鎌田 慧著『反骨のジャーナリスト』(岩波新書 2002年)を読んだ。扉裏に書かれた著者の言葉を引用すると、「日本の近現代にあって、権力や時代の風潮にペンで戦いを挑んだ人々から、十人を取り上げる。時代に迎合せぬ彼らの生き方は、<反骨>を忘れかけた現代のジャーナリズムに鋭く問いをつきつけている」と書いてある。
十人の中で、女性はわずかに一人。それは、1911年(明治44年)に『青鞜』を発刊した平塚らいてう(1886-1971)だ。鎌田氏の彼女に対する評価は次の通り。
「らいてうがまず女性だけの手によって雑誌を発刊し、自分たちの発言の場をつくりながら、当時の先進的な女性達を組織していったのは、やはりジャーナリストとしての卓抜な活動だった、と考えることができる」
今の女子大生はリクルート・スーツを着て、就活に明け暮れている。仕事を探すのは人生最大の一仕事かもしれないが、自分を小さな枠に閉じ込め過ぎてはいないだろうか。
「時代の転換期(転形期)には、あたらしい表現が必要とされ、あたらしい表現媒体が準備される。それをつくりだして、らいてうはあたらしい時代のドアをあけた」と分析する鎌田氏。
昨今の新聞も雑誌も、そして、テレビも全く生ぬるい。真の、そして、反骨のジャーナリストの登場がまたれるが、これから先も期待値は低そうだ。
池袋 と フクロウ
池袋の街に対するランキングがものすごく上昇しているそうだ。かつてはイメージが悪いところであったが、大勢の若者達が明るさをもたらしてくれているのが要因らしい。いわゆる純喫茶と呼ばれていたレトロな喫茶店も今年3月末をもって閉店となった。その跡地にはおそらく新しいビルが建つのであろう。
私の家から西武デパートまでは歩いて10分だから、散歩コースだ。その途中に、1階がコンビニ、低層階が老人ホーム、そして、高層階が若い家族が住んでいる建物がある。そこは昔、小学校であった。明治通りに面した敷地の一角には、フクロウの像が立っており、フクロウの足元には、「若者も老人も今を精一杯生きよう」という文字が刻まれている。
写メールで、シンガポールにいるY子さんにこのフクロウ写真を送ると、「自殺防止のためなの?」という返事が戻ってきた。私はそこまで考えもしなかったが、海外から日本を観ると、案外、そのように思われても仕方がないなあと苦笑した。
黄金週間が終わり、今日から日本列島は始動する。学生はどうか五月病を吹き飛ばし、楽しく勉強をしてもらいたい。老人もマイペースで、残された時間を大切に味わって生きて行こう。
フクロウは、「不苦労」に通じるということで、幸せな鳥だとされている。辛くなったら池袋へ行こう!フクロウの像がそこかしこに有りますよ。
「官災」という造語
今朝、5時18分、地震で目を覚ました。かなり大きい。東京では東日本地震以来の震度であったと朝のニュースは報じた。だが、不思議なことに救急車の音が全く聞こえない。近所の皆さんには何ごともなかったということで、まずは一安心。そして、再び、布団の中で体を横たえる。
かくして、普通の朝がやって来た。気象庁の記者会見を聞いていても、あまり危機感がわいてこない。数値を並べた理論的な説明は一般人を納得させ得るようでいて、実はそうではない。人々は理論よりも感情や感覚を重視して生きているから、役人の解説はどう見てもガラス板が間に挟まっているような感じがいつもする。
テレビのワイドショーで、韓国の旅客船沈没と地下鉄事故に対して、韓国の一般人は、政府の対応の不手際に対して、もはや「人災」ではなくて、「官災」であると非難し始めていることを知った。
「官災」という言葉は、今回の一連の事故で造語されたと思われるが、新しい言葉の誕生には非常に現実感が裏打ちされていると感じられた。
目には青葉
最近、散歩途中で見かける花や木々をスマホで撮っているが、いずれの花もきれいだ。帰宅後、『季寄せ草木花 夏(上)』(朝日新聞社刊 中村草田男監修1997年)で、新緑の頃の草花にまつわる俳句にはどんなものがあるのか調べてみた。
(1)「動くもの皆緑なり風わたる」(五百木瓢亭)
(2)「大風に湧き立つてをる新樹かな」(高浜虚子)
これらの句には<雄大なる広がり>が感じられて、すがすがしくなる。
(3)「あらたうと青葉若葉の日の光」(芭蕉)
この句は、あまりにも有名だ。教科書で習った俳句はやはり耳目にしっかりと残っている。
しかし、何といっても次の句が最高!
(4)「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」(山口素堂 江戸時代の俳人)
「エスニック フェスタ」
昨日、御茶ノ水でアジアとアフリカの雑貨店「ダブル・エイジア・パニック」を経営している店主から、ちらしが渡された。
ちらしの内容は、5月11日(日曜日)、小石川の見樹院(注:伝通院の近く)で、「エスニック フェスタ」という催しが行われるというものであった。エスニック関係のフェスティバルは毎週のようにどこかでやっているので、いささか飽きているが、この「エスニック フェスタ」に限っては、これまでのものと違っている特徴が有りそうだ。開催の主旨を記した文面を引用させていただくと、以下の通りである。
「世界には約3000もの民族が存在すると言われています。そのなかには、自治をする権利や平和な暮らしを脅かされている人々も大勢います。日本ではなかなか取り上げられない先住民族やマイノリティの人々の問題に耳を傾け、彼らの大切にする暮らし、伝統や文化に触れてみませんか?」
この催しの中のメインの一つが、『カンタ!ティモール』という映画を監督した女性のトークである。「魔法の言葉をはなすということ ~先住民族の聖なる知恵とめぐり合って~」について、熱く語られるようだ。
新しい電気製品
3月31日、すなわち、消費税が5%最後の日、いろいろな電気製品を買い替えした。勉強机に置くスタンドもLEDになった。すると、以前、使っていたスタンドがなんだか薄暗く見えてきた。蛍光灯を入れ替えれば十分に使えることは使えるが、やはり新しいものがいい。
最近、固定電話をあまり使わないが、3月下旬にバンコクへ電話をかける用事が有った時、どうしてもつながらなかった。国内にもかけたが、発信音が聞こえない。ああ、電話もついに寿命かと思い、31日、電話機も新しいのを買った。
ところが、元の電話機の配線をよく見ると、配線がはずれていることが判明した。NTT用のコンセントにプラグを差し込むと、発信音が聞こえるではないか!
てっきり壊れたものと思い込み、3月31日に買いに走った自分が我ながら傑作であった。
やはり、物というものは常に使用していないと、その状態がわからない。異常に気付くのが遅いと、損をするという教訓を電話機から教えられた。
先日、「タイ人観光客のためのガイドができる人を紹介してください」と頼まれたが、かなりの語学力を必要とすることがわかった。泰日文化倶楽部の皆さん、オリンピックに向けて、タイ語の力を日頃から養成し、6年先の活躍を目指してください。それには、日頃からの学力チェックが必要ですよ。
修学旅行の海難事故
今日から5月。新緑が美しい季節を迎えたものの、気分は晴れない。何故ならば、韓国のセウォル号沈没事件から2週間が経過し、次から次にテレビに映し出される修学旅行生の映像を見ては、ただただ深々と合掌するしかないからだ。
この事件が起きた時、65歳以上の香川県出身者であれば、皆一様に、あの紫雲丸の沈没事故をすぐに思い出したに相違ない。今から59年前の1955年(昭和30年)5月11日、午前6時56分、紫雲丸は濃霧のため、他船と衝突して沈んだ。その時の犠牲者は168名。その内、100名が修学旅行生であった。女子が81名と圧倒的に多かったようだ。
当時、私は小学3年生。高松沖の備讃瀬戸で大きな事故が発生したというニュースは、まだテレビが一般家庭には普及していなかったにもかかわらず、私が通っていた小学校にも伝わり、朝から重苦しい雰囲気に包まれたのをよく覚えている。
それ以降、修学旅行の行く先は四国を出てはならなくなり、高知へ行くことになった。
ネットで調べると、この紫雲丸事故があってから、全国の学校にプールが設置され、水泳ができるようになるよう指導が強化されたらしい。そして、濃霧による衝突事故を防ぐために、本四架橋、即ち、瀬戸大橋の構想が生まれたとのこと。
どんな事故も悲しいが、楽しいはずの修学旅行で前途ある子供達が犠牲になったことは、まことに痛ましい限りである。
「昭和の日」
昨日、祭日ではあったが、大学の授業は実施された。学生は90%、出席していた。
『タイ語中級』の学生達に、「今日は何の日ですか?」と尋ねると、答えが返って来なかった。「昭和の日ですよ」と教えてあげても、あまり反応は無かった。
それもそのはず、皆、平成生まれの若者だからだ。彼らにとって、<昭和>という言葉は、全く関係ないらしい。言われてみれば、昭和生まれの人間が、<大正>という時代を全く知らないのと同じである。
どうにもこうにも会話が先に進まないなあと思っていると、中国からの女子留学生が、「私、昭和生まれです」と答えた。彼女が昭和のことを知っていることはないけれど、書類の上では昭和という漢字を使っているので、彼女だけは昭和という時代と縁が有った。
日本人の学生ではなくて、中国人の学生から反応が有ったこと、そのこと自体に傑作な思いを持った。
生徒さんの写真展
一昨日、関内駅前のビルで開催されている『ハマフォト三人展』を見に行った。三人のアマチュア・カメラマンの一人が泰日文化倶楽部の生徒さん(T氏)で、彼からは毎回、招待されていたのだが、やっと出かけることができた。
T氏のテーマは、「アジアの人々」。写真集に書かれた彼の言葉を次に引用させていただく。
「アジアをこよなく愛し、アジアの国々に住む人々とふれあいながら、現地の生活を時間を見つけては撮り続けています。アジアの風を感じていただけたら幸いです」
T氏は泰日文化倶楽部でタイ語を勉強してかなりの年数になる。一時、転勤で地方へ行っておられたこともあったが、東京に戻ると、またしても泰日文化倶楽部に復学された。
彼の眼を通して写真に残されたアジアの人々は皆、自然体で生きている。そして、営々と生活を続けている。写真の中の子供達はすでにもう大きくなっているはずだ。だが、次なる世代の子供達もおそらく屈託なく生き、そして、年寄りの顔はおだやかであろう……。
もの皆、すべて異なれり
「タイ語上級 日曜日13:00」では、昨年まで中学校の社会科教科書を読んでいたが、半分まで進んだところで、この本はしばらく止めることにした。理由は、記述の仕方、もっと具体的に言うと、文章の構成がほとんど同じ様相を呈していること、そして、活字があまりにも小さいので、気分を変えるために、小学校1年生の教科書に戻ってみることにした。
といっても、最近、市販されている教科書ではなくて、昔の教科書なので、生徒さんにとっては初めてのテキストである。
これを読みながら、昔の教科書の方が今の教科書よりもすばらしいと思うことが多々ある。第一にレベルが高い。そして、段階を踏んで解説しているから、生徒にとっては非常に分かりやすい。そして、具体的な絵がふんだんに描かれているので、字を読むのが遅い子供も何とかついていけるように工夫されている。
教科書というものは、改訂すればいいものとは限らない。昔の方が内容的に充実している場合がある。
昨日は、動植物のことが具体的に紹介されている内容を読んだが、その中に、「もの皆すべて、それぞれに異なります」という文章があった。小学校一年生に教える内容としては、ものすごく深い意味を持つような気がした。
そして、タイの教科書を読んでいると、必ず強調している点は、「相互扶助の精神」だ。果たして皆が皆、人助けをするか否かは結論づけられないが、毎日、教科書の中で学ぶのは頭に残っていいと思う。