遠藤周作のタイ取材旅行

 遠藤周作が『王国への道』を上梓したのは1981年。そのために1979年2月25日から28日まで、アユタヤへ取材旅行に出ている。そのことは「五十五歳からの私的創作ノート」(河出書房新社 2003年)の中で明白だ。
 「バンコックの二月の午前は日本の真夏で、しかもトラック、自動車、人が雑踏し、市を出るまで一苦労である。ようやく街道(アジア・ハイウェイというが街道なり)に出れば、延々たる畠は刈入れがすみ、ブーゲンビリヤの花赤く、路ばたに西瓜屋あるいはジャスミンの花を売る露店あり。暑さ甚だしく、この暑さのなかで生きた十七世紀の日本人たちの生活を思う。<中略> ふたたび、メナム河をわたってアユタヤに出る。昼食をとり、王宮跡を見物。ここで山田長政が陰謀術策にまきこまれたと思うと感慨無量なり。寺を二、三まわり、暑さのなかをふたたびバンコックに。<中略> ホテルのかべに家守(やもり)をみる。虫の音きこゆ」
 遠藤周作が描写した1979年2月のバンコクとアユタヤ。私はわかる。何故ならば、同様なる光景を体験しているから。

演芸作家のひとこと

 昨日、六本木駅近くにある日本脚本家連盟スクールの前を通った。案内書が置いてあったので、参考までにもらって来た。
 「講師からのひとこと」という欄に、演芸作家である元木すみお氏が次のように書いていた。
 「自分が書いた脚本(台本)でホカの人を笑わせる。とっても難しいけど、やってみるととっても楽しい仕事です。よく、<私は、笑いのセンスはないから……>なんて言う人もいますが、書いてみなけりゃわかりません。自分でもびっくりするぐらい笑いの才能があったりします。以下略」
 なるほど、なるほど。文章は書いてみないとわからないものなんだ。
 ところで、案内書の中に、「謹告」という紙が挟まっていた。「通信教育部は1975年に開講以来40年にわたり、皆様のご協力に支えられ運営して参りましたが、受講生の減少により継続は困難と判断せざるを得ませんでした」
 脚本家を目指す地方在住の者は上京して六本木で勉強しよう!

タイ語学習のまとめ

 3月後半に入った。残すはあと2週間。そろそろタイ語のまとめをしてみてはどうだろう。
 一昨日、「タイ語中級 水曜日20:00」のクラスを教えた。タイ人講師もいいが、日本人講師は日本人講師でタイ語を教える観点が違うので、たまには日本人講師と習うのもよいのではなかろうか。
 私は生徒に指示を出した。「これまでに習ったタイ語の動詞をまずは10語書いてみてください。自分が好きな動詞でいいです。10語、書き終われば、またさらに10語を書いてみてください。50語は書けるはずです」
 そうやって書かせると、これまで使用した3冊のテキストの中には、かなりの動詞が網羅されていることがわかる。
 日本での生活においてはタイ語を使う機会があまり無いと弁解してはいけない。タイ人の友達とタイ語でライン交換すれば、動詞がいやがおうでも必要となる。もちろん、名詞も形容詞もたくさん覚えて使ってほしい。
 さあ、これまでに学んだタイ語のまとめをやってみてください!

沈黙 と 発言

 「沈黙のうちに人は新たにつくり変えられる」(アントニー・デ・メロ著 『心の歌』より)
 これは昔買った本の中に挟まっていたしおりに書かれた文章である。
 騒々しい世の中、ぎすぎすした人間関係。いやになったら、一人静かに沈黙をして思索にふけるのが一番だ。
 しかし、語学を勉強する方達に言いたい。沈黙はだめ。大いに喋り、自分の意見を発言しなければならない。
 そのためには単語の仕込みをやり、表現を覚え、正しい文法のもと、果敢に発言し続けることだ。
 長く勉強しているとマンネリに陥る。それに気づき、自らギア・チェンジをして、語学の面白さをさぐろう!

転勤の季節

 昨晩、「タイ語中級 火曜日19:00」のクラスの授業を手伝った時、生徒のKさんが3月下旬、大阪へ転勤することになったので、泰日文化倶楽部をおやめになるという報告を受けた。残念だが、致し方ない。長い間、タイ語の勉強にいらしてくださり、御礼を申し上げたい。
 3月も半ば。新年度がスタートする4月まであと2週間。多くの方達が日本国内、あるいは、海外への転勤を余儀なくされるであろう。転勤は労力を伴うが、新しい土地で新しい空気に触れることになるから、それはそれでいいことだ。
 私の知人が2月に浜松へ引越しをされ、浜松で頑張っておられる。すると、浜松関連のニュースが以前よりもより多く耳に入るようになった。だが、ニュースはニュースであって、現地の空気を実感するには、自ら当地に足を運ぶことが一番いい。
 生徒のKさんは大阪へ。大阪へ行った折には、彼のタイ語力をチェックしなければ…..。

女医さんのタイ語

 年々、東京にタイ人が増えて来ている。先日会ったタイ女性から、診察を受けた医者が女医さんであり、その方が聴診器をあてながら、「マイペンライ」と言ってくださり、とても嬉しかったと聞かされた。
 この場の状況から言うと、「マイペンライ ไม่เป็นไร(大丈夫)」ではなくて、「マイペンアライ ไม่เป็นอะไร(どこも悪くありません)」というのが正しい。マイペンライは、<気にしないから大丈夫>、という意味で使うものだが、ひるがえって考えれば、日本語の<大丈夫>という言葉自体が、これまた玉虫色だ。しかしながら、私としてはタイ語を話す女医さんの姿勢にエールを送りたい。
 この女医さんは、4つの表現、すなわち、「こんにちは」、「お元気ですか?」、「有難う」、そして、「大丈夫」だけを話すそうだが、たったそれだけでも不安がいっぱいのタイ人にとっては嬉しいものだ。
 語学スクールへ行かなくても、語学は自分で勉強ができる。要は、必要性を感じて、自分で喋ってみようという姿勢が大切だと思う。

一字違いの単語

 昨日、「タイ語上級 日曜日11:30」のクラスで使用するタイ国発行のテキストの中に、「一字違うと、全く異なる単語になるので、言葉はきちんと使いなさい」という内容が有った。
 もっと具体的に言うと、こうである。息子が音楽教室に入りたいということで両親が息子を連れてその教室まで行った時、受付の女性が必要書類の一つとして、「สูติบัตร(出生証明書」を挙げた。しかし、母親は解せない。「何故、出生証明書が必要なのですか?」と問い質す。
 よくよく話した結果、それは「出生証明書」ではなくて、「สูจิบัตร(音楽会のプログラム)」であった。子供が過去において、どんな音楽会に出場したことがあるかを学校側は知りたかったというわけだ。
 「ติ ティ」と「จิ ジ」。一字違うと、全く異なる単語になる。何語でもそのようなことが起きるであろうが、タイ語の学習者は特にタイ語の表記をきちんと勉強しよう。

しらす丼

 昨日、都電に乗ってぶらりと王子へ出かけた。王子駅近くの北とぴあという17階建ての建物の最上階に上り、都内や埼玉の景色を眺める。眼下には飛鳥山公園が…。あと2週間もすれば桜でピンク色一色になることであろう。
 夕方5時近くなったので、早めのご飯にしようと思い、都電の王子駅近くの店に入った。店先の看板に「しらす丼」という文字が目に飛び込んで来たからである。白米にしらすときざんだネギをのせた至ってシンプルな料理。オレンジ色に輝く黄身とたれをかければ、あっというまに食べられた。
 今朝、NHKのニュースを見ていると、「昨日、湘南しらす漁が解禁されました」というニュースが報じられた。それを見て、私は昨日のしらす丼を思い出した。そして、思った。「自分は季節をとらえることに敏感であることよ」、と。この感覚はいつも研ぎ澄ましていたい。

先陣の昔

 昨夕、泰日文化倶楽部の裏手にある茶道具店へ抹茶を買いに行った。前回買った抹茶名は「悠和の白」。今回は違う名前のものをと思い、「先陣の昔」を選んだ。
 「先陣」という単語からは「戦い」のイメージが有る。あまり好ましい単語ではないが、お茶は武士の世界で好まれたものであるため、「もののふの魂」がこの抹茶名に盛り込まれていると思えば、納得。しかも、戦いにたおれた武士達の精神に触れるというのであれば、お茶の味も深くなる。
 今日は6年前に起きた東日本大震災の鎮魂の日。不運にもこの日被災され、天国に召された方々は私達の身代わりになり、多くの教訓を示してくださった。かれらは現代という魑魅魍魎なる戦いの中で、先陣となって斃れた。言葉遊びをするつもりはないが、「先陣の昔」という抹茶を買う時、何故か耳の奥で「先人の昔」とも聞こえた。
 

情景描写

 『新潮 2017.4』を買った。又吉直樹の第2作目の小説である「劇場」(長編300枚)が掲載されているからである。読み始めてすぐに、冒頭部分の情景描写にぐんぐん惹かれて行った。何故ならば、彼が書いている明治通りから表参道の原宿交差点を曲がる辺り、そこは私が毎日のように歩いている場所であるからだ。
 私のように年をとってくると、はっきり言って、その周辺はできることなら歩きたくない。だから、喧噪がいやになると、東郷神社の池へ行って、甲羅干しをしている亀を眺めている。
 又吉直樹の筆力は実に冴えている。情景描写なら誰でも書けるであろうが、そこに必須要素である主人公の心理がねっとりと練り込まれており、一緒に都内を彷徨している気分になった。年齢に関係なく、共感を覚えた。