すべての味(สรรพรส)vs  パイナップル(สับปะรด)

 先週、生徒さんから、「パイナップルではない(ไม่เป็นสับปะรดเลย)という表現、ご存知ですか? 不味いという意味だそうですが….」と訊かれた。私は「知りません」と答えた。すぐに辞書で調べると、載っていた。ただし、注意書きがかかれてあった。
「สรรพรส(サッパロット=すべての味)を、สับปะรด(サッパロット=パイナップル)に置き換えて使う人がいますが、本当は間違いです」
 そこで、パック先生に尋ねてみた。「先生はไม่เป็นสับปะรดเลย という表現を使いますか?」
 最初、怪訝そうな顔をした。そして、答えた。「僕は一度も使ったことがありません」 
 それを聞いて、彼が育った家庭環境では使わない表現であることがわかった。
 このような事例は日本語でも見られる。商人の間で「勉強しますよ」と言えば、「まけときますよ」という意味だが、公務員の家で育った人にはわからない。言葉は育った環境によって左右される。