福井市へ行く前に、どうしても敦賀というところで一泊したかった。敦賀港の歴史を知りたかったからである。
名古屋から「しらさぎ号」に乗り、敦賀に向かう途中、敦賀気比高校が甲子園での試合で大量得点でリードしていたので、おそらく敦賀市民達はテレビの前で釘づけになっていることと思い、敦賀駅に降り立った。案の定、街は静まりかえっていた。
ホテルにチェックインした後、「人道の港 敦賀ムゼウム」までタクシーで行った。流しのタクシーは無いということなので、ホテルのフロントから電話をかけてタクシーを呼んでもらった。
迎えに来た運転手さんは女性であった。車中で「女性の運転手さんは多いですか?」と尋ねると、「福井県は夫婦共稼ぎNo.1の県ですよ!」と、とても元気な声が返ってきた。
敦賀気比高校が4強に入ったので「おめでとうございます」と言うと、彼女は言った。「地元の選手は誰もいません。大阪の方から来た選手が多いから、今ひとつ、敦賀市民は盛り上がっていないんですよ」
昼下がりの市内は不気味なくらい静まりかえっていた。敦賀原発の停止も影響していることは否めない。原発関連会社の専用駐車場には車が放置され、ゲートは施錠されていた。
今日から福井県へ
8月23日、福井市で行われる結婚式に参列するため、今日から出発する。結婚式に参加するか否かの打診は5月に有った。その時はすかさずOKしたが、いやはや暑い….。
一日早めに現地入りしておかないとという懸念が先立ち、前日である今日は敦賀で一泊することにした。
敦賀ムゼウムを訪れ、昔、ポーランド人孤児や、杉原千畝氏が発給した日本通過ビザを持ったユダヤ人が敦賀港に上陸した様子を展示した博物館を見て来ようとと思っている。
(23日のブログはお休みし、24日の夜からまた書き始めることにする。)
新規開講クラス 「タイ語入門 水曜日20:00」
昨日より、「タイ語入門 水曜日20:00」を新規に開講した。受講生はわずかに2名。彼らの熱意にうたれて開くことにしたクラスである。
しかし、彼らは全くの初心者ではない。男性はタイに4ヶ月、滞在したことがあるので、実用的な単語をたくさん知っておられる。問題は発音だ。声調が我流になっているから、どんどん矯正してほしいと、タイ人講師にお願いをする。
女性はタイ料理が大好きだということで、料理名を次から次に列挙する。だが、これまた、発音が……。タイ人講師と私で直してあげた。
二人の顔は次第に本気になってきた。頑張るぞという意欲をみせてきた。12月末までに果たしてどのくらい発音がよくなっているか、楽しみである。
3ヶ月が勝負
山東省青島から留学して来ているKさんはとても優秀である。最近、彼女と食事をする機会が有ったので、いろいろと質問してみた。
「山東省で穫れる果物は何ですか?」
「西瓜とリンゴです。それに桃」
「青島ビールが有名ですよね」
「第一工場で製造されたビールはおいしいです。第二工場のビールはまあまあ」
「ところで、あなたの日本語は全くくせがありません。日本人と同じ日本語です。日本に来てからどのくらいで日本語がわかるようになりましたか?」
「3ヶ月でわかるようになりました」
それを聞いて、びっくり。語学は3ヶ月が勝負だ。
今日から授業再開します!
泰日文化倶楽部は今日から、授業を再開いたします。12月下旬の冬休みまでの4ヶ月、休みなく授業を実施いたしますので、マイペースで勉強にいらしてください。
今日のトップバッターのクラスである「タイ語中級 火曜日11:30」は、見るからにマイ・ペースの方達ばかり。とても楽しく勉強しておられます。午後からは古参のクラスが2つ続きます。そして、夜はタイ語入門が2クラスと、タイ語初級が2クラス。皆さん、仲良く勉強しておられるので安心しております。
泰日文化倶楽部の生徒達は、いずれも皆、のんびりしています。そうですね、焦ったところでどうしようもないですから。願わくば、こつこつと勉強し、長く通って来ていただきたいものです。
Street Jam
昨日、タイ語の個人レッスンを受けている台湾青年からご招待を受けて、「第15回 Street Jam」というダンスの発表会に行った。
主催者は、BEAT BOXを主宰する工藤貴弘氏。安室奈美恵やAKB48のダンス指導をしている方である。
出演した男女比は男性が3、女性が7といった感じであった。いやはや、若者パワーのすごいこと。 特に女性の動きには圧倒された。若者にとっては、狭い部屋で語学を勉強するよりも、ダンスのほうがはるかに面白いことがよくわかった。
公演後、台湾青年とロビーで会った時、たまたま隣りにいた工藤氏を紹介された。「彼、中国語もできますよ」、と。
それを聞いて、なるほど、だから中国人の心もつかめるのだなあと思った。
日本赤十字病院の診療費領収書
若者のストリート・ダンスの公演を2時間、真面目に見たところ、私には照明がどぎつかったらしく、その時は気がつかなかったが、元生徒さん達との夜の会合が終わる頃、急に頭が痛くなった。
心配した皆さんが、是非とも病院へ行ったほうがいいというので、レストランから近くて急患を受け入れる病院を探し出してくれた。病院は、日本赤十字医療センター。
問診の結果、念のためにということで、頭のCTを撮った。特に異常がなかったので、薬ももらわずに帰宅した。
翌日、日赤病院の領収書を見てみた。すると、すべて英語訳付きであった。私が感心したことは、赤十字の創設者であるアンリ・デュナンの言葉が裏面に書かれていたことであった。
「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である。人間同士としてその尊い生命は救われなければならない」
尾道の真珠さん
結婚以来、ご主人の仕事の関係で尾道に住んでおられる真珠さんから暑中見舞いの絵葉書が届いた。絵は彼女の自宅で栽培した麦を友人のアーティストが描いたものであった。
「อาจารย์โยชิกาวา、お元気ですか? 私はタイ人研修生の通訳と、フィリピン人研修生の英語通訳の仕事が増えてきました。技能講習です。吉川先生とお話したくなることが度々あります。次回、東京へ行った際には是非お会いできたらと思っています。先生も、万が一、尾道近辺にお越しの際は、是非ともご連絡をくださいね。いろいろとご案内したいです。暑い日が続きますが、ご自愛くださいませ」
東京つ子である真珠さんが、すっかり瀬戸内の生活に馴染んでいるようで一安心。彼女の場合、日本の田舎に行こうが、タイの地方に行こうが、そして、インドに住もうが、全く関係ない。持ち前の行動力と語学力で、周囲の人達を明るく抱擁するパワーを持っている。
瀬戸内でタイ語や英語の通訳をするということは、瀬戸内沿岸にタイ人やフィリピン人が働いていることになる。たしか造船関係だと聞いたことがある。
昨日は、浜松の海でベトナム人が亡くなった。そして、千葉の銚子ではタイ人が飲酒運転をして、日本人が亡くなっている。もはや、日本全国、どこにでも外国人が住むようになった。犯罪も事故も外国人がらみが多い。少しでもお役に立てるよう、語学力をつけておこう。
捕虜第一号
アジア文化社からいつも謹呈本が送られて来る。編集・発行人である五十嵐勉氏は昔の生徒さんだ。
『文芸思潮』(第55号 2014年4月発行)の中に、岸積氏(元徳島新聞論説委員長)が書いた「生き残った真珠湾攻撃士官 坂巻和男」というドキュメントが掲載されていた。
そこには、真珠湾攻撃の際、特殊潜航艇に乗っていた酒巻少尉(徳島県出身)が開戦2時間前に米軍に見つかり、<捕虜第一号>になってしまったことの経緯が書かれている。この話は戦後になるまで日本国民に知らされることはなかったそうだ。
さて、捕虜第一号となった坂巻少尉は、やがて捕まって来た捕虜達と共に、収容所を転々とさせられ、行き着いた先がウィスコンシン州のマッコイ収容所であった。捕虜になってからの2年間、彼は戦陣訓を守り通すために、沈黙し、正座謹慎を続けた。米側は困惑して、「欲しい物があれば言え、何でも支給するから」と言ったところ、彼は初めて、「毎日の新聞、筆記具、辞書などの図書」を要望。それから以後、彼は所内の学校で開かれる教育講座を欠かさず聴講。英語、米国史、米国事情一般を学ぶ。そして、収容所内きっての英語力で、捕虜達と米側の間に於ける折衝を一切引き受け、名実共に捕虜の指導者となった。
著者の岸氏はこう評価しておられる。坂巻は「捕虜第一号」と言うより、優れた「ナンバーワン捕虜」であったと。
岸氏のまとめられた文章から私が学んだこと、それは、どんな逆境であるにせよ、言葉を学ぶことは極めて大切であり、言葉は我が身を助けるだけではなくて、友をも助けることができるということだ。
旧岩崎邸庭園 と ボランティア・ガイド
昨日は仕事も用事もなく、実にのんびりとした一日であった。出かけるあてもないまま山手線に乗る。一周しながら考えようと思ったが、結局、上野駅で降りた。上野で開催されている台湾の故宮博物館展は人が多そうなので避ける。桜並木の横手にある花園稲荷にお参りし、おみくじを引く。中吉なり。おみくじの裏面には英語の訳文が書いてあった。中吉は、”very good”と訳されていた。
不忍池は蓮、また、蓮。池之端沿いに出ると、旧岩崎邸庭園の案内板が目にとまったので、矢印に従って行くと、大きな門と壁。チケット売り場までの坂道は静寂そのもの。坂を上がると、威風堂々たる洋館が目に飛び込んできた。明治29年(1896年)の建築物で、ジョサイア・コンドルが設計したものだそうだ。
洋館内部を見てまわっていると、ボランティア・ガイドの老人が現れ、数人に向かって岩崎家の家系図を説明し始めた。一通り説明が終わると、次に洋館と隣接している和館の建物まで移動させられた。そこでも歴史的な話をたくさん聞かせてくださった。月に2回、ボランティアで解説しているそうだが、年代も、系図も、すべて詳しい。80歳くらいの方とお見受けしたが、頭脳明晰。それに話の展開がすばらしい。
帰宅後、さっそく岩崎家の系図をネットで調べて、明治から現代までを勉強。ちらしの表には「時の風が吹く庭園」と書かれている。また行ってみたい。
