うるさいガスコンロ

水回りをリフォームした際、ガスコンロも新しくした。お湯を沸かす時、「♪♪♪右コンロ点火します」と女性の声で教えてくれる。そして、ガスを消すと、「♪♪♪右コンロ消化しました」と、また女性の声が聞こえる。だが、機械的な声にだんだん飽きてきた。うるさい。

いや、待てよ。このガスコンロは高齢者向きかもしれない。注意喚起だ。ガスを点けたままやかんを持ち上げると、炎が小さくなる。そして、もう一度やかんを置くと、「炎が大きくなります。注意してください」と言われる。うるさい。

とは言うものの、設置してしまった以上、ガスコンロが壊れるまで付き合うしかない。あと十数年、コンロがお陀仏になるか、それとも、私自身が先にお陀仏になるか……? 微妙だ。

今日のタイ語作文

1.天候不順とはいえ、キャベツの値上がりは異常である。

2.夕方6時過ぎ、弁当店に若者がたくさん並んでいる。

3.最近の弁当は決して安くはない。

4.冷めた揚げ物は美味しくない。それに食材も鮮度が悪い。

5.都会で暮らす独身者は味音痴になりそうだ。

6.配偶者を見つけて二人で楽しく温かい夕食をしたいものだが、現実は厳しい。

開運

昨夜、お会いした方から、松本市の菓匠「開運堂」のお菓子を頂戴した。<真味糖>という銘菓で茶席ではとても好まれている。「大正末期の創作で、鬼クルミや蜂蜜など野趣豊かな素材を用いた独創的な和風タフィーは、信州ならではの風味です」と箱の中の説明書きに書いてあった。

一昨日、「今日の語彙」の出題において、新年に相応しいと思って、「開」の漢字をテーマにした。しかし、私の頭の中に「開運」が抜けていた。「運」というタイ語はいろいろと有るので、皆さんで調べてほしい。

2025年がスタートして10日が経過。良いニュースよりも悪いニュースのほうが多いのは致し方ない。だが、個人の場合には、いろいろな創造力を働かせ「開運」を願おう。そして、面白い「運」を掴み取ろう。

書き初め

書き初めは日本の伝統行事の一つである。年の初めに子供たちが一年の希望をこめて、集中して筆を動かす姿はいつ見てもすばらしい。小さい時から書道を始めると、字の基本のかたちがしっかりと身について一生の宝となる。

今年初めての授業の時に、タイ語の生徒達にも「タイ語で書き初め」を課した。ただし、筆ではなくて、いつものボールペンで。ところが皆さんの手の運びが遅い。年末年始の長い休みでタイ語の感覚が鈍ってしまっていたからである。

元生徒さんからの賀状にこう書いてあった。「今年はタイ語手帳を買ったので、頑張ってタイ語で手帳を書きたいと思います」 彼女はタイ語の基本をしっかりと習得しておられるから、タイ語に対する抵抗が全くなく、いつでもタイ語がすらすらと書ける。

今日の語彙

1.開始     2.開幕

3.開通     4.開発

5.開放     6.開会

7.開拓     8.開業

9.開祖    10.公開

11.展開   12.打開策

遠野からの年賀状

昨夜、個人レッスンに来られた女性が盛岡出身なので、授業の合間に岩手県の話題を振り向けてみた。そして、遠野から送られて来たばかりの年賀状をお見せした。遠野で高校の先生をしている元生徒さんがいることを自慢したかったからである。

元生徒さんは東日本大震災の時、陸前高田で被災している。命だけが助かった。奇跡に近い。何日かが経過して、彼とやっとつながった。被災後、彼の勤務先は岩手県内の内陸部となった。そして今は遠野市で教鞭をとっておられる。

毎年、年賀状には同じ添え書きが記されている。「まだタイの国歌は歌えますよ。ちゃんと暗記してますからね」 彼は朝日カルチャー藤沢教室の時の生徒だ。教室でタイ国歌を斉唱して聞かせてくれた。タイに留学した時の日々を、赴任地である遠野でも決して忘れてはいない。

日本列島 始動!

今日から日本列島が本格的に始動します。といっても、元旦から働いておられる方達も多く、彼らを見て刺激を受けました。ゆるんだ頭と体には刺激が必要!

学習にも小気味いい刺激が有るといいなあと思います。教師からの刺激、仲間からの刺激、そして、通学途中で遭遇する諸々なる刺激、等々。

2025年の泰日文化倶楽部は、今晩、個人レッスンからスタートです。勉強する意欲がいっぱいの女性がやって来られます。楽しみです。

休筆(年末年始のため)

今日から1月5日までの1週間、年末年始のためブログを休筆します。

皆様、2025年も楽しくタイ語を勉強しましょう。

どうか良いお年をお迎えになられてください。

積ん読の効用

水回りのリフォームに際して業者が入って来たため、荷物を2つの部屋に押し込んだ。捨てる時間が無かったというよりも、溜め込むタイプなので致し方ない。問題は本。「そのうちいつか…..」と思って積ん読にしていた本も移動を余儀なくさせられた。移動させながら、その本を購入した時のことを思い出す。捨ててしまえば思い出も消失。よってまた仮置きする。

昨日、最後に残っていたエアコンを設置。電気屋さんに心からの謝意を述べた。そして、早速、『九十三齢春秋』(北林谷榮著 岩波書店 2004年)を読み始める。本の帯にはこう書いてある。「わたしは真っ直ぐに躰を保って、すっすっと歩を運ぶのが好きだ / 他者の心のなかに感銘として残る演技は滅多には生まれない。千にひとつか、万にひとつか」

何故だかわからないが、大先輩方の生き様を記した本が積ん読状態でたくさん待機している。やっと読む時間ができたということは有難い。時空を超えて、いろいろな人生を、多種多様な表現で知ることができるのは積ん読のおかげである。

今日の翻訳

『タイ国語教科書3年生』(พ.ศ.๒๕๒๑)の練習問題に提示されている短文から出題する。

๑. คนทำบาปจะได้รับคำสาปแช่งจากคนทั่วไป

๒. เมื่อมีสงคราม คนจะอพยพหนีไปอยู่ในที่ปลอดภัย

๓. คนโลภมากมักจะลาภหาย

๔. คนเกียจคร้านจะไม่มีความเจริญ

๕. ทหารต่อสู้กับข้าศึกอย่างกล้าหาญ

๖. ฉันไม่ทำความชั่ว