文化勲章受章、日本芸術院会員であった小倉遊亀さん(1895~2000)に、「~さん」付けはないだろうが、親愛の情をこめてそう呼ばせていただきたい。
古書店で『小倉遊亀 画室のうちそと』(聞き手=小川津根子 読売新聞社 1984年)を買って読んだ。その中に、師と仰ぐ安田靫彦氏に弟子入りを請うた場面が出て来る。
「安田先生ね、いくつだとおっしゃるから、二十七です、といったら、[二十七でよかったな]とおっしゃた。人間も三十を越えると、なかなか心が頑固になって、人の言うことが耳にはいらない。それから自分の悪いところが直せない。まだあなたは二、三年ある。むずかしいかも知れないけれども、人から言われたんじゃなくて自分で自分の悪いところに気がついたんだから、一生懸命にやってください、とおっしゃいました」
小倉遊亀さんは2才から絵筆を持ったそうな。そして、知らず知らずのうちに、一つのタイプができているのを見破った安田氏は、「それにはいっぺん、全部ご破算にしなさい。しかしむずかしいよ、どうしても手慣れた癖が出るからね。それを一度捨ててごらん」と助言されたそうである。