深川不動尊の大わらじ

昨日、通訳の仕事が午前中で終わったので、帰路、門前仲町の深川不動尊にお参りした。目をひいたのは3mほどもある大わらじ! よく見ると、大わらじに小わらじがたくさんぶら下げられている。いずれも今年の稲わらで作られたものであろう。五穀豊穣なり。

わらじを使った表現の代表格は「二足のわらじをはく」。収入を増やすには二足のわらじ、即ち、二つの職業を持つことが要求されるが、系統の異なる職種である場合に言うそうだ。だとすると、余程の能力に秀でていないと成し得ない。

「金(かね)のわらじでたずねる」の意味は、「根気よく探し求める」、「辛抱強く探し回って歩いても、なかなか手に入らない物事のたとえ」、だそうだ。これを実行に移すのも容易ではない。

今日の語彙

何も見ないですらすらと意味を書きなさい。

๑.  แกะสลัก                     ๒.  กะทันหัน

๓.  ขรุขระ                         ๔.  ขณะนี้

๕.  แคะหู                          ๖.  เคาะประตู

๗.  เจาะหู                         ๘.  จุกจิก

๙.  เหล้าฉุน                     ๑๐.  ถนนแฉะ

๑๑.  ดัดผม                      ๑๒.  ดมกลิ่น

๑๓. แตะต้อง                    ๑๔.  ปีเถาะ

Festina Lente

師走も残すところ10日余となった。以前ほど忙しくはないが、気ぜわしいと言えば気ぜわしい。昨夜は月曜日クラスの生徒達の忘年会に参加し楽しく語り合った。生徒達4名のうち2名が親御さんを亡くされていた。「四十九日が終わっているので大丈夫」と彼ら。そこで杯を交わしながら、政治、経済、文化について、互いに情報交換した。

西洋には「Festina Lente」というラテン語の格言が有るそうな…..。日本語訳は「ゆっくり急げ」。festina=急ぐ、lente=ゆっくり。この2語の並列は矛盾しているようでいて、実はそうではないところがみそなのである。解釈は自由だが、含蓄のある言葉であることだけは間違いない。

シュトーレン

昨日、今年最後の茶道教室に参加した。主菓子は和菓子ではなくて、なんとドイツのパン菓子<シュトーレン>であった。この菓子は1ヶ月も持つクリスマス菓子で、14世紀から食されているそうだ。

調べてみると、「シュトーレンとはドイツ語で<坑道>という意味。パン菓子の形状から命名したが、元々はイエス・キリストの生誕場所のイメージが下敷きにある」というような解説であった。

坑道と言えば、石炭や鉱物の採掘を思い出す。だが、坑道=地下道でもある。地下道は国を問わず、隠密作戦のためにいつの時代にも掘られて来た。掘ったものは使う。しかし、逃げ場無き殺戮場所になることだけはなんとか回避できないものか。

今日の翻訳

『สวยด้วยสุขภาพ』(วาสุเทพ โอศิริ他 สำนักพิมพ์สื่อปัญญา 刊 発行年不記載)から出題する。

1.การถีบจักรยานเป็นการออกกำลังกายที่ดีเช่นเดียวกัน  โดยเฉพาะในท้องถิ่นซึ่งการจราจรไม่คับคั่งจนไม่เป็นที่ปลอดภัยแก่ผู้ใช้รถจักรยาน

2.การถีบจักรยานเพื่อการออกกำลังกายทำได้หลายรูปแบบ  เช่น อาจใช้จักรยานเดินทางท่องเที่ยวเพื่อทัศนศึกษาในวันสุดสัปดาห์ หรือการใช้จักรยานเพื่อสมาชิกในครอบครัวไปพักผ่อนหย่อนใจในสถานที่ต่างๆ  และการใช้จักรยานเพื่อไปซื้อของหรือจ่ายตลาด เป็นต้น

3วิธีการถีบเพื่อให้ร่างกายแข็งแรงอาจทำได้โดยถีบด้วยความเร็วพอควรแต่สม่ำเสมอ หรือถีบช้าๆ สลับกับถีบเร็วๆ เป็นช่วงๆก็ได้

4.ระยะทางที่ใช้ควรไกลพอควร  เช่น ในระยะแรกๆ อาจใช้ระยะทางประมาณ 4ー6กิโลเมตรก่อน  ต่อไปจึงค่อยเพิ่มระยะทางขึ้นหรือเพิ่มความเร็วขึ้นก็ได้

 

イギリスのパブリックスクール

『老いの整理学』(外山滋比古著 扶桑社新書 2014年)の中に興味深い話が有ったので引用する。

「これはイギリスの話だが、昔、名門のパブリックスクールの生徒がゼロになった。それでも学校は閉鎖されることはなかった。教職員はそれまでどおりの給与を受けた。十年の間、学校は守られた。やがてその志が社会に認められて生徒が集まるようになった、という。学校にしっかりした基本財産があったからである。それは寄付によるものである」

この話、泰日文化倶楽部もあやかりたいものだ。だが、その反対に寄付の振込用紙ばかりが届く。

小学校の英語教育

或る小学校教諭から聞いた話である。英語で歌を歌っている段階に於いては生徒達は楽しそうに歌っているそうだ。ところが、YesとかNoとか答えさせて、次に何かを言わせようとすると、ほとんどの子供が口をつぐみ黙ってしまうとのこと。

小学校だから、英語の発音に親しんでさえいればいいのかもしれないが、ネイティブの講師がいることを思うと、ああ、もったいない。そして、教諭は続けて言った。生徒達は英語の勉強が次第に嫌いになっていく傾向にあると…….。それを聞くに及んで、日本人は集団による強制的な外国語学習には向いていないような気がしてきた。

私が住んでいる目白にはキッズのための英会話教室がいくつか有る。中には0歳児から募集しているところも。音感教育? 外から除くと楽しそうな雰囲気が伝わってくる。語学は少人数での勉強のほうがものになる。

 

今日のタイ語作文

1.茶化すのはやめてください。

2.政治は茶番だ。

3.お茶を濁す態度は受け入れがたい。

4.茶々を入れる人は嫌いだ。

5.万事お茶の子さいさい。

6.それは二番煎じだ。

社会の木鐸

夜中に起きて読書をしていたら、「社会の木鐸」という言葉が出て来た。その意味を調べてみると、「精選版日本国語大辞典・世の中を教導し、正す人。社会の指導者。多く、新聞記者を指していった」と書いてあった。

2023年もあと半月余。しかし、ここに至って政治の世界が危機的状況だ。壊れかかっているものはいずれ壊れるであろう。いや、壊れて当然。新しい指導者が早く出て来てほしい。

チェンマイの虫

本のタイトル『いい加減くらいが丁度いい』(池田清彦著 角川新書 2018年)に魅かれて中古本を買った。すると「タイと台湾への虫採り旅行」という記述が有った。

~40年近く前のチェンマイは今と全く違って、市内の交通機関はサムローという3輪の人力車が主で、4輪のタクシー(シーローといった)は乗り合いであった。町の中心部には物乞いがたむろしていた。今は、チェンマイの市内は東京と変わらなく綺麗であるが、綺麗になればなるほど、虫は少なくなった。~

21世紀のバンコクは大型商業施設の乱立だ。とどまるところを知らない。生き物達は一体どういう動きをしているのであろうか? どこへ移動? しかし、ヤモリ(จิ้งจก)だけは天井の壁にへばりつき、人間社会をしっかりと俯瞰している。