昨日のニュースで、国内最高齢者が大阪在住の女性であることを知った。彼女は1907年(明治40年)4月25日生まれの116歳。大きな病気もせず規則正しく生活して来られたことが長寿の秘訣のようだ。なかなか真似できるものではない。
私が彼女に関心を持ったことは、数々の趣味を経て、詩吟に傾注したことだ。ちぎり絵等の手先で遊ぶことには物足りなさを覚えた彼女。詩吟なら腹式呼吸で発声する故、喉をはじめとして、いろいろな器官を鍛えることにもなる。現在はお経を唱えているそうだ。
昨夜、バイデン大統領の次期大統領選への立候補意志表示のビデオメッセージを聞いた。彼は80歳。以前から彼の発声にはかすれた現象が見られ聞きにくい。今回もそうだ。アメリカ人の喉の鍛え方は何が最適か? 賛美歌、ゴスペル、ジャズ、等であろう。
今日のタイ語作文
1.これは何から構成されていますか?
2.すべてが公正であることを願いたい。
3.文章を校正する仕事は退屈だ。
4.厚生労働省は、昔、厚生省と言っていた。
5.タイへ行く前に医者に抗生物質の薬を処方してもらった。
6.悪の道に陥った少年少女を更生させる方法には何が有りますか?
7.後世の人に残しておくべき事を列挙しなさい。
8.ロシア軍とウクライナ軍とでは、目下、どちらの攻勢が強いですか?
谷渡り
4月22日、「アジア女性のための生け花教室」を実施した。参加者は日本人4名、中国人3名の計7名。各自、生け花を始めた時期が異なるのでレベルはばらばら。いつもであれば初心者は初心者向けの花材、そして、上級者は上級者向けの花材を華道講師が選ばれるが、今回は全員に共通するものがあった。
それは「谷渡り」という羊歯科の葉で、類似したものは中国、台湾、東南アジアにも自生しているそうだ。なぜ、同じ花材を選んだかを講師が説明した。
「生け花を習う人が少なくなると花や葉が売れず、園芸農家は経営的にやっていけません。継続して購入するという約束がないと農家はもう栽培しませんと嘆いてますから、大量に買ってくださいよと花屋さんに言われてしまいました」
それにしても、「谷渡り」という命名は不思議な感じがする。調べてみると、胞子が飛んで行って谷を渡り、他の植物に寄生して発芽することから名付けられたそうだ。植物は谷渡り。そして人生は綱渡り。
レクイエム
先日、新潟から親友が出て来た時、私達は一緒に青春を過ごした寮友達の名前を列挙した。すると不思議なことにそのうちの一人から封書が届いた。テレパシーが通じたようだ
その彼女は府中アカデミー合唱団の団員である。「コロナ禍から解放されたのでまた定期演奏会をします。亡くなった寮監先生、そして寮友達を忍んで、モーツァルトのレクイエムを心を込めて歌います。是非とも聴きに来てほしいです」という手紙とチケットが封筒に入っていた。
レクイエムは、死者の安息を神に願うために、カトリック教会で行われる「死者のためのミサ」で用いられる曲だそうだ。
4月30日は黄金週間で仕事はオフ。もちろんこれまで通り、何回も行った「府中の森 芸術劇場」へ出かけるつもりである。
今日の翻訳
『เมื่อคุณตาคุณยายยังเด็ก』(ทิพย์วาณี สนิทวงศ์ฯ著 บูรพาสาส๋น社刊 พ.ศ.๒๕๒๐)の中の「ไปตากอากาศ」から出題する。
1.ในสมัยเมื่อคุณตาคุณยายยังเด็กอยู่นั้น ถ้าจะพาครอบครัวไปตากอากาศแต่ละครั้ง เป็นเรื่องโกลาหลกันจริงๆ
2.เพราะต้องเตรียมข้าวของใช้มากมายหลายอย่าง นับตั้งแต่ที่นอน หมอนมุ้ง เสื้อผ้า หม้อข้าวหม้อแกง เครื่องครัวสารพัด จึงต้องเตรียมตัวกันล่วงหน้านาน
3.เพราะสมัยก่อน ไปเช่าบ้านพักริมทะเลบ้าง ริมแม่น้ำบ้าง มีแต่ตัวบ้าน ข้าวของเครื่องใช้ผู้เช่าต้องจัดหามาเองททั้งสิ้น มีแต่บ้านให้เปล่าๆ
4.ผู้ใหญ่ทั้งนายและบ่าวก็เตรียมข้าวของกันโกลาหล เด็กๆไม่ต้องเตรียมอะไรเท่าไรนักเพราะผู้ใหญ่จัดการแทนแล้ว
5.แต่ก็มีการตระเตรียมตามประสาเด็กๆ พวกเด็กผู้หญิงโตๆก็มักหาของกินกระจุกกระจิกขบเคี้ยวระหว่างนั่งในรถไฟหรือเรือ เพราะกินเวลานานกว่าจะถึง
モルガン・ユキ
『歴史読本』(新人物往来社 2006年8月号)に「明治・大正を生きた女性人物事典」という項目が有り、64人の女性の一生が簡明に解説されている。その中で、モルガン・ユキ(1881-1963)に興味を覚えた。
彼女は祇園の芸妓の時、来日中のモルガンに見初められ、紆余曲折の後、高額で落籍され結婚。夫とともにアメリカへ(明治37年/1904年)。次いでパリへ移りパリ社交界の花形になった。だが、大正14年(1925年)、夫と死別。「遺言によりアメリカに帰化しようとしたが排日運動に阻まれ果たせず、ニースを居所とし、遺産六十万ドルの利子で生活する」という文章が続く。
私が関心を覚えたのは、次なる文章である。「大正十五年から仏軍士官でカンボジア語の学究タンジールと同棲し、彼の研究費を援助した」
フランスのカンボジア語研究の裏に、なんと日本女性が寄与していたのである!
タイ文字と発音の勉強
先日、タイ人講師の授業が終了後、私が15分間のサービス授業をした。それはタイ文字の確認である。
「กの文字が頭子音に来る単語を列挙してください」と言うと、生徒達が思い思いに答えた。 ไก่(鶏)、 กิน(食べる)、 กุ้ง(エビ)、 กับ(~と)、 ก่อน(~前)。
それを聞いて、それらの単語を並べ変えて、私がひとつの表現にまとめた。「ก่อน กิน ไก่ กับ กุ้ง 鶏とエビを食べる前に」 そして、これを各自に発音してもらった。「ก 中子音」の発音は、カ行とガ行の中間なので、日本人には難しいからだ。
次に、「ข」の文字に進んだ。この文字を使って文章ができた。「เขา ขาย ข้าว 彼は米を売る」
さらに、「ค」や「ง」の単語も列挙し、タイ語では「カ行」で始まる単語が如何に多いかを印象深くまとめた。初心者にとってタイ文字への抵抗感が少しでもやわらいだことを願う。
今日のタイ語作文
1.私は仕事上、タクシーを利用することが多い。
2.一昨日の夜11時頃、タクシーに乗ると、運転手は高齢者であった。
3.「朝何時まで働きますか?」と尋ねると、「朝4時までです」と彼は答えた。
4.「40時間シフトです。20年間、運転していますから、もう慣れています。
5.最初の頃は零時になると眠気に襲われ、車が交番に飛び込んだことがありました」
6.それを聞いて私は恐くなった。つとめて彼に話しかけ、眠らせないようにした。
7.何故ならば、私の目的地は警察署。タクシーごと警察署に飛び込んだら一大事だから。
35年という数字
昨日のニュースで、1988年以来、35年間、公演されて来たブロードウェイのミュージカル「ファントム」がついに最後の日(4月16日)を迎えたことを知った。パンデミックの影響が一番大きかったようだから何とも致し方ない。新しいミュージカルが生まれ、ファンがたくさん戻って来ることを期待するのみである。何よりもミュージカル関係者の仕事が継続されることが肝心。
今朝のニュースでは、1988年4月10日に開通した瀬戸大橋のことを取り上げていた。満35年を迎えた瀬戸大橋! 1960年頃より海底調査を実施していたのを知っている私としては感慨深いものがある。多くの人の知能と労力の結実であるからだ。
いずれにせよ、1988年という年は私にとっても記念すべき年である。泰日文化倶楽部を開塾したのが1988年10月だからだ。あと半年で35年。そろそろ終わり? それとも新たなる始まり? 空気の如くあるがままに行くとするか…..。
目には青葉
目には青葉 山時鳥 初鰹 (山口素堂)
新緑がとても美しい季節になった。思わずこの俳句を思い出した。鎌倉で詠まれたそうだが、鎌倉でなくても、太平洋沿いの場所であればどこでもこの句が生まれそうな気がする。
しかし、大岡信(詩人)の『夏のうた うたの歳時記2』(学研社 1986年)における解釈によればこうなる。 「目のためには一帯の山の青葉、耳のためにはほととぎす、鎌倉の初夏はすばらしい。それさえあるのに、相模の海の名物の初鰹とは、何といい土地柄だろうというのである。初物好きの江戸人の美意識が強く感じられる」
江戸人の美意識か! 東京に住んで59年目になるが、何年経とうが、なかなか到達できない領域、いや領粋(りょういき)である。
