景色とは気色なり

『一色一生』(志村ふくみ著 文春文庫 1987年)の中に、次なる文章が書かれてあった。
 「けしきとは景色–気色のことで自然界の景と気と色とをうまくとりいれることだという。日本の芸術、ことに工芸には一寸言葉では説明のつかない景と気と色があって、外国であったら、調子がくずれたとか、失敗したということになるものを、日本人はほんの少しのずれ、ゆがみ、はみだし、むら、しみ、くずれなど概して均一でないものに対して、鋭い美意識が働き、全体の微妙な均衡の揺れをすばやく美の範疇にとりこむことを心得ている」
 茶道で取り扱う茶碗に対しても、<これは景色がいい>ということをよく聞くが、なるほど、景色とは気色であったのか………。一椀の茶を喫することにより、<気>をしかと躰に浸透させよう。

鼠の耳? 豚の耳?

黄金週間後、授業が再開してから1週間が経過した。生徒の皆さんは、果たして元気溌剌で授業に臨んでいるであろうか? 
 「タイ語中級 土曜日12:15」のクラスで、タイ人講師がタイ料理の話のついでとして、キクラゲを話題にした。キクラゲなら中華料理の定番の食材であるが、彼女はヤムウンセン(ยำวุ้นเส้น)にも入れるそうだ。
 「キクラゲは、タイ語でเห็ดหูหนู 鼠の耳のキノコと言います」と生徒に教えた。生徒は分かった顔をしたが、その5分後に、「เห็ดหูหมู 豚の耳のキノコ」と言ってしまった。それを聞いて、タイ人講師は笑いがとまらないようであった。
 日本人がよく間違える動物は、犬(หมา)と馬(ม้า)だ。声調がどうしてもわからないという生徒が多すぎる。早く音感を磨いてほしい。

象印ステンレスマグ

今日は夜中から仕事が有ったので、そして、午後は教室に寄ったので、ブログを書くのが夕方になってしまった。帰宅時、メールボックスの中にカタログ本が入っていた。3月に亡くなった寮友の御主人からの香典返しのカタログであった。
 冠婚葬祭のたびに、こういうカタログをこれまでに一体、何冊受け取ったであろうか。正直言って、もう選びたいと思う品物が無い。
 しかし、寮友を偲ぶためにカタログをパラパラとめくった。そして、決定した品物は「象印ステンレスマグ」。それを選んだ理由は「タイ製」であったからだ。「タイ製の象印」は私に元気を与えてくれそうだ。
 毎朝お茶を淹れて、そのお茶を入れたステンレスマグをカバンの中に忍ばせ、彼女をいついつまでも偲びたい。

荒物屋の看板娘

近所に荒物屋が有る。私はそこの店を半年に一度の割合で利用している。荒物屋という言葉が若い人達にはわからないそうだから、その意味を書くと、家庭用品が何でも揃う雑貨屋ということ。それならば百円ショップへ行けば安いということになるが、やはり品数と種類が違う。
 私が何故、20年にも亘って近所の荒物屋を贔屓にしているかというと、そこにはいつも看板娘がいるからだ。声がきれいで、ふくよかな女性。彼女は私のことをいつも覚えており、美しい言葉で品良く話しかけてくださる。
 一昨日、その店に行くと、息子さんしかいなかった。「おばあちゃんは?」と私が尋ねると、「先月、ぽっくりと亡くなりました。90歳でした」と、彼は淡々と答えた。それを聞いて、私は看板娘であったおばあちゃんのご冥福をお祈りした。

長崎の物産

以前よりも時間ができたので、外食を減らし、自分で料理を作ることにした。だが、近所のスーパーへ行くと、結局は同じものしか買わないので、気分転換のために、佐世保で八百屋をやっている知人に、月2回の割合で、長崎の物産を送ってもらうことにした。品物はおまかせ。
 第一回目の荷物には、玉ねぎ、人参、じゃがいも、トマト、椎茸、大蒜、アスパラ、ケール、アイスプラント、蒲鉾、ちりめんじゃこ、かたくちいわし、うるめいわし、夏みかんが入っていた。そして、万能だしである「西海の海鮮だし」も入っており、美味しい和食が作れることに感激もひとしおだ。
 何よりも嬉しいことは、遠くの長崎の土地でとれたものばかりだから、長崎の匂いが感じられること。そして、長崎のビタミンをもらって気分はさわやかそのもの。じゃがいものことは、袋に「バレイショ」と書いてあった。古風でよろしい。
 備考:上記に出てきた物産をタイ語で書きなさい。

Kik 先生 有難う

昨晩、「タイ語中級 水曜日18:00」のクラスをご担当後、Kik先生が退職された。今月末にタイへ本帰国されるからである。
 Kik先生は昨年1月から教えに来て下さった。1年と4ヶ月余、貴重な存在として活躍していただき感謝している。来日前にバンコクで日本語を勉強して来られたので、すでによくお出来になっていたが、1年間、真面目に日本語学校に通われたので、さらに上手になった。
 しかしながら、決定的に自信をつけたのは、泰日文化倶楽部に教えに来て、さまざまな年齢層の生徒達と接し、いろいろなことを学んだことだそうだ。
 私にとってKik先生は孫みたいな存在であった。いつも荷物を持ってくれ、そして、腕を抱えてくれた。愛嬌たっぷりのKik先生、タイに帰国後は、あこがれのCAになってくださいね。

新旧世代交代

昨晩、高田馬場駅近くに在るロシア料理店「チャイカ」で送別会があった。泰日文化倶楽部が入っているビルの管理組合で一緒に理事として頑張った仲間のY氏(61歳)が健康上の理由で所有しておられた部屋を売却されたため、お別れの会となった。彼は勝海舟の末裔である。したがって、血気盛んな方であった。自分の主張ははっきりと物申すというタイプなので、私は彼を認めていた。
 「今日でもう、高田馬場に来ることはありません。温泉でも行って、体を治します」
 別れは寂しいが、またいつか連絡が来るかもしれない。そう思いながら高田馬場駅前広場に目をやると、早稲田大学の学生達で広場は埋め尽くされていた。若者の熱気だ!
 帰宅して、『青年時代』(トルストイ 米川正夫訳 岩波文庫 昭和13年初版 昭和35年第6版)をパラパラとめくる。定価はなんと百二十円。

ミンサー織り

 一昨日、お茶の先生が素敵な帯を締めておられた。ミンサー織りというもので、沖縄で織られたものだそうだ。先生が帯の意味を教えてくださった。
 「恋する男性に対して女性が織ったものです。五つのマスは<いつも>、四つのマスは<世>を表わし、併せて<いつの世も>という意味になります」
 帰宅後、ネットで調べてみると、アフガニスタン方面からネパール、インド、中国を経て、沖縄に入って来た織物だとわかった。藍を何度も重ねて染めていたので、<重ねて愛しています>という意味になるとのこと。連続する短い模様はムカデの足で、<足繁く>という気持ちを表わしているそうだ。
 一本の帯にこれだけの気持ちを込めて、せっせと織る女性。美しいお話だ。

泰日文化倶楽部 今日から授業再開

4月29日から5月7日まで黄金週間のため授業をお休みにしていましたが、今日から再開いたします。次なる長期休暇は8月のお盆休みの頃です。これからの3ヶ月間、タイ語の学力向上のため、個々人の努力を期待いたします。
 タイ語が本当に好きなのであれば、寝ても醒めてもタイ語漬け。これが必要なり。
 先月から個人レッスンを受けている生徒に課題を出しました。
 「授業に参加するまでに、テキストを50回、音読して来なさい」、と。
 単語を楽しく覚え、語彙数を増やすのもいいことです。文の構造を知って、タイ作文に応用することも勉強になります。
 いずれにせよ、自分のタイ語力が向上してきたなあと自覚するまで、自助努力を続けてください。

タイ語で考え、タイ語で感じよう

昨日は一日中、数冊の本に目を通して過ごした。その一冊は、『ものがたりの余白 エンデが最後に話したこと』(ミヒャエル・エンデ 田村都志夫[聞き手・翻訳] 岩波現代文庫 2009年)。その中に次なる文章が有った。
 「イタリアをわたしがほんとうに知ったのは、観光客のイタリア語から、徐々に本当のイタリア語に入り込んでいったときで、イタリア語で考え、イタリア語で感じるようになってからです。これが、実は私にとって、なによりも一番大切な体験だった」
 黄金週間も今日で終わりだ。タイへ旅行された生徒達のタイ語が気になる。果たして観光客のタイ語から脱することができたか否か? タイ語で考え、タイ語で感じるようになったであろうか? 徐々に本当のタイ語に入り込んでいくことができるのはいつ? タイをほんとうに知るのはいつ? 自問自答するのもいいだろう。