カンボジア製の靴

先日、3年ぶりに靴を買った。靴はカンボジア製であった。日本製が欲しかったが私の足にあうサイズのものは品切れ。そこでカンボジア製で我慢した。これまでにも何度か買ったことがあり履き心地も良かったので、特に気にするほどのことでもない。

気にする点は、日本の有名メーカーの製靴工場で働いて、カンボジア人達は一体どれだけの工賃がもらえるかということである。私が購入した靴は¥17,000 (消費税抜き)。果たして彼らは何%もらえるのであろうか?

いずれにせよ、縫製がしっかりしており、カンボジア人の技術の高さには感心している。日本人の品質管理が厳しいことは勿論であろう。つい最近、カンボジアがらみで残念な報道が有った。悪事を考える日本人よ、カンボジアに迷惑をかけてはいけない。

 

昔ながらの町名

昨日、鬼子母神からバスに乗り、牛込柳町で降車した。ゆるやかな坂を上っていると、背後から人が来る気配が感じ取れた。そこで私は道を譲った。買物キャスターを持った80代の女性の肩に白杖を持った老紳士が手を置き仲良く歩いていた。老老の助け合いだ。

仕事先へ行くにはまだ1時間弱、余裕が有ったので、大久保通りに置かれた地図の案内板を見て時間をつぶした。牛込や神楽坂周辺は、昔ながらの町名が残存しており風流である。例:弁天町、天神町、山吹町、箪笥町、二十騎町、山伏町、袋町、細工町、納戸町、横寺町、矢来町、、等々。

町名変更は行政の都合で強引にやってはいけないと思う。町名の温存は歴史を守る手段の一つなり。

今日のタイ語作文

1.2日間、洗髪をしていないので、頭が痒くて何度も頭をかく。

2.彼女は眠そうだ。目をこすってばかりだ。

3.鼻がつまっている。だから、口呼吸をしている。

4.歯がぐらぐらしている。抜けそうだ。

5.握力不足のため、ペットボトルの蓋を開けるのに苦労する。

6.目上の人の前で足を組むのは失礼にあたる。

亥の子餅

11月5日、茶道教室で「炉開き」が行われた。炉に炭を入れる儀式である。<火>を取り扱うから、火事を起こしてはならない。よって、昔の人はその反対の考えとして、<水>の存在を念頭に置いた。

そのために11月の炉開きでは「亥の子餅」が供される。中国の陰陽五行説によると、「亥」は水の性質を持っているとのこと。寺院の天井に龍を描き、火事から免れるようにと願う考え方と同じである。

以上は茶道の話。なにはともあれ、「亥」は子孫繁栄を象徴する動物なので、亥の月(現代の11月)の亥の刻(21時~23時)に「亥の子餅」を食べると、1年間を無病息災で過ごせるという言い伝えが平安時代から有るらしい。外国の文化ばかりに浮かれるのではなく、日本の伝統維持も肝要なり。

牛乳配達のミャンマー女性

乳製品の値段が上がったものの宅配はそのままお願いしている。牛乳屋さんをがっかりさせたくないからだ。それに継続は力なり。骨折予防のために牛乳を飲み続けている。

最近、牛乳配達の人が女性に代わった。集金時に話しかけてみると、非常に丁寧な日本語を話す。丁寧すぎて、かえって変。日本人ではないなあ……。そう気づいた私はすぐに尋ねた。「失礼ですが、どちらのお国の方ですか?」

彼女はミャンマーだと答えた。そこで、「ミンガラバー(こんにちは)」と挨拶すると、彼女の堅さが取れるのが見て取れた。集金もしっかりとできた。帰る時、届いたばかりのリンゴを2個、おすそわけして、「タッター(バイバイ)」と私は言った。果たして彼女はどんな気持ちで帰って行ったかしら?

今日の語彙

1. 経済        2.美術

3. 宗教        4.戒律

5. 大学生       6.肘(ひじ)

7. 弟子        8.世紀

9. 特別な       10.信仰

11.敵         12.矢

13.語彙        14.裁判所

15.アソーク      16.シーラーチャー

捕虜と人質

ウクライナとロシアの戦争では捕虜(เชลย)という言葉をたびたび耳にしているが、中東の紛争に巻き込まれた外国人達で逃げ遅れた人の場合は、捕虜ではなくて人質(ตัวประกัน) という言葉があてはまるのであろうか? 捕虜と人質の違いの線引きが難しい。

辞書では、「人質は、交渉を有利にするために、人の身柄を拘束することや、拘束された人の事」と説明している。先月も埼玉県の郵便局で人質事件が有ったばかりだ。これから歳末に向けて、物騒な事件が起きるであろう。

一方、捕虜は、「武力戦争(戦争、内戦等)において敵の権力内に陥った者をさす」と辞書には書いてある。第二次世界大戦直後、四国には捕虜収容所が数ヵ所、存在していたが、四国の人達の捕虜に対する態度はきわめて優しかったそうだ。「お接待の心」は捕虜に対しても分け隔てがなかった。

 

今日の翻訳

『สังคมศึกษา』(สมาน แสงมลิ / เบญจา แสงมลิ共著  ไทยวัฒนาพานิช刊 พ.ศ.๒๕๒๑)の「วัฒนธรรมไทย」から出題する。

1.วัฒนธรรม คือ ความเจริญงอกงามที่มนุษย์ทำให้เกิดขึ้น

2.ชนชาติใดมีความประพฤติดี พูดจาสุภาพ อยู่ร่วมกันอย่างสงบสุข มีขนบธรรมเนียมประเพณีที่ดี  เราก็เรียกว่า ชนชาตินั้นมีวัฒนธรรม

3.วัฒนธรรมเป็นของที่ค่อยๆ เจริญงอกงามมาทีละน้อย และฝังอยู่ในจิตใจของคน ให้ประพฤติ ปฏิบัตินิยมชมชอบในสิ่งที่ดี ที่งาม

4.ชาติไทย เป็นชาติเก่าแก่ มีเอกราชช้านาน พลเมืองมีจิตใจสงบ โอบอ้อมอารี รู้จักรักษาวัฒนธรรมเดิมของตน  และรู้จักดัดแปลงวัฒนธรรมของชาติอื่น ให้เหมาะสมกลมกลืนกับของตน

個人レッスンの回数

泰日文化倶楽部では個人レッスンも受託している。だが、最近の傾向として、生徒の諸事情により、受講回数が以前と比べ半減している。コロナ禍の時は致し方ないと思っていたが、平常に戻った今でも半減のままである。皆さん、勉強する気力が戻らないのであろうか?

これは由々しき問題だ。月1回だけの勉強では学力をつけるのは難しい。どんな習い事も継続が必要。それに加えて学習時間数も多ければ多いほどよい。学習にリズムがつくからだ。月に1回90分だけタイ語を勉強しても学力はつかない。

タイ語を使ってビジネスをするわけでもないから、集中して勉強する必要性を感じないと言われれば反論ができない。いずれにせよ、教える側としては、生徒の上達を見るのが楽しみな故、せめて月2回は教室に顔を出してほしいものだ。

タイ万華鏡

日本好きのタイ人が日本への旅行を繰り返す。この傾向は年々顕著だ。彼らは平均的な日本人以上に日本を観察して楽しんでいる。逆も有り。すなわちタイ好きの日本人がタイの隅々へと足を延ばし、タイが放つオーラにひたって、日本では感じ取れなかった自由を満喫する。そして、ロングステイを選ぶ。

泰日文化倶楽部の生徒達から彼らの経験したタイやタイ人との思い出話を聞きながら、その一つ一つのピースを繋いで行くと、まるで万華鏡の如く映像が多色に展開し、キラキラと輝いて見えるような気がしてきた。

日本人がタイと本格的に貿易を始めたのは日タイ通商条約が締結された1887年前後からである。もちろんアユタヤ時代にも日本人は活動していたが、ここではそこまで遡らないことにする。バンコクに居住した明治の人達が現在のバンコクを天国から俯瞰するならば、果たして如何なる感慨を懐くであろうか? おそらく極天の万華鏡に見えるに相違ない。