哀悼のタイ王国(36)

テレビでは国王が御発案された「王室プロジェクト โครงการพระราชวัง」のことが次から次に紹介された。
「国王はお住まいであるチットラルダ宮殿の敷地内にいろいろな工場を作りました。地方巡幸された折り、子供の体格のことを心配され、仏暦2512年にはミルク工場を起ち上げました」
 仏暦2512年? この2512年という年は、私にとって、とても印象に残る年である。西暦でいうと1969年だ。この年に、私はタイ王国大使館に就職し、毎日、書類番号の最後の数字として、2512という数字をタイプで叩いていた。
 仏暦2512年は、プミポン国王、御歳42歳。国王は40歳から海外へ行かれることをおやめになり、国内の治世に全精神をそそがれた。唯一の例外は、1994年、27年ぶりに、ラオスへ行かれ、タイ・ラオス友好橋の開架式にご出席されただけだとのこと。
 国王は、タイ国民のために、日夜、さまざまな計画(クローンガーン โครงการ)をお考えになられたが、それこそが、「国王として統治すること (ครองราช クローンラート)」にほかならない。