昨日、「第85回 アジア女性のための生け花クラス」が実施された。このクラスは2007年1月からスタートしたので、すでに第8年目に入っている。
アジア諸国から来ている女性達に、しばしの時間、日本の生け花に親しんでもらおうと思って無料開講しているが、昨日は、残念なことに、外国からの女性は一人も参加されなかった。
これまでの経緯を言うと、ミャンマー女性が主流を占めていたが、最近は、ミャンマーからの客が次から次に来ているらしく、東京在住のミャンマー人は接待に忙しいとのこと。特に、ゴッドマザー的存在のSさんは、人一倍、面倒見がいいので、お花を生けているどころではなくなったようだ。
生け花クラスを開講した頃のミャンマーと、今のミャンマーは政治体制が変わったために、人々の動きも変わってしまった。そんなわけで、小さな生け花クラスでさえも、ミャンマー人達の動きがかいまみられる。
せっかく無料開放している「アジア女性のための生け花クラス」。来月は31日に実施予定だが、新しいメンバー(インド? バングラデシュ? ネパール?)の参加を期待したいものだ。
タイ語を学ぶ意欲が湧きました!
最近、泰日文化倶楽部では、個人レッスンを希望される方が多くなった。100%、その方の都合に合わせたレッスンだから、無駄が生じなくて、非常に効果的だ。
御主人がすでにバンコクへ行かれておられるという奥様が、5月上旬の出発を前にして、10回だけ、個人レッスンを受けられたが、いよいよ今日が最後となった。
昨日、私が担当したが、彼女の口から嬉しい言葉が発せられた。
「10回では、到底、タイ語は覚えられません。でも、タイ語を学ぶ愉しさだけはよくわかりましたので、バンコクでしっかりとタイ語を学ぶという目的ができました!」
とにもかくにもこの生徒さんはとびきり優秀な方であった。3人のタイ人講師と私で彼女を指導したが、いずれの先生も驚嘆しておられた。どうやら勉強の仕方を心得ておられる頭脳明晰な方であるとお見受けした。
バンコクでは駐在員夫人として、のほほんとするのではなくて、何かをやりたいという意欲を私にぶつけてこられた。彼女なら3年間のタイ生活を100%、有意義で、かつ、エネルギッシュなものとすることであろう。
Y子さん、タイ語漬けのご旅行を!
今日は金曜日。計画性の良い方であれば、ゴールデン・ウィークを先取りして、今日から海外へ脱出されるはずだ。
日曜日に個人レッスンを受けておられるY子さんも、今晩、マレーシア経由でバンコクへ行かれる。2月のチェンマイ旅行では、タイ人家族の中にどっぷりとつかる体験をされたようだが、結構、疲れたらしく、今回は、バンコクを一人で歩きまわりたいとのこと。
友達がいるのはいいが、日本語が分かるタイ人だと、つい日本語で会話をしてしまう。帰国して旅の反省をすると、タイ語をあまり話していなかったことに気づいたみたい。
そこで、今回の旅行では、ノー・ジャパニーズを貫きたいらしく、どうすればいいかと相談されたので、私は答えた。
「路上で果物売りをしているおばちゃんのマンゴーを買って、その場でむいてもらい、空いているイスに座って行き交う人々を観察しながら、おばちゃんといろいろなおしゃべりをしてみることね」と、勧めた。
よくよく考えてみれば、デパートやコンビニやBTSの駅では、タイ語をしゃべらなくてもすむ。タイ語を勉強している人にとっては、だから面白くない。
せっかくのタイ旅行。タイ語が上手になって帰ってきたいものだ。それには、これまでとは異なる場面を求めて、積極的に話すことをお勧めする。
青空? それとも かさぶた?
706号教室で行われている「タイ語入門 火曜日19:00」のクラスに、昨夜から、タイ人講師のヒカル先生がやって来られた。実を言うと、先週からお願いしてあったのだが、彼女、日にちを間違えたらしく、先週の火曜日はどんなに待っても現れなかった。
このクラスは、昨夜が第4回目の授業であった。そこで、これまで習った単語や表現を使ってヒカル先生と初心者会話をさせるのも有益だと思い、私は教室から出て、806号教室へ行き、「タイ語初級 火曜日19:00」のクラスを手伝った。
30分ほどして、再び706号教室に戻った。生徒達は新人講師ととても楽しく勉強していたので安心した。
やがて、おかしなことが有ったことが分かった。それは、A子さんから懇願されて、底抜けに明るい性格の持ち主の彼女に「ファー ฟ้า (高声)青空」という愛称をつけてあげたのに、ヒカル先生には全く通じておらず、変な顔をされたらしい。
理由は、A子さんの発音が「ファー ฝ้า (下声)かさぶた」になっていたからである。ヒカル先生にしてみれば、「そんな愛称なんて聞いたことがない。吉川先生も変な名前をつけたものだ」と思ったらしい。
私が声調の間違いを指摘すると、ヒカル先生は納得。彼女はものすごく明るい顔をして、大いに笑った。教室にいた日本人一同も爆笑した。
30年前のアシスタント
先日、タイ女性からメールが送信されてきた。名前を見ただけで、すぐに誰であるかはわかった。何故ならば、同じ名前のタイ女性と会うことがなかったからである。
彼女は30年前から数年にわたり、タイ語のアシスタントをしてくださった。メールでは、息子さんが上智大学に入ったこと、そして、上智大学にタイ語の授業があることを知り、講師は誰かしらと見ていると、私の名前をみつけたので、懐かしくなってメールをしたとのことであった。
文面を読んで、私は私でびっくりした。そんなに大きなお子さんがいらしたとは!
私もすぐに返信した。「覚えていますとも。あなたが吹き込んでくださった『タイ語入門』のテキストのテープはいまだに使っていますよ」、と。
テープの時代は終わり、今はCDにしているが、彼女の可愛い声は30年前のままである。
ベトナム語講座の一時休止
昨年2月上旬にベトナム語講座のデモンストレーションを行なった結果、2名の生徒達が本格的に勉強をしたいと申し出られたので、3月から「ベトナム語講座入門」を開講した。
それから1年2ヶ月が経過し、昨日をもって、一時休止に相成った。
理由はベトナム語講師が大学院での授業が始まったため、勉強に専念したいということになったからである。丁度、使用していたテキストも最後まで進んだので、生徒達にも一時休止を納得してもらえた。
泰日文化倶楽部では、「語学塾」という名目のもと、アジアの諸言語を開講してきたが、タイ語を除き、他の言語の場合はいかんせん、生徒数が少なすぎる。したがって、赤字を承知で開講しているが、いつも苦しい限りである。
とはいえ、熱心な生徒がいれば、優秀な講師を探してくるのが私の役割…..。
ベトナム語講師は極めて優秀な人物である。日本語は日本人以上だ。日本語の学習歴は10年になるそうだが、彼女はすでに30年選手に匹敵すると、私は見ている。語学をのんびりと、趣味程度に習っている日本人とは南極と北極くらい離れている。
中学時代の恩師
中学時代の恩師(82歳)が香川県から上京され、教え子達に集合の命令が下ったので、昨日、楽しく歓談した。恩師のお孫さんは東京外国語大学2年生。残念ながら、タイ語専攻ではなかった。
恩師の話し方は昔と全く変わっておらず、声も力強い。私の期を最後に、彼は丸亀商業高校へと転任され、野球部の監督として、丸亀商業を甲子園へと導かれた。野球部の選手の中にはプロ野球選手になって活躍した人もいる。
恩師曰く、「小さな声でなんかやってられん。選手に向かって、ライト! レフト!と、両方に指示を出すには大声でないといけないんだ」
それを聞いて、なるほど、と思った。恩師の話し方や声の大きさは、私の中にも大いに影響されている。さすが、恩師!
健康のため、毎朝5時から丸亀城の周囲を一周しておられるそうだ。意気軒昂たる姿に、散歩中の犬達も飼い主も恐れをなして後ずさりするそうである。
タイ文字が読める高校生
今月から、「タイ語入門 土曜日12:30」のクラスに高校生が入会した。8月にタイの高校に留学する予定だそうだ。土曜日の午前中にも学校があるらしく、泰日文化倶楽部に到着するのは40分遅れの13時10分。そこで、その40分を穴埋めするために、授業後、私が補講してあげている。
前回の第2回目にテキストの中のタイ文字部分を指導すると、しっかりとついてきて、あっというまに一人でも読めるようになった。私はびっくりした。そして、何と教えやすい生徒であろうかと感激した。
それがまぐれではないことが、昨日の第3回目の授業においても実証された。彼は読める! またしても感激! タイ語の世界における”羽生結弦君”だ!
大人の生徒にタイ文字を指導しても、なかなか覚えてくれない。ところが、高校生は説明しなくても読める。何だろう、この大差は?
彼はすでにタイ文字の子音を覚えている。あとは『タイ語入門』に出てくる単語をしっかりと予習してきているらしく、タイ文字に対する好奇心も旺盛だ。
ああ、来週の土曜日が待ち遠しい。彼にタイ語を教えることで、私は幸せそのもの。彼が泰日文化倶楽部に通って来る7月まで、私の喜びは続く….。
タイに会社を作った社長さん
1960年代に大手の日系企業がタイに進出したのが第一次ブームと言われているが、その後、1980年代に第二次ブームがやってきた。1987年の日・タイ修好百周年が契機となっている。そして最近の日系企業の数たるや、もうすぐ10,000社に届く勢いである。
今月上旬、某会社の社長さんが泰日文化倶楽部におみえになられた。「2年前、タイに会社を作りました。片言でもいいからタイ語をしゃべりたいんですが….。プライベートで教えてくださいませんか?」
それを聞いて、彼の願いは本物であると思った。
「そうですか。わかりました。それでは、今月からさっそく始めましょう!」、と、私は応じた。
そして、彼ののスケジュール調整の結果、今日19日がレッスンの初日となった。社長さん(66歳)は見るからに明るい感じの方なので、タイ人とは仲良くやっていける方だと思われる。タイ語が話せるようになると、タイ人達も社長を尊敬し、頑張って働いてくれるはずである。
24時間営業の書店
泰日文化倶楽部が入っているビルの隣りのビルの1階にはHISと書店が店を構えている。その書店は先月から24時間営業を始めた。以前は23時で店を閉めていたのに、24時間オープンとは!果たしてどのくらい客が夜中に本を買うのであろうか?
昨晩、タイ人講師の助手をつとめようと思って、22時まで「タイ語入門 20:30」のクラスを手伝った。帰りに書店を覗くと、立ち読み客が数人いた。本が売れなくなったとはいえ、雑誌ならまだまだ売れるのではないかと思いながら帰宅した。
家に着いた途端、携帯を教室に忘れて来たことに気づく。遅い食事をとった後、教室に戻ることにした。着いたのが23時17分。充電中の電話が鳴っていた。仕事の電話であった。用件を済ませているうちに午前1時半になってしまったので、教室に泊まることにした。
そして、午前5時半、教室を出て書店の前を通りかかった時、果たして客は?….と思い、店の中を道路から見た。すると、客は全くいなかった。書店の事務員が店の奥のほうで、平積みにされた本を手に取り読んでいた。なかなか良いアルバイトだなあと思った。