第89回アジア女性のための生け花教室

 昨日、「第89回アジア女性のための生け花教室」を開催した。2007年1月から始めたこのクラスはすでに7年半になる。昨日もミャンマー女性達は出席しなかった。出席したのは日本女性だけ。国際色に欠けるのが淋しい。
 だが、出席した<やまとなでしこ>達は、皆、熱心に花と取り組んだ。
 2回しか参加しなかったN子さんは1週間後には御主人が待つバンコクへと飛び立つ。買って来た花を単に瓶にポイと入れるだけではなくて、<和の心>を持って、花を生ける喜びを覚えた様子であった。
 華道講師もタイに有る花を選ばれて、指導にあたっておられた。タイの植物は大柄なものが多いから、生け花には適さないが、工夫次第で何とかなる。
 N子さんはこれから8年位、バンコクで生活されるとのこと。是非ともタイの花を花瓶に生けて、生活に彩りと潤いを持ってもらいたい。

「タイ語初級 金曜日19:00」のクラス

 「タイ語初級 金曜日19:00」のクラスは約1年半前からスタートしたクラスだが、最初に入会された生徒達は、1名を残して、それぞれの事情により退会されてしまった。しかし、途中から入って来られた方が1名おられるので、計2名のまま続行している。
 ところが、この両名とも、きわめて多忙な方ばかりなので、どちらかが授業を休む。したがって、1名だけのマンツーマン授業となっている。お二人ともとても真面目で、かつ、紳士的態度で私に接してくださるので、クラスを閉鎖することは考えていない。どちらかがお辞めになる時まで、この金曜クラスは継続していこうと考えている。
 生徒のA氏は全国を飛び回る仕事だと聞いている。そのため、金曜の夜に東京に戻って来ることが間に合わない時が多い。もう一人のT氏も、保険関係の仕事なので、災害が起きるたびに授業の出席率が落ちる。
 広島での大災害。その関連なのか、T氏は昨夜も残業となった。願わくば、日本全国がどうか災害や事故から免れられますように….。

8月の入会者

 8月もそろそろ終わり。昨日の東京は10月上旬の気温であったとか。寒いはずだ。
 泰日文化倶楽部では、8月の入会者が意外にも多かった。何故だろう。不思議、不思議。
 日本人がタイへ行くのが以前より増えた。ビジネスであれ、個人であれ、皆さんよく出かけて行く。タイ語を習おうと決心するまでには時間がかかるが、習うなら早く学校に入ることだ。一人でぐずぐずしていても、前進は無し。
 見学に来られた一人の女性が、翌週から「タイ語入門 木曜日17:30」に入会された。彼女は言った。
 「先生、東京女子大卒でしょ。私、後輩です!」
 それを聞いて、久々に後輩の入会を嬉しく思った。昨日の授業の時、大学の卒業年度を尋ねると、私よりも18歳、後輩であった。
 「女子大卒の女性は、何か(something)を持っています。頑張ってください!」と、激励した。 

時計屋の店主

 腕時計の針の動きがおかしい。よく止まるようになった。おそらく電池切れに違いないと思い、40年来、利用している目白駅近くの時計屋へ行った。
 そこは、店の右側がせんべい屋、左側が時計屋というしつらえになっている。7年位前までは、時計職人を雇っていたが、その職人が病気の奥さんの世話をしなければならなくなって辞めた後は、せんべい屋の亭主が時計を直し始めた。その亭主こそが、実は時計屋のオーナーであった。
 ところが、昨日は、その亭主がいなかった。代わりに応対した中年男性に、私はすかさず尋ねた。「おじさんは?」
 「おじさんはいなくなりました。おじさん=私の父でしたが…..。去年9月、亡くなりました」
 それから以後、彼が時計の電池を換えながら、たくさんの顧客に励まされて、彼が時計を修理することになった経緯を話してくれた。経験はなかったが、恐る恐るやっているうちに何とか修理が出来るようになってきたそうだ。やはり父親の仕事を見て、彼の頭の中にちゃんとインプットされていたわけだ。
 彼は54歳。安い値段を提示してきたが、私は彼の真摯な仕事ぶりに感激し、通常のお金を支払った。彼が立派な職人であることを認めるために。

福井から名古屋へ

 福井駅前にある越前の工芸品を並べた土産店で漆製品の箸や菓子置きを買った。漆の工芸品は鯖江が有名だそうだ。鯖江といえばメガネだと思っていたので、一つ知識が増えた。
 関東から参列した元生徒達とは福井で解散し、皆、それぞれのルートで帰って行った。一人だけ、福井から米原まで同じ特急に乗る生徒がいたが、彼は指定席、私は自由席だから、福井駅のホームで別れた。彼は「米原」を、「こめはら」と読んだので、「まいばら」だと教えてあげた。知らない土地の読み方はむずかしいといえばむずかしい。だが、「米原」なら、新幹線も止まるのだから、これは常識の範囲内。
 私は、名古屋と福井を「特急しらさぎ」で往復した。米原と名古屋は1時間。昔はよく利用した東海道線だが、新幹線を利用するようになってからは縁遠くなっていた。関ヶ原を通り、大垣へ….。電車にはあまり人が乗っておらず、ゆったりとした時間が味わえた。
 だが、名古屋に着くと、もうそこは都会。東京と同じくらい活気が有った。

福井駅前のホテル

 8月23日の朝、福井駅到着。関東から参加した元教え子達と合流して、花婿が予約しておいてくれた駅前ホテルに荷物を預ける。久々に会ったものだから、ロビーで談笑。
 すると、元生徒が「あっ、タイ人だわ」と言った。そこで、横を通り過ぎて行った女性を見ると、なるほど、なるほど。まさしくタイ人だ。福井に来てすぐにタイ人に会うとは!
 一人や二人ではなかった。翌朝、何故、タイ女性達がそのホテルにいるのかが分かった。ベッドメーキングのアルバイトをしているようであった。仕事に来ているとなれば、話しかけることはできない。
 結婚式はなごやかで、素晴らしいものであった。夜、ホテルに20年前の生徒が会いに来てくれた。そして、ご馳走をしてくださった。彼はもう49歳。タイ語を習っていた頃は20代。「先生も40代でしたね」と、彼はつけ加えた。タイ語研修時代の懐かしい話が次から次に出た。

敦賀探訪(2)

 タクシーで敦賀湾までやって来ると、鏡のような海面であった。満潮だ。おだやかそのもの。湾の東側に「人道の港 敦賀ムゼウム」が有った。2時間かけて、敦賀港の歴史を学んだ。
 たくさんのチラシが用意されていたが、そこでしか購入できない冊子2部も買った。それは、「人道の港 敦賀 命のビザで敦賀に上陸したユダヤ人難民足跡調査報告」と、「みなとまちの宝 敦賀近代化遺産ガイド」である。
 杉原千畝氏に関するコーナーでは、如何に彼が今でもたくさんのユダヤ人達から感謝されているかがよくわかった。
 それにしても、敦賀の人々は優しい。敦賀の港の歴史がそのようにさせたに相違ない。チラシのキャッチ・コピーには、「敦賀港だからこそ伝えられる命と平和」と書いてある。
 シベリア鉄道でウラジオストクまでやって来たポーランド孤児(1920年)、そして、ユダヤ人達(1940年)。敦賀でもらったりんごやバナナは忘れられないそうだ。

敦賀探訪(1)

 福井市へ行く前に、どうしても敦賀というところで一泊したかった。敦賀港の歴史を知りたかったからである。
 名古屋から「しらさぎ号」に乗り、敦賀に向かう途中、敦賀気比高校が甲子園での試合で大量得点でリードしていたので、おそらく敦賀市民達はテレビの前で釘づけになっていることと思い、敦賀駅に降り立った。案の定、街は静まりかえっていた。
 ホテルにチェックインした後、「人道の港 敦賀ムゼウム」までタクシーで行った。流しのタクシーは無いということなので、ホテルのフロントから電話をかけてタクシーを呼んでもらった。
迎えに来た運転手さんは女性であった。車中で「女性の運転手さんは多いですか?」と尋ねると、「福井県は夫婦共稼ぎNo.1の県ですよ!」と、とても元気な声が返ってきた。
 敦賀気比高校が4強に入ったので「おめでとうございます」と言うと、彼女は言った。「地元の選手は誰もいません。大阪の方から来た選手が多いから、今ひとつ、敦賀市民は盛り上がっていないんですよ」
 昼下がりの市内は不気味なくらい静まりかえっていた。敦賀原発の停止も影響していることは否めない。原発関連会社の専用駐車場には車が放置され、ゲートは施錠されていた。

今日から福井県へ

 8月23日、福井市で行われる結婚式に参列するため、今日から出発する。結婚式に参加するか否かの打診は5月に有った。その時はすかさずOKしたが、いやはや暑い….。
 一日早めに現地入りしておかないとという懸念が先立ち、前日である今日は敦賀で一泊することにした。
 敦賀ムゼウムを訪れ、昔、ポーランド人孤児や、杉原千畝氏が発給した日本通過ビザを持ったユダヤ人が敦賀港に上陸した様子を展示した博物館を見て来ようとと思っている。
 (23日のブログはお休みし、24日の夜からまた書き始めることにする。)

新規開講クラス 「タイ語入門 水曜日20:00」

 昨日より、「タイ語入門 水曜日20:00」を新規に開講した。受講生はわずかに2名。彼らの熱意にうたれて開くことにしたクラスである。
 しかし、彼らは全くの初心者ではない。男性はタイに4ヶ月、滞在したことがあるので、実用的な単語をたくさん知っておられる。問題は発音だ。声調が我流になっているから、どんどん矯正してほしいと、タイ人講師にお願いをする。
 女性はタイ料理が大好きだということで、料理名を次から次に列挙する。だが、これまた、発音が……。タイ人講師と私で直してあげた。
 二人の顔は次第に本気になってきた。頑張るぞという意欲をみせてきた。12月末までに果たしてどのくらい発音がよくなっているか、楽しみである。