神田川日記(26)

私よりも5日くらい後に入院して来られた女性は、淋しさのせいであろうか、いつも「あーちゃん」と発していた。病室が離れていたので、一体、何を言いたいのかわからなかった。看護師達やヘルパーさん達もわからないようであった。「あんちゃん? かしら」と言っていた。
 そのうち、「あちゃん」とも聞こえるようになった。もしも彼女が「アーチャーン(先生)」と言えば、私は「はい」と答えようと思っていた。
 そして、ある日のこと、彼女が部屋の前でひなたぼっこをしていたので、リハビリ歩行を兼ねて近くまで寄って行った。そして、彼女に手を差し出すと、彼女はとてもうれしそうな顔をして手を出した。我々はついに握手をした。
 彼女の発声は「かあちゃん」が正しかった。だが、遠くにいると、「あちゃん」にしか聞こえなかった。