「嗜む」という漢字

昨日、『東洋のかたち』(木村重信著 講談社現代新書 1975年)を読んだ。第一部「生活のかたち」という中に<茶の色と茶碗の美>という考察が所収されており、著者は本阿弥光悦が書いた『本阿弥行状記』を評して、次なる文章を書いてある。
 「本阿弥光悦は愛玩の名器を知人に与え、名もない新しい茶器のなかから自分の趣味にあったものをえらび出したということ、これはかれが本当の茶人であり、また自己の鑑識眼について並々ならぬ自負をもっていたことの証拠である。そしてこのような態度が、売るためにではなく、みずから嗜(たしな)むための茶碗をつくることともなったのである」
 私は、「嗜む」という漢字に接して、非常に面白い組み合わせだなあと思った。「口+老+日」という漢字の組み合わせは、人生そのものを感じる。ネットの時代は便利だが、まことに味気ない。やはり、糊口を凌ぎながら、日々の暮らしを着実に重ね、そして、静かに老いて行けば、いろいろな世界を嗜むことができる……。