お稲荷さん

 先日の昼、鬼子母神近くの鮨屋に行くと、せっせと寿司を握っている大将に向かって、おかみさんが、「Aさんの家には届けますか? Bさんの家はどうしましょうか?」と、いちいち訊いている。手には葉書がいっぱい。すでに宛名書きが終わったようだ。今から届けるとなると年賀状ではない。もしかすると、閉店案内かもしれないと思い、おかみさんが料理を運んで来た時、おそるおそる尋ねてみた。「何の案内ですか?」
 すると、鬼子母神境内にあるお稲荷さんの初午祭の通知だと答えた。「最近はお稲荷さんのお参りが少なくて。若い人は関心が無いんですよね」と、淋しそうにつけ加えた。横から、大将が割って入った。「私は講元をしているんですよ。あの稲荷は鬼子母神よりも前から、鬼子母神境内にあったんだからね。」
 講元と聞いて、大将の顔をしっかりと見た。おかみさんが、「どうかお参りしてください」と言って、私にも葉書をくださった。葉書には冒頭に、こう書かれてあった。「武蔵の国雑司が谷鎮座四百八拾年 鬼子母神の地主神 開運出世武芳稲荷初午御通知」
 大変なお世話をしている講元の鮨屋さんに、どうかお客がたくさん来ますように!

仕事はコツコツ、営々と

昨日、NHKの「小さな旅」で、尾道の向島が紹介された。教え子がそこに住んでいるので、興味を持って見た。瀬戸内風景は私にとって原風景だから、とりたてて珍しくもないが、番組の中で、帆に使う帆布を50年以上、夫婦で織っている工場が紹介された。ご主人は82歳、奥さんは78歳。お二人とも仕事に対してとても意欲的であった。
 「朝起きると、仕事をすることが当たり前になっているので、これからも変わりません」と奥さんは言った。最近は帆布に対するニーズが増えてきているので、彼らはそのニーズにひたすら応えようとしている。
 その工場に、1年前、東京の美術大学を卒業した若い女性がやって来て、ご夫婦の仕事を手伝い始めた。見学に来た時、その工場に魅せられ、移住を決意したそうだ。老婦人と若い娘。ものすごく対照的だ。だが、もしも彼女が後継者になれば、帆布を織る技術は伝承されていく。
 長く仕事をしていると、仕事って、何だろうか? 何歳までやって、何歳でやめるべきか?、ということを考えるが、帆布のご夫婦を見ていると、仕事は日常生活の中にうまく入りきっている。番組では、「櫓」を造るおじさんも紹介されたが、彼も「仕事一筋人間」であった。瀬戸内のおだやかなリズムは、職人の仕事を自然に生かしているようだ。

学ぶのは、謙虚さを忘れないため

 昨日も、多忙な仕事の合間を縫って、台湾青年が個人授業を受けにやって来た。吸収力は抜群でいつも感心しているが、彼の素直さがこれまた実にすばらしく、それが一体どこから来るものかと、いつも不思議でならなかったが、昨日、その理由がわかった。
 「タイ語を勉強する理由は何ですか?」と、もう一度、基礎的な質問をすると、「答えるのはむずかしいです」と言った。それ以上、尋ねると嫌がられる惧れがあると思って、会話は終わった。ところが、授業が終わった時に、理由を教えてくれた。
 「私は仕事でスキルを磨き、仕事がよくできるようになっていくにつれて、自分の中から謙虚さが消えて行くのを感じております。それを防ぐために、何か新しいことを始めて、初心に戻るようにしているのです」
 それを聞いて、私は彼から大事なものを教わったような気がした。生徒として私の前に座っていた彼が、その瞬間、私の師となった。

新しい生徒 vs 古参の生徒

10月と11月に新しく開講した入門クラスは4クラス。「火曜日20:30」、「水曜日13:00」、「木曜日20:30」、そして、「土曜日11:00」の4クラスである。いずれのクラスも仲良く、楽しく勉強してくださっているので、勉強風景を観察しながらほっとしている。彼らの表情を見ていると、解禁されたばかりのボージョレ―・ヌーボーのように見える。初々しくて、若々しいからだ。
 それに比べて、1年、2年、3年とタイ語の勉強を続けて行くと、いろいろな難しさにぶち当たるので、顔の表情から若々しさが消え、深刻そうな趣きを呈してくる。それも当然なり。勉強することで、もっと欲を出せば、目も鋭くなり、皮膚の硬さも増す。
 昨晩、横浜から3年間、真面目に通って来られた女性を表彰した。彼女の学習態度にはいつも頭が下がる。級友とも仲良くし、かつ、心遣いが細やかである。かくして、彼女が所属しているクラスは和気あいあいとして、とても雰囲気がいい。このようなクラスがたくさん出来ることを望んでやまない。

スウェーデン滞在中のボン先生からメール

泰日文化倶楽部でたくさんの講座を担当しておられるボン先生が、11月8日から御主人の出張にくっついて、スウェーデンへ行かれた。生徒のみんなにはメールが届いていたようだが、昨晩、やっと私のところにも来た。文面は生徒に出したものとほぼ同じ内容であったが、私に対するメールには、長期間、授業を休んでいるので迷惑をかけていることの詫びが丁重に書かれてあった。
 代講講師の手配は何とかついている。だが、その代講講師が風邪をひいたりしたものだから、さらなる代講講師を手配するのに大変な思いをしているが、ボン先生への返事には、「マイペンライ・カ。教室はうまくいってます。どうかご心配なきように」と書かざるを得なかった。
 スウェーデンの料理はだいたい想像がついていたので、ボン先生がアジア食材専門店をみつけて、せっせと自炊していることは理解できた。日本で売っているアジア食材よりもスウェーデンのほうが安いのは不思議だと書いてあったが、アメリカでもそのような現象がみられたので、私には不思議ではない。日本の場合、流通コストが高い。特に、東京だとテナント料がべらぼうに高いのが起因していると思う。
 いずれにせよ、ボン先生と御主人は、今日、フランスのリヨンへと向かう。リヨンには、泰日文化倶楽部でタイ語を教えていたノイ先生がおられ、タイ料理店を経営しておられる。ボン先生にはノイ先生のお店を紹介してあるので、近々、美味しいタイ料理にありつけるであろう。

タイシルクのスカーフ

 昨日、フランス語の授業の後、フランス語を習っているY子さんが経営している「ダブルAパニック」へ、店主の出勤に合わせて一緒について行った。店は湯島聖堂の真ん前にあるので、御茶ノ水駅を降りた後、湯島聖堂を通り抜けて行った。孔子の大きな銅像の前を通るたびにいつも孔子の声が聞こえてくるような気がする。「漢字を勉強しなさい。書道をやりなさい」、と。
 店へ行った理由は、クリスマスのプレゼント選びである。デパートで買物をするよりも、知った方のお店にお金を落とすほうがいいという考えを私は持っている。お金が<回りもの>であるならば、お互いに知った方のスキルや品物を求めたほうがいいと思う。
 ところで、私のお目当てはやはりタイシルクのスカーフであった。依然に買ったチェンマイで織られた山繭(やままゆ)のシルクがすばらしかったので、それを買いに行ったが、すでに在庫は無かった。店主曰く、「最近、山繭の生産が落ちているんですよ」
 ほかにもタイシルクがたくさん有ったが、古い織り方のものをわざと選んだ。何故ならば、いずれその技術がすたれて、この世から消えて行くかもしれないと惧れたからである。

HEART KNIT

日曜日に表参道を歩いた時、東京ユニオンチャーチの入口のところでニットの手作り製品が売られていた。興味を覚えて中に入って行くと、それらの製品が東日本大震災で被害に遭った女性達が編んだものであることがわかった。いずれもそれはそれは立派に編まれたもので、プロ級のものであった。私はその中からひざ掛けを買った。自分でも編めるが、寄付に参加したかったからである。
 帰宅して製品についているタグをよく見てみると、大槌の女性(SYさん)が編んだということが、署名でわかった。編み目もすばらしいが、署名の漢字に品と力強さを見た。「ちゃんと前を向いて、しっかりと生きています!」という気持ちが伝わってきた。タグには次なる説明が書いてあった。
 ーー日本全国、アメリカ、ヨーロッパからもご寄附頂いた毛糸を使い、3.11東日本大震災「被災地発!」の全てがハンドメイドの作品を作っています。編み物をすることによって、何もない所から一歩前に進む勇気と希望を貰いました。私達が一目一目心を込めて編み上げた作品。それが「HEART KNIT」です。
 三陸の女性達がアミマーとして、毎日、明るく楽しく編んでいることをWEBで知った。ケネディ大使がアミマー達を訪問しているニュースが流れたが、ちょうど手作り作品を買ったばかりなので、情景がよくわかった。

イタリア人は身振り手振りで話す

 イタリア語が得意で、来年からイタリアへ留学を決めている女子大学生から、昨日、面白いジョークを聞いた。内容は次の通りである。
 「あるイタリアの男が逮捕され、ぐるぐる巻きに体を縛られた。縛られた状態でずっと取調べが行われたが、その男はうんともすんとも全く答えようとしなかった。そんな状態がずっと続いた結果、ついに釈放されることになり、縄をほどくと、途端にペラペラしゃべり始めた。何故、今になってしゃべるんだと詰問すると、体が縛られていたので、手を使って話すことができなかったからであると、その男は答えたそうだ」
 この話を聞いて、私はすかさず笑ってしまった。なるほど、西洋人は身振り手振りで話すのが普通なんだということを思い知らされた。
 それに比べて、タイ語はジェスチャーを使わない。手や体でリズムを取ると、案外、声調もうまく覚えられるかもしれないが、手を振ったり、体を揺さぶったりすると、なんだか欧米人っぽくっておかしなことになる。
 いずれにせよ、声調を体に浸み込ませるには、一人でリズムを取る必要があることだけは十分に自覚しておきたいものだ。

英語教師からアーティストへ転身

昨日、西麻布のギャラリーへ出かけた。新潟在住の親友から、彼女の友人の個展を見に行ってくださいという案内を受け取っていたからである。
 会場で作品にじっと見入っていると、一人の女性が近づいて来た。親友が紹介した作家であった。いろいろ話しているうちに分かったのだが、彼女は元々は高校の英語教師であったそうだ。世界史を教えていた私の親友と教員室で隣りどおしで座っていたとのこと。
 英語教師が何故、アーティストに? 非常に興味を覚えた。英語教師を辞めたのは、ご主人のニューヨーク転勤がきっかけだったようだ。ソーホーへ作品を持ち込んだ様子を熱烈に語る様子を見ると、ニューヨークでアート魂が開眼したのだなあと、私は勝手に想像した。シカゴの美術会員になり、毎年のように出品しておられる話を聞くと、ますます彼女の熱意が伝わってきた。「私、戦前生まれなんですよ」という言葉を聞いて、「すごいなあ。負けてはいられない」と、大いなる刺激を受けた。
 「最初は油絵をやっていたのですが、今は立体のほうが面白くなって。現代は3Dの時代でしょ!」と言われると、彼女のヴァイタリティのすごさに圧倒された。語学教師でのんびりしている場合ではない。

古着屋 と ベトナム人

何も用事が無い時は、早稲田松竹映画館に飛び込むことにしている。昨日も午後から飛び込んだが、ほとんど寝てばかりであった。唯一、起きてしっかりと見たシーンといえば、昨年行ったサンフランシスコの光景だけ。
 2本立ての映画が終わって外に出ると、映画館の反対側に新しくオープンした古着屋をみつけた。中に入ると、かなりの広さが有り、ところ狭しと古着が吊り下げられていた。売っている古着はほとんどが中国製か韓国製。
 古着が発する独特の哀感を感じていると、すぐ近くで若い娘2人がそれはそれは嬉しそうに古着を物色している。まるで、デパートで新品を買うかのごとく。ベトナム人であった。おそらく留学生であろう。これから寒さに向かう折り、しっかりと冬支度をしておきたいのであろう。
 他にも中国人達がいたが、買物かごいっぱいに古着を入れて、レジで待っている。1枚¥300~¥500の洋服を、10枚くらい買うみたいだ。あまりにも安すぎるので、店主はテナント料を捻出できるのであろうかと、余計な心配をしてしまった。
 昨日の雑感=古着屋はアジアの言葉が飛び交う場所なりが