでスタートした時は、都庁の新庁舎を建設している光景を見ながら教室に行っていました。都庁が丸の内から西新宿に移転したのが1991年4月。その頃には泰日文化倶楽部は高田馬場に引越しております。

毎年同じことを書いていますが、湾岸戦争、バブル崩壊、アジア通貨危機、9.11事件、リーマンショック、東日本大震災、タイの洪水、そして、コロナ、と、歴史的事件・事象とともに歩んで来ただけに、長いようでいて短い、あるいは、短いようでいていろいろなニュースに翻弄された37年でした。

泰日文化倶楽部の創立以前にはアジア・アフリカ語学院、朝日カルチャーセンター、そして、複数の大学で教えていましたが、大学の教え子に孫ができると聞いた時はびっくり。私はひいおばあさん? これからも高田馬場で、地道に泰日文化倶楽部を運営していきます。さあ、38年目の始まりだ!

続ければアート

小学生のお子さんを持つ生徒さんからとてもいい話を聞いた。夏休みに石見神楽の里(島根県)へ行き、お子さんに白い生地のお面に色を塗る体験をさせたところ、最初からうまくいかず、鬼の鼻に赤い絵の具がついてしまった。お子さんはすぐにいやになり、ほっぽり出した。

すると、お面作りの指導者がこう言ったそうだ。「今やめれば失敗のまま。しかし、最後まで頑張れば、それはアートになるよ」

すばらしい指導者だ。おそらく多くの人達にも同じ助言を与えているのであろう。何とか最後まで頑張ったお子さんは自分が作ったお面に大満足。泊まっていた旅館でもお面をかぶっていたものだから、廊下ですれ違った客達はもうびっくり。可愛いいたずらだ。

生姜あいす

東京はまだまだ暑い。9月末だというのに夏服の人達が歩いていても全く違和感がない。これ如何に?

昨日、池袋のカルディで「凍らせて食べる大人の生姜あいす」というのを見つけたので、ためしに1個だけ買ってみた。「高知県産生姜を使用」と書いてある。高知県(土佐)とくれば坂本竜馬だ。パッケージの裏表には、彼の定番の像のイラストがしっかりと描かれてあった。

賞味期限は「2026.08.18」。だが帰宅して冷凍後、夜にはもう食べた。ほてった体に生姜の清涼感がしみわたる。もう少し前にこの製品に気がつけば、今年はおそらく10数回くらいは食べたであろう。原材料名を見ると、「砂糖(タイ製造)」と明記。あっ、またタイだ。

今日の語彙

1.線を引く    2.論文を引用する

3.現役を引退する 4.くじを引く

5.引越し費用   6.引導を渡す

7.生徒を引率する 8.強引な態度

9.経済界を牽引する  10.手引書

11.痰を吸引する   12.引責辞任

百年近く続く靴店

一昨日、教室の近くに在る靴店へ行った。地元にお金を落としてあげようと思って、いつもそこで買っている。しかし、店主は余計なことを喋らないタイプなので、彼のプライバシーは知らなかった。

「最近、外国人が増えましたね。アジアの物産店だらけ」と私が言うと、店主が突然、饒舌になった。「そうなんです。外国人が増えることは嬉しくもあるんですが……。でもね、私はここで生まれ育ったんです。街の変貌にはもうついていけません。祖父は靴職人でした。店を始めたのは1928年(昭和3年)。もう少しで百年です」

彼の年齢を尋ねると83歳であった。親戚も皆、靴を販売しているとのこと。そう言えば近くの鰻店も和菓子店も創立百年を越えている。外国人勢力にうろたえている靴店の主の弁。「私がいなくなったら、この高田馬場はどのように変わりますかね?」

ベビーカーに乗ったコリー犬

昨日の昼過ぎ、目白駅のエレベーターに乗った。私一人であった。しかし、若い女性が乗りたそうにしている。「どうぞ」と私が勧めると、彼女は後ろを振り向いた。御主人がベビーカーを引いていた。大きなベビーカーだ。しかし双子用ではない。中型のコリー犬が乗っていた。

私は彼らが中国人であることに気がついた。夫婦ともスタイルが良くて上品。おそらく富裕層の人達であろう。「大きい」、「可愛い」と私は犬に向かって日本語で言った。犬も上品。全く吠えない。ホームで電車を待つ間、若い奥さんに今度は中国語で「犬は何歳?」と尋ねた。すると、彼女は一瞬びっくり。「3歳」と中国語で答えた後、あわてたようにして「よん」と日本語で言い直した。私が突然、中国語で訊いたことに夫婦はものすごく驚いていた。

目下、泰日文化倶楽部が在る高田馬場は外国人だらけだ。隣りの目白駅も外国人の乗降をたくさん見かけるようになった。外国人を無視するのではなくて、少しでもいいから外国語を学び、日本人も喋ることができるんだという気構えを示すことが肝要。

今日の翻訳

『タイ国語教科書』(小学5年生向け พ.ศ.๒๕๖๕)の「第13章」に追加された「น้ำ」の話の冒頭から引用して出題する。

๑. เมื่อพูดถึงน้ำทุกคนจะคิดว่าน้ำเป็นเพียงของเหลว

๒. แต่ความจริงแล้วน้ำมีหลายถานะ เป็นได้ทั้งของเหลว ของแข็งและก๊าซ เป็นของแข็งในสภาพของน้ำแข็ง และเป็นก๊าซเมื่อกลายเป็นไอน้ำ

๓. ร่างกายของคนเราก็มีน้ำเป็นส่วนประกอบ น้ำช่วยควบคุมอุณหภูมิในร่างกายให้คงที่ด้วยการขับเหงื่อ

๔. ในกระบวนการย่อยอาหารต้องมีน้ำเข้าไปช่วยการขับถ่ายของเสียออกจากร่างกาย

๕. และการลำเลียงอาหารไปสู่ส่วนต่างๆของร่างกายก็ต้องมีน้ำเข้าไปช่วยเช่นกัน

タイ人留学生を採用する訳

まだ数回しか講義していない新米のマーイ先生から、「あのー、お願いが有るのですが…..」と言われた。何か不満でも? 私としてはどきりとした。率直に話してもらうと、次なる答えを得た。

「私の友人2名がタイ語を教えたいと言っております」、と。コロナが始まって以降、生徒募集を積極的に行って来なかった私としては、「今は生徒数が少なくて…..」と答えるしかなかった。

想像するに、マーイ先生はタイ語を教える喜びを友人達に話して聞かせたのであろう。私は長年にわたり、ずっとタイ人留学生をタイ語講師として採用して来た。彼らが母国語であるタイ語を教えることに誇りをもってほしいからである。かつ、泰日文化倶楽部で諸分野の日本人に幅広く接して、日本に於ける視野を広めてほしいという訳だ。

選手? それとも先週?

昨日の「月曜日18:00クラス」にマーイ先生が初めて登板した。生徒達は興味津々。先生のことをいろいろと尋ねた。すなわち、ご家族やバンコクの家がどこに在るかを….。そこまでなら、生徒達もお得意だ。問題はその先。

マーイ先生は平均的タイ人女性の身長よりもはるかに高い。何のスポーツをやっていたかと聞くと、バレーでもなければバスケでもなく水泳であった。「競技に出たことありますか? は何と言えばいいですか」と生徒が私に助けを求めた。「頑張って自分で考えてみてください」と私。

すると生徒はスマホに話しかけて音声翻訳を使った。だが、マーイ先生には通じなかった。そこで、彼は「選手でしたか?」と文章を変えた。これまた、先生には通じない。翻訳文を聞かせてもらうと、「先週でしたか?」になっていた。問題は彼の日本語の発音にあったのだ。

今日のタイ語作文

東京都某区の広報(令和7年9月15日号)からの記事を引用して出題する。おそらく東京都全部に共通するお知らせだと思われる。

1.9月24~30日は結核・呼吸器感染症予防週間です。

2.結核は今も流行しています。日本では毎年1万人以上が発病、約1,500人が命を落としています。

3.若い方でも注意が必要です。

4.長引くせき、たん、倦怠感、発熱などの症状があるときは早めに医療機関を受診してください。

5.定期的に胸部レントゲン検査を受けましょう。