抹茶を求めて

タイ人の間で抹茶がブームなので、タイへの土産は抹茶と決めている。先日、泰日文化倶楽部近くの茶舗へ行ったが、以前と異なり予約制となっていた。しかも京都から送られて来るのが2ヶ月先。同じビルの中にもう一軒、茶舗が有るのでそこへも行ってみたが、やはり在庫無し。

昨日、池袋へ行った帰り、大鳥神社入り口でバスを降り、期待半分で鬼子母神堂裏に在る茶舗へ寄ってみた。抹茶缶がたくさん目に飛び込んで来た。有った、有った! とりあえず12缶を購入。ついでに海苔も。安堵の気持ちで「やれやれ」と言うと、お店の女性にこう言われた。「やれやれという年齢でもないでしょうに」 

私に発破をかけたその女性に年齢を尋ねると、「18年生まれ」と答えた。「私は21年」と言うと、「ほら、見てごらんなさい。私より若いでしょ」と、また声のパンチ。数年前、その店の真ん前に在るアパートが火事になった。だが、その茶舗は難を逃れた。鬼子母神に見守られている。

茶杓 Tea Scoop

発売されたばかりの隔月誌『和樂』(小学館発行 12月/1月号)は、{今こそ知りたい! 千利休の「茶」と「美」}という特集を組んでいる。利休が愛した茶道具が紹介されているが、茶杓の銘が独特である。たとえば、「泪」、「ゆがみ」、「両口」、そして、「タヽイへ様参」(ただいえさままいる)、等。

英語では茶杓を「tea scoop」と訳すらしい。初めて知った。調べてみると、茶道では抹茶をすくう竹製の茶杓は、一般の茶葉をすくう茶さじ(tea spoon」と区別して訳す必要が有るとのこと。

だが「scoop」と聞けば、マスコミが使う「特ダネ」のほうが先に頭に浮かぶ。本来の意味である「スプーン」とか、「シャベルですくう」は、私の場合、あまり使うことがない。静謐な茶室で使う茶杓(tea scoop)と、他社をいかに出し抜くかという騒々しい世界であるマスコミの特ダネ(scoop)が同じルーツであることに興味を覚えた。

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今日のタイ語作文

1.交通事故には気をつけよう。

2.交通ルールを守らない外国人が増えている。

3.たとえば、ナビを繰り返し見ているうちに信号無視をしてしまうのは由々しき問題だ。。

4.青信号といえども横断歩道をわたる歩行者は車に注意しなければならない。

5.今年もあと2ヶ月をきった。11月と12月は平穏無事にすごしたい。

三人の輪

今月中旬、タイへ一緒に旅行する華道講師から、昨朝、お電話をいただいた。「吉川先生はC氏をご存知ですか?」と興奮気味に聞かれたので、「はい、知っています」と私は即答した。むしろ私のほうが驚いた。何故、華道講師がC氏をご存知であるかを。

華道講師は40年前に御主人の駐在に伴いバンコクで暮らすこと3年。その間、同業者(特派員)としてご主人とC氏が懇意にしていたので、奥様どうしも仲良くしておられたそうだ。「今度、タイ語の吉川先生と一緒にタイへ行きます」と華道講師がミセスCに電話で伝えたところ、すぐそばにおられたC氏が、「吉川先生ならタイへ赴任する前にタイ語を習った先生だ!」と言ったとのこと。

C氏は赴任前にアジアアフリカ語学院にやって来られ個人レッスンを受けられた。40年前のことだ。彼はとてもまじめであった。華道講師のおかげで、我々三人の輪がつながった。奇遇である。

幸福のおすそわけ

昨日(78歳最後の日)、木曜日の生徒達からサプライズが有った。皆さんの企画力と演出のうまさにKOされた。だが、泰日文化倶楽部でのタイ語の勉強が大いに評価されていることがわかり嬉しかった。今後もより良き授業環境を提供することが私のつとめだ。

生徒達が帰ったあと、私はミャンマーから帰って来たばかりのミャンマー女性と会った。今年3月28日に発生したマンダレー地震で崩壊した寺院の写真を見せてもらったが、修復するには相当の時間とお金がかかりそう…..。数百年後の仏教徒達のために新たなる寺院が甦ることを願う。

彼女はヤンゴン市内の病院を訪問し、癌患者を見舞ったり介護士を慰労している様子の動画も見せてくれた。報道で見る映像とは大いに異なり、臨場感がより伝わって来た。あらためて人間の病苦の現実を知らされた。私は昨日、生徒達から幸福をいただいたばかり。そこで、幸福のおすそわけをタンブン(功徳積み)としてミャンマー女性に託した。

今日の語彙

1.いじめる      2.威嚇する

3.慰労する      4.いらいらする

5.行き当たりばったり 6.居心地がいい

7.居丈高       8.一期一会

9.慇懃無礼     10.一心同体

11.姻戚関係    12.一念発起

数字の特訓

昨日の「タイ語初級 火曜日14:30」のクラスにおいて、久々に数字の特訓をした。百の単位から始まり(例:224/695/987)、千、万、十万へと単位を増やしていった。万の単位までくると、生徒達は口も頭も回らない様子であった。

最近はスマホがあるから、タイ語を話す必要性を感じていない旅行者が多い。したがって、タイ語を勉強している人達でも口が思うように動かない。しかし発話することを面倒くさがると、頭への刺激が減少し、ますます口が動かなくなる。

よって、昨日の授業では、時刻表現の特訓もした。24時間制の言い方と、日常生活で使う表現とそれら両方を生徒達に言わせた。経済社会に暮らす以上、数字は特に大切である。数字に強くなった上で、数字が入ったタイ文を正しく組み立て、スピード感を伴って反射的に発話する訓練がさらには大切だ。

『王朝四代記」の電子化

2025年10月24日、私の郵便受けに一通の封書が届いた。勁草書房という出版社からのものであった。40数年前に『王朝四代記』を翻訳出版する際、お世話になったところだ。パーティーへのご招待かと思いきや、開封してみると、意外な内容であった。

~ 弊社ではかつて井村文化事業社で刊行していた「東南アジアブックス」の電子書籍化を企画しています。そこで、電子書籍化に必要な著作権者の許諾を得るため、翻訳著作権者の確認および追跡を行っています。<以下省略> ~

当時、東南アジア関係の本はあまり売れなかった。私の翻訳本(全5巻)も初版の2千部どまり。購入してくれたのは図書館くらいだ。絶版になっているため、もう遠い昔の話としてあきらめていた。だが、シリキット元王妃が御逝去されたその日に、奇しくも『王朝四代記』が電子書籍化される報せを受けて、不思議な御縁を覚える。

今日の翻訳

シリキット王太后の76歳の誕生日を祝して発行された『สกุลไทย』(週刊誌サクンタイ社 西暦2008年8月19日 第2809号)の表紙は真っ赤なシルクの装いの前王妃の御姿である。その冒頭部分から出題する。

๑. “วันที่๑๒ สิงหาคม วันเฉลิมพระชนมพรรษา สมเด็จพระนางเจ้าสิริกิติ์ พระบรมราชินีนาถ และวันแม่แห่งชาติ”

๒. ถ้อยคำประโยคนี้เป็นที่ฝังใจตรึงตราจารึกอยู่ในความรู้สึกของคนไทยตลอดมาช้านาน

๓. ประเทศไทยเคยจัดงานวันแม่เป็นครั้งแรกเมื่อวันที่ ๑๕ เมษายน พ.ศ.๒๔๙๓ โดยความริเริ่มของ ท่านผู้หญิงละเอียด พิบูลสงคราม และได้รับการสนับสนุนส่งเสริมเป็นอย่างดีจากรัฐบาลที่มี จอมพล แปลก พิบูลสงคราม เป็นนายกรัฐมนตรี

๔. ต่อมาเมื่อเปลี่ยนรัฐบาล วันแม่ถูกยกเลิกไป จะด้วยเหตุผลอันใดไม่ปรากฎชัดแจ้ง

๕. จนกระทั่งวันที่ ๑๒ สิงหาคม พ.ศ.๒๕๑๙ สภาสังคมสงเคราะห์แห่งประเทศไทย ในพระบรมราชูปถัมภ์ โดยความริเริ่มของคณะกรรมการส่งเสริมศีลธรรมและจิตใจ ได้จัดงานวันแม่ขึ้นใหม่ เพื่อเฉลิมพระเกียรติ สมเด็จพระนางเจ้าสิริกิติ์ พระบรมราชินีนาถ และยึดถือวันที่ ๑๒ สิงหาคม อันเป็นวันเฉลิมพระชนมพรรษาให้เป็น “วันแม่แห่งชาติ” เป็นประจำตลอดมาทุกปีจนถึงปัจจุบัน

哀悼「タイの母」

昨日の早朝、タイからシリキット王太后のご逝去の第一報がLINEに入って来た。深い悲しみを覚えた。10月13日はラーマ9世の御命日。崩御されてからもう9年。シリキット前王妃はいかなる思いでおすごしであろうかと想像していた矢先だけに、訃報を聞いた時は驚きとともに、タイの歴史がまた1ページ、加わったと思った。

1969年10月31日、この日から私は縁あって、駐日タイ王国大使館税関部に勤務し始めた。上司は王族で気難しい方…..。執務室に置かれた重厚なる金庫の上に額縁に入った一枚の写真が飾られていた。18歳くらいの素敵な笑顔の女性。それがシリキット前王妃であった。

毎年8月12日は「母の日」。それはシリキット元王妃のお誕生日に因んだもの。70年余に亙って在位されたラーマ9世の御妃として、そしてタイ国民の母としての存在感は極めて大きい。衷心より哀悼の意を表する次第です。