タクシーで敦賀湾までやって来ると、鏡のような海面であった。満潮だ。おだやかそのもの。湾の東側に「人道の港 敦賀ムゼウム」が有った。2時間かけて、敦賀港の歴史を学んだ。
たくさんのチラシが用意されていたが、そこでしか購入できない冊子2部も買った。それは、「人道の港 敦賀 命のビザで敦賀に上陸したユダヤ人難民足跡調査報告」と、「みなとまちの宝 敦賀近代化遺産ガイド」である。
杉原千畝氏に関するコーナーでは、如何に彼が今でもたくさんのユダヤ人達から感謝されているかがよくわかった。
それにしても、敦賀の人々は優しい。敦賀の港の歴史がそのようにさせたに相違ない。チラシのキャッチ・コピーには、「敦賀港だからこそ伝えられる命と平和」と書いてある。
シベリア鉄道でウラジオストクまでやって来たポーランド孤児(1920年)、そして、ユダヤ人達(1940年)。敦賀でもらったりんごやバナナは忘れられないそうだ。