สำลัก むせる

タイ小学校教科書2年生向けの保健体育の本『รักสุขภาพ』の中の第9章「ป้องโรค กันภัย」に、”สุขนิสัยที่ดีในการกินอาหาร”(食事における良い習慣)という表題で、10項目の提案がなされている。そのうちの7項目目は「ไม่เล่นหรือคุยขณะกินอาหาร เพราะอาจทำให้สำลักได้」。この文章の中の単語<สำลัก むせる>に、私の目が釘付けになった。

何故ならば、この単語はこれまで一度も使ったことがなかったからである。しかしながら、高齢者の域に達している現在、いついかなる時に水や食物が気管支に飛び込むかもしれない。不安だ。

念の為、『タイ日辞典』(冨田竹次郎編纂 1987)で<สำลัก>を引いて見ると、なんと鉛筆書きがしてあった。どうやら過去に引いたことがあるらしい。まったくもって記憶にない。だが、今回は絶対に覚える自信がある。

 

今日のタイ語作文

1.年に一度、花展を見るため横須賀に行く機会がある。

2.横須賀の雰囲気はまさに基地の街である。

3.年々、アメリカ兵、及び、軍関係者が増えているような気がする。

4.横須賀市民は彼らと上手に共存しており、大きないざこざは無さそうだ。

5.金曜日の夕方、東京に遊びに行く私服姿の兵士達がたくさん電車に乗っていた。

6.英語のヒアリングを高めるためにFEN放送を聞いているが、日本でのマナーについて米兵に注意している。

割稽古(わりげいこ)

茶道に「割稽古」と呼ばれる稽古が有る。初心者の場合、最初から最後まで一気に所作を身に着けることは無理。よって、挨拶の仕方、襖の開け方、袱紗のたたみ方、というふうに、まずは部分的な稽古をするわけだ。

目下、タイ人講師の一人がタイへ帰っておられるので、私が代講している。そこで、いつもとは異なる授業をすることにした。それは生徒達に発音と声調を再確認させること。皆さん、テキストの長い文章を読むのが苦手なようなので、2~3の単語を並べた語句をたくさん発音させ、リズム感を覚えてもらいたいという願いからである。

ひるがえって考えてみるに、これは茶道の割稽古に似ている。部分部分がきれいにできるようになると、次第に全体へと波及し、通してみれば、そこそこ上手になっている。タイ語の勉強も然り。まずは単語をたくさん覚え、語句の発音の響きが良くなれば、文章全体がタイ語のリズムになってくる。

最後の同窓会

昨日、大学時代の最後の同窓会が皇居の緑が一望できるホテルで開催された。区切りのよい80歳で終わりにしようというので私も参加した。「病気と孫の話はしないこと」という条件のもと、出席者全員が2分間スピーチをした。

囲碁、ブリッジ、健康マージャン、茶道、書道、水彩画、コーラス、英会話、野菜作り、等々、いろいろな趣味の話が飛び交った。なかでも奇妙な病気を克服した後、仏像彫刻に目覚めた友の顔は真剣そのものであった。

最後の同窓会では、友情の絆を確認し合い、そして、「今日が一番若い日」という気持ちを持って、これからも前向きに生きていこうという結論になった。その背景には、「老婆と言われたくないわね」という強い拒絶反応があったからである。とはいえ、老いと病が影法師のようについてくる今後、あるがままを受け止めるしかない。

今日の語彙

1. 痰をはく        2. 玉突き衝突

3. 散り散りになる     4. チリチリパーマ

5. つっかえ棒       6. 痛烈な一言

7. 点滅する        8. 癲癇の発作

9. とんがり帽子     10. どんでん返し

11. チャイナート県   12.チュムポーン県 

アパシー(無気力・無関心)

某書を読んでいたら、「アパシー」という単語が出て来た。すぐに”apathy”という横文字が浮かんだ。サルトルやボーボワールの実存主義華やかなりし頃に大学で寮生活を送った世代なので、哲学科の先輩達が誰かの部屋に集まって、深夜まで熱弁をふるっていたのが懐かしい。だが、それも今は昔。

私には哲学的考えは乏しい。しかし、80歳近くにもなると、巷間における無気力、無関心との境目にさしかかっているような気がしないでもない。はて、この先、一体何にアンテナを張り巡らそうか? 

先日、或る哲学者が有料老人ホームに2泊3日で体験滞在をしたネット記事を読んだ。私と同年齢の彼はホームの部屋に閉じこもっていただけで帰宅。つまらなかったと感想をもらしている。哲学塾を主宰している彼は、塾が一番という結論を下した。

書く人多し

昨日は完全オフ。そこで、『文芸思潮 第101号』(編集・発行人の五十嵐勉氏からの寄贈本)を読んだ。五十嵐氏(元生徒)は第200号を目指して、鋭意、頑張っておられる。よって、私もしっかり目を通すことに決めた。

今号には、「第3回全国同人雑誌賞」、「第21回エッセイ賞」、「第20回まほろば賞」と次から次に優秀賞が発表されており、日本全国はもちろん、海外在住者も応募しているから、いやはやその人数たるやすごい。日本人は書くことが好きだ。

この『文芸思潮』には連載物もある。それは斎藤親載氏(元商社マン)の「インド人に学ぶ」という話だ。斎藤氏の履歴を見るとタイにも長く駐在しておられたようだ。従って、インド人のエピソードを書きながらもついついタイ人への考察が重なり、彼の眼は私が聞いたり感じたりする点と見事に一致するのである。

今日の翻訳

『คติชาวบ้านกับการพัฒนาคุณภาพชีวิต』(รองศาสตราจารย์ผาสุก มุทธเมธา/สำนักพิมพ์โอเดียนสโตร์/พ.ศ.๒๕๓๕)の第3章のまとめから出題する。

๑. การละเล่นเป็นกิจกรรมในทางนันทนาการ

๒. ช่วยให้ผู้เล่นได้ผ่อนคลายความเครียด สนุกสนาน ได้ออกกำลังกาย มีทักษะในการเข้าหมู่เข้าพวก ได้เรียนรู้นิสัยของเพื่อนเล่น ฝึกนิสัย น้ำใจเป็นนักกีฬา รู้แพ้ รู้ชนะ รู้อภัย

๓. การละเล่นทำให้ร่างกายพัฒนาสัมพันธ์ไปกับทางอารมณ์ ทางสังคม และทางสติปัญญา

๔. การละเล่นจึงมีประโยชน์ต่อตนเอง และสังคม เป็นพื้นฐานไปสู่การเล่นกีฬาที่สังคมนิยมและต้องการในนามของสโมสร สังคมที่ผู้เล่นสังกัด และในนามของประเทศ เพื่อเข้าสู่สนามของชาติในภูมิภาคเดียวกัน และสู่สนามโลกในกีฬาโอลิมปิก

曽呂利(花入れ)

茶道仲間が不要物を箱に入れ、「ご自由にどうぞ」という紙を添えて、住居のドアの前に置いた。すると、同じ集合住宅に住む女性も真似をして不要物を置いた。茶道仲間はその女性が出した品物の中に、床の間に生ける花入れを見つけたので有難く頂いたそうだ。

その花入れは「曽呂利(そろり)」という部類のもので、首が細長くて胴が丸い形状。一輪挿しにふさわしい。それにしても名称が傑作だ。ネットで調べ、茶道教室でそれを読み上げた。「もともとは金属製(唐銅や真鍮など)の<かねの花入>が発祥です」

「唐銅」を何と読むのか、逡巡していると、茶道講師が助け舟を出してくださった。「唐は、<から>、そして、銅は、<かね>。したがって、<からかね>と読みます」と。茶道は総合芸術だと言われている。まだまだ学ぶべきことが多い。

マックでタイ語

昨日、生徒さんが興奮気味に言った。「教室に来る前にマクドナルドに寄ったらタイ語が聞こえてきたんです。タイ人二人の会話は速くて聞き取れなかったのですが、คนเยอะกว่าปกติ (いつもより人が多いね)だけはわかりました」

それを聞いた私は嬉しかった。彼女のヒアリングの力が知らず知らずのうちについて来ている! 何よりもタイ語を聞き取ろうとする彼女の意欲をほめてあげたい。

さらに高く評価したい点は、彼女が私に質問をぶつけてきたことだ。「ปกติ と ธรรมดา の使い方が今ひとつわかりません」 私は待ってましたとばかり、両方の単語の使い分けを易しく説明した。街中で聞いたタイ語をただ聞き流すのではなくて、疑問をいだく。そうすればその単語や表現が頭に残り、語学力は着実についてくる。