小学校の英語教育

或る小学校教諭から聞いた話である。英語で歌を歌っている段階に於いては生徒達は楽しそうに歌っているそうだ。ところが、YesとかNoとか答えさせて、次に何かを言わせようとすると、ほとんどの子供が口をつぐみ黙ってしまうとのこと。

小学校だから、英語の発音に親しんでさえいればいいのかもしれないが、ネイティブの講師がいることを思うと、ああ、もったいない。そして、教諭は続けて言った。生徒達は英語の勉強が次第に嫌いになっていく傾向にあると…….。それを聞くに及んで、日本人は集団による強制的な外国語学習には向いていないような気がしてきた。

私が住んでいる目白にはキッズのための英会話教室がいくつか有る。中には0歳児から募集しているところも。音感教育? 外から除くと楽しそうな雰囲気が伝わってくる。語学は少人数での勉強のほうがものになる。

 

今日のタイ語作文

1.茶化すのはやめてください。

2.政治は茶番だ。

3.お茶を濁す態度は受け入れがたい。

4.茶々を入れる人は嫌いだ。

5.万事お茶の子さいさい。

6.それは二番煎じだ。

社会の木鐸

夜中に起きて読書をしていたら、「社会の木鐸」という言葉が出て来た。その意味を調べてみると、「精選版日本国語大辞典・世の中を教導し、正す人。社会の指導者。多く、新聞記者を指していった」と書いてあった。

2023年もあと半月余。しかし、ここに至って政治の世界が危機的状況だ。壊れかかっているものはいずれ壊れるであろう。いや、壊れて当然。新しい指導者が早く出て来てほしい。

チェンマイの虫

本のタイトル『いい加減くらいが丁度いい』(池田清彦著 角川新書 2018年)に魅かれて中古本を買った。すると「タイと台湾への虫採り旅行」という記述が有った。

~40年近く前のチェンマイは今と全く違って、市内の交通機関はサムローという3輪の人力車が主で、4輪のタクシー(シーローといった)は乗り合いであった。町の中心部には物乞いがたむろしていた。今は、チェンマイの市内は東京と変わらなく綺麗であるが、綺麗になればなるほど、虫は少なくなった。~

21世紀のバンコクは大型商業施設の乱立だ。とどまるところを知らない。生き物達は一体どういう動きをしているのであろうか? どこへ移動? しかし、ヤモリ(จิ้งจก)だけは天井の壁にへばりつき、人間社会をしっかりと俯瞰している。

今日の語彙

サンスクリット、パーリ語系列のタイ語は文字表記が非常に難しい。今日は最後の音節を線上に書き、単語を完結させよう。

1.2月 กุมภา___   2.数学       คณิต____

3.仏塔 เจ___          4.民主主義   ประชาธิป___

5.博物館       พิพิธ___ 6.娯楽   มหร___

7.著作権  ลิข___  8.経済   เศรษฐ___

9.告白する  สาร___ 10.面接する   สัม___

11.許可する อนุ___ 12.保護する   อนุ___

13.産業  อุตสาห___ 14.事故     อุบัติ___

日本語を教える

昨日、生徒さんから頼まれて彼の奥さんに日本語を教えた。10月に来日したばかりだから、彼女の日本語はこれからだ。しかし彼女には日本語を真面目に習いたい気持ちがとても強い。教えていて教え甲斐が有った。

教えていて気がついたのは、母国語のタイ語の声調が影響するためか、日本語に変な抑揚がつくことだ。なるべく自然な話し方にさせるために、私は何度も同じ文章を発音し、彼女の耳を慣らせるようにした。

彼女は素直に発音を繰り返した。6度目くらいでやっと自然な抑揚になった。しかし、教室を離れると、おそらくまた我流に戻ると思われる。この傾向はタイ語を習う日本人の生徒達にも言えることだ。教室で教師から鍛えられ、それを身につけるには時間がかかる。

ヒュッゲ(デンマーク語)

『挿花』(華道小原流刊行 2021年12月号)に家元がコロナ禍に於けるエッセイを書いておられる。2年前のことだが、その頃は、「おうち時間」とか「巣ごもり」という言葉が流行っていた。世界中へ行かれる家元は、「ヒュッゲ(デンマーク語)」に関する解説を次のように紹介している。

~ヒュッゲ(Hygge)とは、デンマーク語で「居心地のよい雰囲気や時間といった意味を持つ言葉です。北欧の人々が、日々を幸福で豊かに過ごすための考え方で、背景に「背伸びせず、等身大の自分を重んじ、むやみに他人を羨んだり、自分と比較しない」という価値観や思想が凝縮されているそうです。~

なかなかに含蓄の有る言葉だ。「日本語ではぴったりする言葉が無いが、しいて訳せば、快適や幸福が当てはまる」と家元。タイ語だと「สบาย」だな。ものたりないと思うならば、「สบายๆ」と反復してみてはいかが?

今日の翻訳

『เมื่อคุณตาคุณยายยังเด็ก』(ทิพย์วาณี สนิทวงศ์ ฯ / บริษัท การพิมพ์สตรีสาร จำกัด  พ.ศ.๒๕๒๐)の「ยาสีฟัน」から出題する。

1.เมื่อคุณตาคุณยายยังเป็นเด็กๆ อยู่นั้น คนแก่ๆ และไม่แก่ที่กินหมากจนปากเปรอะฟันดำนั้นมีอยู่มากมาย ยิ้มแต่ละครั้งอวดดำมืด

2.พวกนี้ตื่นเช้าไม่สีฟันด้วยแปรงหรือด้วยกิ่งข่อย  แต่เอาเปลือกหมากนั้นสีๆฟัน แล้วอมน้ำขลุกๆบ้วนทิ้ง

3.ไม่ค่อยเห็นความสำคัญของการแปรงฟัน เพราะมัวแต่คิดว่าอมหมากนั้นสำคัญกว่า บางคนอมหมากแล้วนอนหลับไป  เผลอกลืนเอาหมากเข้าไปก็มี  กว่าจะรู้สึกตัวก็เข้าไปอยู่ในท้องแล้ว

4.แต่เด็กๆ ที่ไม่ได้กินหมาก ก็มีแปรงสีฟันใช้กันแล้ว ยาสีฟันสมัยก่อนที่นิยมกันมากที่สุดก็เกลือป่นนี้เอง  ตื่นเช้าขึ้นมาก็เอาแปรงจิ้มเกลือในโถเค็มๆ แปรงฟันจนสะอาด  เกลือนี้รักษาฟันให้ทนทานดี  ทั้งราคาก็ถูก  ซื้อสตางค์เดียวใช้กันทั้งบ้านตั้งเป็นเดือน

5.ยาสีฟันที่เป็นผงๆ ก็มีขาย แล้วช่วยให้ฟันขาวและมีกลิ่นรสพิมเสนหอมดี  น่าใช้กว่าเกลือแต่ต้องเสียสตางค์ซื้อ

去来

茶道に於いて亭主は茶杓の銘を用意して点前に臨まなければならない。毎月、趣向をこらした銘を考えるとなると結構疲れる。しかし、「お道具拝見」の席においては、銘をさりげなく口の端にのせるのが自然体で良い。

12月にふさわしい銘を調べてみると、それはそれはたくさん有った。例)埋火(うずみび)、薄氷(うすごおり)、風花(かざはな)、閑居(かんきょ)、寒燈(かんとう)、去来(きょらい)、寒紅(かんべに)、蓑虫(みのむし)、白鴈(はくがん)、都鳥(みやこどり)、等々。

上記の銘はいずれも初冬を感じさせるものである。人によって好みが異なるであろうから優劣はつけがたい。私の場合は「去来」を選ぶ。2023年の出来事が衝撃的すぎて頭の中は整理がついていない。しかし、ものごとは去り行く。そして次なるものがすぐそこまで押し寄せて来ている。

カフェ チャイハナ光が丘

昨日、光が丘へ行ったので、5年ぶりに「カフェ チャイハナ光が丘」に寄ってみた。閑静な住宅街の中に在るその店は果たしてやっているや否や? 心配しながら行ってみると、「Open」という文字が見えた。だが、玄関で何回も「こんにちは」と言っても、誰も出て来ない。

「部屋の中までお入りください」という案内文を読んだ私は中まで進んだ。亭主は居た! だが腰がかなり曲がり、動きが悪かった。「食事は何もできません。ケーキもありません。それでよければ」と亭主。「では紅茶だけお願いします」と私。紅茶が出て来るまで時間がかかった。そして、なんと冷凍ケーキが出て来た。「売り物ではありません。サービスです。溶けるまで時間がかかりますよ」と彼は言った。

彼と話していると、「こんなに年をとって、いかん、いかん」と言うので、彼の出身地を尋ねてみた。鳥取出身であった。京都大学で西洋史を学び新聞記者になったそうだ。インドネシアに特派員としても行っていた。とてもインテリな方だ。御年83歳。