昨日は一日中、数冊の本に目を通して過ごした。その一冊は、『ものがたりの余白 エンデが最後に話したこと』(ミヒャエル・エンデ 田村都志夫[聞き手・翻訳] 岩波現代文庫 2009年)。その中に次なる文章が有った。
「イタリアをわたしがほんとうに知ったのは、観光客のイタリア語から、徐々に本当のイタリア語に入り込んでいったときで、イタリア語で考え、イタリア語で感じるようになってからです。これが、実は私にとって、なによりも一番大切な体験だった」
黄金週間も今日で終わりだ。タイへ旅行された生徒達のタイ語が気になる。果たして観光客のタイ語から脱することができたか否か? タイ語で考え、タイ語で感じるようになったであろうか? 徐々に本当のタイ語に入り込んでいくことができるのはいつ? タイをほんとうに知るのはいつ? 自問自答するのもいいだろう。