休学者 & 復学者

1月7日からスタートした2014年度の授業は今日で2週間が経過することになる。授業は毎日、つつがなく進行していっているが、予想に反して休学者が多い。その理由は以下の通りである。
 1.寒いから春まで休みたい。
 2.目下、リハビリ中なので、1月だけ休みたい。
 3.転職準備中。
 4.引越しで忙しい。
 5.親の介護に集中したい。
 皆さんの理由を聞いて、納得である。
 そうかと思うと、12年ぶりに復帰したいという方がおられる。タイ料理に精通している女性だ。個人レッスンを希望され、しかも、私を御指名だ。タイ料理のレシピをタイ語で読む授業をしようと思っている。

バングラデシュの国旗

去年10月から、「タイ語入門 水曜日13:00」のクラスで勉強しているK子さんは、バングラデシュで数年間、保健栄養士として駐在した経験を有し、今でも毎年、出張でバングラデシュの地方に行かれておられるので、ベンガル語がとてもお上手である。ベンガル語を習いたい生徒がいるならば、是非、先生になってもらいたいと思っている。
 そのK子さんがジュート製の手提げ袋を持って来られた。袋には、日本国旗とバングラデシュの国旗が仲良く描かれていた。とても興味深かったのは、バングラデシュの国旗が、緑の地色の中に赤い丸が描かれており、日本の国旗とデザインが酷似していたからである。
 ネットで調べると、バングラデシュの国旗の場合、赤い丸が中心よりやや左側に位置されており、赤い丸は太陽ではなくて、独立を勝ち取った民衆の血の色であり、緑は緑地を意味していると解説してあった。意匠としてはほかにも異説があるようだが…..。
 K子さんは言った。バングラデシュでは、かつてはジュート製の袋が常用されていたのに、今はビニール袋に代わってしまっています、と。米袋として使われて来たジュートの袋。持っていると、少々、痛いが、エコのためを思うと、存在価値のある袋なのである。

若者の20年後・初老の20年前

大学の講義は先週で終わった。あとは学年末試験をして成績を出すだけである。
 そこで、最後の授業の時、成人式を終えたばかりの学生達に質問した。「あなたたち、20年後を想像したことがありますか? 40歳頃、何をしてると思いますか?」
 だが、返事はなかった。
 次に、社会人として参加しておられる60歳前後の男性2名に訊いてみた。「もし、20年前に戻れるとすると、何をしたいですか?」
 あまりにも唐突な質問でありすぎたのであろうか、やはり回答は得られなかった。
 語学教師としての私は青年達からも初老人達からも、夢を語ってもらいたかっただけである。夢が虚妄にすぎなくてもかまわない。喋ることに意義有り。そのように私は考えているが、日本人って、人前ではしゃべらない体質が染みついているようだ。喋ろうとすると、単語を探し、文章を構成しようとする意識が連続し、脳の活性化が進むので、自然と意欲的になれるのだがなあ…。

紅梅・白梅

昨日の午後、1時間ほど時間が空いたので、泰日文化倶楽部がある高田馬場4丁目を散歩した。教室の裏手のビルは有名な学習塾だ。ピリピリした感じが入口あたりから感じ取れた。さらに進むと、早稲田予備校。ここもこれからが勝負。何故ならば大学受験が近づいているからだ。
 歩いていると、白梅が三輪ばかり、咲いていた。梅の花って、こんなに小さかったかったかなあと思いながら、先発隊として咲いた花をじっくりと眺めた。小さいけれど、存在感をしっかりと主張しているのが印象的である。
 さらに歩を進めると、民家の庭に紅梅と白梅が競うように咲いていた。これはすばらしい。両方の木が互いに相乗効果を上げて、猫の額のような庭を浮世絵の世界に変えている。
 梅の花は咲いた。では、次に咲くのは何? 誰?子供達が遊んでいるのを全く目にしなくなった。みんな、机にかじりついているのであろう。早く受験が終わり、心の中に花を咲かせてほしい。

乾物の効用

 昨晩は遅くまで仕事をして、寒い中、帰宅したので、ビタミン補給のために、お土産に頂いていたタイのドライフルーツを食べた。袋にはマンゴー、パパイヤ、それに、パイナップルの混合であることが、タイ語、英語、中国語、日本語、韓国語、そして、ロシア語で書かれてあった。
 ところで、日本人は栄養に関する話題にものすごく敏感だ。最近、乾物の効用に関して某栄養大学教授が解説しているのを、私も真面目に見た。彼は切り干し大根やひじきがいかに体に良いかを解説していたが、子供達には人気の無い食べ物だ。しかし、高齢になってくると、自然と体が要求してくるから不思議である。
 乾物には長時間かけて蓄積された栄養やビタミン、ミネラルが詰まっているそうだ。今、私の家には、羅臼のこんぶ茶、瀬戸内海のチリメンじゃこ、そして、鳴門のわかめが買い置きされている。これでビタミン・ミネラル不足が解消されるかと思うと有難い。
 最近はいつもブログの最後に教訓めいたものを書きがちだが、今日もそうなることをお許し願いたい。それは、タイ語の勉強も乾物にたとえられるということだ。新鮮な食べ物もいいが、十分に時間をかけて、タイ語のエキスを体にゆっくりと浸透させ、たくさん蓄積させていく必要がある。自分自身が乾物になるのだ。

豆腐屋のおじさん

ここ数日、ものすごく寒い日が続いているため、フジ・テレビが水を使っている人々を取材して回った。魚屋さんは魚を洗いながら、「そりゃあ、冷たいですよ」と言った。しかし、よく売れている魚屋だろう、彼の顔は明るかった。
 魚屋の次に豆腐屋が出てきた。その豆腐屋を見て、あっと思った。店の構えが私がたまに買いに行く近所の豆腐屋に非常によく似ていたからだ。だが、都内の豆腐屋というものはどこも似たりよったりだろうと思い、それ以上は詮索しなかった。
 それから2日後、たまたまその豆腐屋の前を通りかかったので、豆腐を買いながら、おじさんに尋ねてみた。「おじさん、この間、テレビに出ましたか?」 すると、おじさんは首を縦に振った。やはり、この豆腐屋だったのだ。私が豆腐を買う時はおばさんが応対してくれるので、おじさんの顔は知らなかった。しかし、店の構えだけはよく覚えていたので、私の勘は当たっていた。
 豆腐屋の存在は有難い。何故ならば、スーパーで買うパック入りの豆腐はどことなく味気ないからである。それは製造者が見えないからだ。
 これは語学の勉強にも言える。先生について教室で直接習うことは、何かあたたかいものが得られ、それが蓄積していくと、知らず知らずのうちに語学力がついていく。

タイ語を勉強してください!

アジアに進出している元気な企業を特集したNHKのシリーズ番組を2回続けて見ると、タイやベトナム、そして、カンボジアの熱気がムンムンで、羨ましささえ覚えた。日本の技術でホーチミンの人達が美味しい水を飲めるようになったことはすばらしい。何よりも現地の人達がびっくりするくらい驚き、幸せを感じている光景を見ると、水の会社はこれからも大いにアジアに貢献すること間違いなし。
 タイの場合は、美味しいチーズケーキが人気であること、そして、それには北海道の牛乳が使われていることを番組は取り上げていた。私もそのチーズケーキをバンコクで食べたことがあるが、結構いい値段であっただけに、タイ人のフトコロが心配だ。だが、それも杞憂にすぎないのかもしれない。タイ人の中に富裕層がどんどん生まれてきているから。
 いずれにせよ、アジアへ進出する日本企業は多い。いつ出張や駐在の命令が下るかわからない。その時に備えて、是非ともタイ語やベトナム語を勉強しておいてほしい。時間的な余裕が無いかもしれないが、そこは何とか時間を探して、泰日文化倶楽部に習いに来てほしいと願っている。
 昨日、日曜日にもかかわらず、台湾青年が個人レッスンを受けに来た。彼の学習態度は非常に積極的である。「先生は読まなくていいです。僕が自分で読みますから、発音だけ直してください」
 彼の話によると、台湾にはタイ人やインドネシア人がたくさん留学して来ているそうだ。いずれも皆、華僑の末裔だから、中国語は必須なのである。

ดี(良い)という単語のもう一つの意味

タイ語を習い始めてすぐに覚える単語は、ดี(良い)である。何故ならば、สวัสดี(こんにちは)や、สบายดี(元気な)にも、ดีという単語が入っているからだ。
 ところが、このดีには、もう一つの意味があるのを御存知であろうか。いわゆる同音異義語である。
 そのもう一つの意味とは、すなわち「胆嚢」である。冨田竹二郎先生の『タイ日辞典』には、第1番目の意味として、「胆嚢」が挙げられている。「良い」は第2番目に出てきている。
 一昨日、20年もタイ語を勉強している生徒さんと一緒にタイ語の文字の教科書を読んでいると、ดีหมี(熊の胆嚢)とดีงู(蛇の胆嚢)という単語が出てきた。彼女は素直に言った。こんな意味があるとは!それはそうであろう。日常会話で「胆嚢」の話など出てくることはないからだ。
 同音異義語はとても不思議である。どうしてこんなに関連性の無い意味があるのであろうかと首を傾げたくなる。だが、そこを面白がって覚えていくのが語学学習の妙味だ。
 人間にとって胆嚢はなくてはならない大切な器官である。肝臓と十二指腸につながる器官であり、重要な役割を持っている。「良い」と「胆嚢」という両方の意味を持つ「ดี」という単語は、それはそれは深い含みを含有していることを覚えておいてほしい。休み気分が続いたが、タイ語の勉強は今日からと、肝に銘じて頑張ろう。

ボクサーの来訪

昨日の「タイ語入門 土曜日11:00」のクラスは、生徒達に諸事情が生じたために、出席者はわずかに2名であった。2名となると、セミ・プライベートの授業に等しい。参加者は大いにお得感を持ったことであろう。
 タイ人講師と私における情熱的な授業が終わったあと、私は一人、707号教室で座っていた。すると、携帯が鳴った。「ホームページを見ると、土曜日12時半から新しいクラスが始まるそうですね」
 私は答えた。「はい、その予定でしたが、希望者が出なかったため、開講できませんでした」
 「今、新宿にいます。泰日文化倶楽部の授業についてどうしても聞きたいので、これからそちらに行ってもいいですか?」と、彼は言った。
 電話の主を待つこと15分。教室に招き入れて、いろいろと話をした。「生徒が集まらなかったので、開講できませんでした」と正直に話をした。だが、彼は引き下がらない。どうしてもタイ語を勉強したいとのこと。
 彼は精悍な顔をしたキックボクサーであった。来月、タイへ武者修行に出るそうだ。6年間、キック・ボクシングの練習を積んできたが、タイにはまだ一度も行ったことがないので、来月中旬の出発前までにタイ語の基本を把握しておきたいとのこと。
 「わかりました。それでは、あなたのために、土曜日12時30分のクラスを開いてさしあげましょう」と、私は思い切りよく言った。新年早々、私にも闘魂の火がついた。

戻って来た年賀状

今年、出した年賀状が2枚、戻ってきた。1枚は、名宛人が外国へ行ったものと思われるが、もう1枚はどうして戻ってきたのであろうかと首をかしげた。だが、去年の年賀状の筆跡がきわめて危うい感じを呈していたため、もしやと危惧しながら、ネットで調べてみると、やはり…..。
 私の年賀状を受取るべき女性は社会学者として大いに活躍なさった方である。特にアジアの女性の地位に関する研究をしておられた。その彼女が昨年2月に亡くなっておられたとは。
 10歳年上の彼女とは今から46年前、下宿が同じであった。その下宿にはフランス文学の研究者も住んでいて、ものすごくアカデミックな下宿であり、皆で知的な話に花を咲かせたものだ。彼女がタイへ会議に行かれる時には、助言を求められたので、私の知識を提供した。すると、赤坂見付のレストランで美味しいロースト・ビーフを御馳走してくださった。
 彼女は生涯、独身をつらぬき、研究に没頭された。互いにずっと年賀状を交わしてきただけに、戻ってきた年賀状を見ながら、淋しさを覚えた。