独学少女

昨晩、ピカピカ先生が彼女の親友(中学の同級生)を教室に連れて来られた。昨日の朝、成田に着いたばかりだそうだ。来日は3回目。23歳。仕事は個人で日本の漫画やアニメを翻訳しているとのこと。日本語以外にも、韓国語と英語の翻訳も手掛けているとか。
 「日本語はいつから勉強し始めたの?」と、質問してみた。
 「9歳からです」と、彼女。
 「大学は?」
 「行っていません。独学です」、と、彼女は力強く答えた。
 それを聞いて、私は驚いた。日本語、韓国語、英語、すべて独学とは!
 彼女の向学心たるや、若さ故のこと? 彼女の生きる勢いに感服した。

板前という単語

 先日、タイ料理店のコックさんと話をする機会が有った。タイの一流ホテルでシェフをしていたとのことで、ものすごく腕がいいと周囲の人達は親指を立てる。
 コック(กุ๊ก)という単語は、英語だが、タイ語では、男性の場合、พ่อครัว(ポー・クルア=台所のお父さん)、女性の場合は、แม่ครัว(メー・クルア=台所のお母さん)という。
料理長になると、フランス語のシェフを使うようだ。
 ところが、私が話したコックさんは、コックになる前には、หน้าเขียง(ナー・キアング)をしていたという。私はこの言葉を知らなかった。どんな仕事をするのかと尋ねたら、シェフが料理を作るのを手伝う仕事だと説明された。よくよく考えたら、「หน้า(前)+ เขียง(まな板)=まな板の前」は、板前のことだ。
 彼はリゾート地のホテルでもシェフをしていたそうだが、ナー・ハイ(ハイ・シーズン)と、ナー・ロー(ロー・シーズン)が有ったと語った。この場合の「ナー」は、季節を表す。「ナー」は同音異義語でたくさんの意味を有するから、場面をとらえながら覚えていかなくてはならない。

手塚治虫が愛した喫茶店「つかさ」

高田馬場3丁目に有った喫茶店「つかさ」が9月14日をもって閉店した。この店は手塚治虫が愛した店で、そのビルの上には、手塚プロの事務所が有ったところである。
 5月からシャッターが下ろされたままになっていたが、ついに閉店を知らせる貼り紙が出た。
 内容は昭和39年(1964年)から51年間に亘り営業してまいりましたが、父(創業者)が亡くなりましたので、よくよく考えた末、この際、閉店することに相成りました、というものであった。
 多くの老人達に愛されていた店がまたひとつ消えた。
 高田馬場駅前(早稲田口)の山手線ガード下には、鉄腕アトムの壁画が有る。今朝、NHKを見ていると、ノーベル物理学賞に輝く梶田隆章教授のご両親がインタビューで答えておられた。「息子はアトムよりも博士に関心を懐いていました」
 今日、高田馬場へ行ったら、壁画をじっくりと見てみよう。

心電図

昨日、区の無料健康診断に行った。胸部検査OK。心電図の検査は無料ではなかったが、医師の勧めに従い受診。
 毎年行っている医院なので、医師は私のことをよく覚えてくださっている。コンピューターの画面上にここ3年間の私の心電図を重ね合わせながら、「まったく同じですね」とおっしゃられた。私はそれを聞いて一安心した。
 その後、私は思った。語学力の計測や、いかに。もし、私が医師の如く、生徒の学力を測るとするならば、3年間の学力が同じであってはならない。少しずつでも曲線が上向きになり、より向上してもらわないと…..。
 いや、まてよ、1週間に1回、教室に来て、わずか90分の授業を受けるだけであれば、目をみはるような向上は無理、無理。語彙力、会話力が急上昇することはありえない。むしろ、後退、減退させないように、生徒の学力を把握するのが我が務めなり。

邦楽合奏団「まどか」の定期演奏会

昨日、邦楽合奏団「まどか」の第24回定期演奏会を聴きに行った。常任指揮者をしておられるS氏(泰日文化倶楽部の元生徒)から招待状を頂戴したからである。
 この「まどか」は、1988年に産声を上げたそうだから、泰日文化倶楽部と同い年だ。
 演奏された曲目の中に「尺八二重奏曲 遍路」という曲が有ったが、プログラムに書かれてあった作曲者(杵屋正邦)の解説の文章がすばらしいので、以下に一部を引用させていただく。
 「四国路をめぐるお遍路さんは、八十八ヶ所の霊場一巡によって一応その願望は成就されます。音楽の路には辿りつく果てもなく、然も複雑多岐、ともすればその進むべき方向すら見失いがちであります。時に一条の光明道と喜悦して生ける証しの歩を刻まんとするや、たちまち変じて深奥無限の暗黒路と化し、為すに術なく茫然と佇む。楽道とはしかく険阻峻厳なるものと覚えました」

伝統を守るセンダ―おばさん

「タイ語上級 日曜日13:00」のクラスでは、30年前に編まれた小学校4年生の国語教科書を読んでいる。最近読んだ「美しい竹の家 บ้านไผ่สวยงาม」の話はとても示唆に富んでおり、感銘を覚えた。
 あらすじはこうである。とある小村に生まれた少女センダーは幼くして、町に住む伯父さんの家にもらわれていった。しかし、彼女はしばらくして郷里に舞い戻って来た。そして、おばあさんとお母さんから直接、織物の教えを乞うた。綿花を植え、糸を紡ぎ、機織りをし、草木で染める方法をである。
 少女センダーは成人後も村にとどまり、次から次に固有の模様を考案し、美しい布を仕上げていった。それは誰にも追随を許さぬ見事な腕前であった。
 それを聞きつけた日本人がやって来て、ぜひともこの模様を織ってほしいと頼んだ。ところがセンダーおばさんは、「自分は自分で考案した模様しか織りたくない」と言って、日本人の要望を一蹴した。そして、タイ固有の伝統を守り、継承するために生涯を捧げた。
 30年前と言えば、日系企業がタイに進出した第二次ブームの時期に相当する。エコノミック・アニマルと呼ばれた日本人を、賢明なるタイ女性は受け入れなかった。

トイレ修理のおじさん

一昨日、707号教室のトイレが故障した。トイレ修理のおじさんに電話をすると、昨日の午後、やって来てくださった。このおじさんは飄々として優しい方である。
 教室に現れるや否や、「10年前でしたかね」とおっしゃったので、「そんなことありません。5年前でしょう」と、私。いずれにせよ、歳月が経つのは早い。
 「この型の部品、果たしてあるかなあ?」と言われて、ドッキリ。31年前の便器だから、部品調達が心配になってきた。おじさんがどこかから探して来ることを祈るのみである。
 ついでに、806号教室のトイレも診てもらった。何故ならば、チョロチョロと水が流れっぱなしであるからだ。
 おじさんはタンクのふたをあけてから、わたしに訊いた。「カビ取りか、漂白剤、ありますか?」 
 カビ取りをシュウシュウ吹き付け、歯ブラシでこすると、タンクがきれいになった。
 「ちょっとしたカビが、いたずらをするんですよ」、とおじさん。
 都内のマンションのトイレを直しているおじさんは、まるで天職を得たかのごとく、毎日、飛び回っておられる。

算盤(そろばん)

 今週から始まったNHKの朝の連続ドラマ「あさが来た」を見ているが、数々の場面に登場する小道具として、算盤(そろばん)が出てくる。幼い主人公が、「ぱちぱちはん」と呼んでいるのは、なんとも可愛い。
 算盤は、タイ語で「ลูกคิด ルーク・キット」。ลูก(ルーク)は、子供という意味ではなくて、ここでは、丸い玉という意味だ。คิด(キット)は、考えるという意味ではなくて、計算するという意味だ。したがって、「計算する丸い玉」=算盤。
 電子計算機が世に登場した時、驚いた。そして、卓上計算機(เครื่องคิดเลข 機械+計算する+数字)が市販されるようになってからは、算盤とさよなら。
 しかし、小学校で算盤の授業を受けた時の手の感触はいまだに覚えている。人間、手の感触は大切にしたいものである。それには、機械よりも、道具に親しもう!