丸亀うちわ と ラオス人研修生

今朝、NHKのニュースを見ていると、丸亀うちわを造る職人が20名しかいなくなり、このままでは伝統がすたれると危惧した職人の一人がラオスから研修生として来てもらった5名にうちわ造りを指導している様子が報道された。ラオスには竹がいっぱい有る。そのことに目をつけたことがすばらしい。
 郷里に帰るたびに思うこと、それは外国人が増えていることだ。アジアから来た研修生達にとって、四国は温暖な地だからとてもいいと思う。特に瀬戸内海沿岸はのんびりとしていながらも、産業に従事する場所が有り、生活もらく。そこそこ貯金も出来る。研修の合間にうどん造りを学べば、ラオスでヒットすること間違いなし。
 いずれにせよ、丸亀とラオスがつながったこと、その思いがけないことが、私にとってはとても興味深い。

国王崩御

プミポン国王崩御。ついにその日が……..。数日前から御容体が芳しくないということが発表されていたので、昨日は一日中、気が気でなかった。
 崩御に関するNHKの報道は短いものであった。タイに関心が無い日本人には一つのニュースでしかなかったことであろう。しかし、タイが大好きな日本人は受け止め方が違う。皆それぞれの心の中で、プミポン国王の偉大さに敬意を表したに相違ない。
 私が翻訳した『王朝四代記』は、1889年から1946年までの間に起きた事象(近現代史)を横糸に、そして、一人の女性の一生を縦糸に織り込んだ物語である。物語の最後は、ラーマ8世が崩御されて悲しみにくれる中、ラーマ9世が新しい御代を切り開いて行くであろう希望で終わっている。その御代は70年も続いた。そして、2016年10月13日午後3時52分、静かに終焉を迎えた。

<気ぜわしい>という単語

先日、茶道教室が終わったあと、先生と生徒4名でいつも行く中華料理店へ行くことにした。その店は人気が高く、夕方5時の開店と同時に入らないと、予約の人が押しかけて来てしまう。
 私が先発隊で行って、息せき切りながら、店員に話しかけた。「5名です。ここの席、お願いします」
 店員はまだエンジンがかかっていない様子。そこで、私はもう一度言った。「ここの席、お願いします。ごめんなさい。気ぜわしそうに言って」、と。 すると、店員が口を開いた。「気ぜわしい? それって、どういう意味ですか?」
 私は驚きながら答えた。「せわしいという意味です。急がしそうに言うことですが」
 店員はれっきとした日本人。若い女性だ。「そんな言葉、聞いたことがありません」と言われると心配になった。世代の相違? それとも、育った環境の違い?

男性の生け花教室

 今朝のテレビ東京「モーニングチャージ」で、男性専用の生け花教室が紹介された。生け花といえば女性、そのように思われている傾向がまだまだ強いので、男性は教室に入りにくいそうだ。だが、紹介された教室では、男性講師のもと、生徒も皆、男性。余計な気をつかわなくて済む。
 「生け花を習うことの利点は?」という質問に対して、「会社でメールを書く際、文章が簡素化されて、わかりやすく書けるようになりました」と、一人の生徒が答えた。
 確かに、生け花は無駄な葉を落とすことが肝心。そして、色をまとめることも大切。疎(そ)の部分と密(みつ)の部分をうまく作り出すこと。要は、間(ま)が肝要。
 ストレス解消に、生け花はとてもいい。四季の花に接するだけで、一年が心豊かに暮らせる。

offering (献金)

 我が家にホームステイしているタイの女の子と彼女のお母さんを案内して、昨日、大学巡りをした。大学だけ行っていると飽きるので、東京カテドラル教会にも寄ってみた。荘厳な雰囲気に、二人とも感嘆しておられた。
 ”offering”と書かれた箱が目にとまった。教会維持に協力してほしいという文面が添えられていた。そこで、私は気持ちを表わした。カトリック教徒ではないけれど、毎週、出講している上智大学がローマ法王庁と大いに関係があるからだ。
 それにしても、”offerring”という単語は素敵な響きがする。「オファーが有った」という表現は、ビジネス界で使うものだが、どこかに打算が働いているような気がしてならない。しかし、宗教界で使うと、人間の本性を問われるような気がする単語だ。

尾道探訪(5)

尾道は2回目であったが、今回はたくさんの発見が有った。向島に渡り、瀬戸内海の人々の生活を見て、おだやかな気分を味わうことができた。M子さんが飼っているヤギは全くのストレス・フリー。うらやましい生き方だ。
 第一日曜日は尾道の商店街で「みんなの台所」というマルシェが開催される日。そこで私もM子さんについて行った。 皆さん、自分達で作ったパンやクッキーを持って来て、生演奏を聞きながら思い思いに販売していた。絵を描くコーナーが設けられ、子供たちが自由に絵筆をふるっている。Uターンではなくて、Iターンでやって来た子育て家族。みんなで力を合わせれば、尾道の町は新しい前進が有ること間違いなし。林芙美子さんがこの光景を見れば、どう思ったことであろうか。彼女は1951年、即ち、今から65年前に48歳で亡くなっている。

尾道探訪(4)

 M子さんは横浜出身。何故、尾道にやって来たのかと尋ねると、「土のある暮らしがしたかったのです。たまたま大学の先輩がやっているNPOの仕事が尾道にあり、その活動に誘われたものですから、ここに定住することを決めました」と、彼女は力強く答えた。
 尾道周辺の島には造船所がたくさん有り、そこにフィリピンやタイからたくさんの研修生がやって来ており、彼女は英語とタイ語の通訳でひっぱりだこだ。
 「先生、尾道でタイ語がこんなに役に立つとは考えてもおりませんでした」と言うM子さんの傍らで、私のほうがもっと驚いた。地方でもタイ語の需要がこんなに有るとは!
 語学は身を助ける。何語でもいいから外国語を勉強していると、その能力を要求される日は必ず来る。

尾道探訪(3)

今回、M子さんの子育てぶりを見ることが第一の目的であったが、初めて見る二人のお子さん達は、元気に育っていた。ご主人が農業関係の雑誌の取材をしておられるので、そして、M子さんも、大地に根付いた暮らしをしたかったということで、二人のお子さん達のお名前は、麦ちゃんと穂君。
 5歳の麦ちゃんは、0歳の時から欧米人のお子さんと遊んでいるから、英語の発音がきれいだ。M子さんの友人であるタイ人がお土産に持って来たというタイ語の絵本が本棚に収まっている。二人の子どもにとって、タイ文字も見慣れたもの。
 麦ちゃんは、宮沢賢治の「雨にも負けず」を全部、暗記している。そして、私の前で暗誦してくれた。私は昔にタイムスリップしたかの如く、聞き入っていた。それにしても、5歳の子どもの暗記力はすごい!

尾道探訪(2)

「すみません。ガソリン入れていたので遅くなりました!」と言って、M子さんが桟橋に現れた。そして、すぐに抱きついてきた。学生時代のままの素直なM子さん。お互いに14年前に戻った瞬間であった。
 向島は想像していたよりも大きかった。洋ランセンターの看板が目にとまった。すると、M子さんは、「それではちょっと寄って行きましょう」と言って、すぐに連れて行ってくれた。洋ランの苗はタイから取り寄せているとのこと。東京の値段の半額であった。庭にはバナナの葉が大きく広がり、黄色い花が咲いていた。まるでタイにいるみたい。温暖を通り越して、熱帯だ。
 向島で一番高いという高見山に案内されたが、瀬戸内海は霧がかかっていた。幻想的な島々。また、来よう。
 M子さんの家は小高い丘の上。リビングから海が見える。その景色が気に入って購入したそうだ。庭にはヤギが草を食んでいる。レモングラスを栽培して、福山市内のタイ料理店に卸しているM子さん。なかなかのやり手だ。

尾道探訪(1)

10月2日午前6時、のぞみ1号に乗って福山下車。それから山陽本線に乗り換えて尾道に着いたのは10時13分。電車を降りると、「昔は帰って来るのが一日仕事だったけど、本当に早く帰れるようになったものだわ」と、どこかの奥さんがご主人に話す声が聞こえた。彼らも東京から来たのであろう。思わず、林芙美子を思ってしまった。彼女は尾道から東京へ行った人だ。
 尾道駅のすぐ近くから渡し船に乗って向島に渡る。M子さんはまだ来ていなかった。桟橋のベンチで座っていると、初老の女性が話しかけて来た。「ご旅行ですか?」 私は答えた。「教え子に会いに来ました。観光は以前、来た時に終わっています」
 私はM子さんにタイ語で電話をかけた。すると、横で聞いていたその女性が、「あら、外国の方だったのね。日本語、お上手ですこと!」と言った。私は尾道で外国人にされてしまった。