交通・流通 vs 疫病

「非常事態宣言」がどうにかこうにか解除された。だが、いろいろな規制や縛りはまだまだ残っているので、気分はすっきりしない。思い返せば、2月初旬から5月末までコロナ禍で翻弄された。ああ、失われた4ヶ月…..。
 頑張って読書に励んでもみたが、疫病に関する文章に接すると私は異常に反応した。たとえば、『日本社会の歴史(上)』(網野善彦 岩波新書 1997年)に次なるくだりが書いてあった。
 「七三三年(天平五)には、聖武天皇が朱雀門で男女の歌垣を催し、各地を遊覧するなど、宮廷も再び文雅の風を取り戻したかに見えた。また七三七年(天平九)には、活発な植民が行われていた陸奥と出羽とを結ぶ道がひらかれるなど、東北に対する施策も進んでいる。
 ところが、この間、天災による飢饉が各地に起こり、七三五年(天平七)ごろから九州にひろがった天然痘が各地で流行、多くの命を奪ったが、ついにそれは緊密かつ活発になった交通・流通のルートにのって京都に侵入し、七三七年、藤原氏の四人をはじめ、政府の要人のほとんどが病死にいたり、武智麻呂の政権は一挙にしてついえ去ったのである」
 交通・流通のスピード化は、疫病の蔓延に寄与しているとは、なんともはや皮肉な話である。