大分旅行(7)

親戚の結婚式は、国宝臼杵石仏の御前で仏式により挙行された。丘陵に鎮座する石仏群は平安時代から鎌倉時代に彫られたものだそうである。山麓から丘陵へと登って行く新郎新婦。眼下に広がる黄金の稲田、たわわに実る柿の木、そして、コスモス。日本の原風景に心がなごんだ。
 臼杵の石仏は、かつて首が落下していたものがあったそうだが、それを元通りに戻すと、石仏の威力が蘇ったとのこと。そこで、「首がつながった!」という新解釈が生まれ、人生の岐路に立たされている人には有難い石仏ということになっていると聞いた。
 披露宴は臼杵市内で136年続く老舗料亭(明治11年創業)で行われた。臼杵はふぐ料理が有名な町なので、当然、ふぐも御膳にお目見えした。ふぐは縁起をかついで、「ふく(→ 福に通じる)」と書く地域もあるが、臼杵の町はいたるところ、すべての看板が「ふぐ」で通していた。

大分旅行(5)

聞くところによると、臼杵の町は寺が多い町だそうである。観光案内のパンフレットには、こう書いてあった。
 「石畳の道や、白壁の商家、寺院が建ち並び、昔ながらの町並みを残しています。八町大路は安土桃山時代から現代まで続く歴史ある商店街です」
 その商店街は思ったよりもこじんまりとしており、全部、歩くのにそう時間はかからなかった。だが、すべて日本情緒で埋め尽くされているかと思いきや、どことなく西欧の匂いもただよってきた。「久家の大蔵」という造り酒屋の酒蔵には、ポルトガルと臼杵の交流を表わした装飾タイルの壁画があった。
 「サーラ・デ・うすき」の建物はカトリック教会の様式であり、そこには南蛮史料の展示があった。臼杵はキリシタン大名である大友宗麟が1556年頃、臼杵城を築き、明やポルトガルの商人が行き交う国際的な商業都市であったそうだ。

大分旅行(4)

10月11日、朝から午後2時まで臼杵の町を歩き回った。最初に寄ったところは、創業1600年(慶長5年)のカニ醤油店。みそアイスクリームののぼりに引き込まれて店内に入ったところ、壁一面に店の歴史を紹介する写真や史料が貼られてあった。同じ大分県出身の福沢諭吉が開学した慶応義塾へ勉学に行った明治初期の先代もおられたようだ。板垣退助が臼杵に来て、このカニ醤油店の当主と昵懇の仲になり、その結果、金の工面を依頼する手紙を送ってきたらしく、その手紙が貼られてあった。
 次に行ったところは「野上弥生子文学記念館」。今度の旅行で一番、見たかったところである。弥生子の生家は今も続く造り酒屋。したがって、家は堂々たるものであった。彼女が少女時代に過ごした部屋も見た。ガラス・ケースには夏目漱石に添削をしてもらった原稿が飾られていた。「お金のために文章を書くつもりはない」という彼女の強い意志が私の心に残った。

大分旅行(3)

 日豊線に乗っていると、「駅員がいない駅では、切符を箱に入れてください」という車内放送がたびたび流れた。臼杵駅に着いて改札を出ようとすると、やはり箱が置かれてあった。駅員はいたものの、彼は切符の販売にあたっているだけ。不正乗車をする人はいないのであろう。というよりも、人を疑ぐることをしないお国柄とみた。
 駅前に唯我独尊の仏像(レリーフ)が鎮座ましましていた。タクシー乗り場にはタクシーがいなかったので、宿まで歩くことにした。かといって、はっきりした場所は知らなかったので、街の散策を兼ねてぶらぶら歩きとなった。途中、臼杵城址の横を通った。城下町で育った私には、臼杵の街の雰囲気がすぐに親しめた。
 散歩をしている人に宿を尋ねると、宿まで連れて行ってくださった。「おやど 蔵」は、古民家を移築したもので、内部はホテル形式になっていた。

大分旅行(2)

宇佐八幡宮を参拝した後、カバンを預けて置いた参道入り口に在る土産物店に戻った。若奥さんの横には、乳母車の上ですやすやと眠る男の赤ちゃんがいた。3ケ月だそうだ。神様に守られて堂々たる眠りである。
 そのあと、タクシーでわずか5分の距離にある五百羅漢寺へ向かった。タクシーの運転手さんは女性であった。タクシーに乗ったとたんに蜜柑の香りがしたので、「いい香りですね」と言うと、蜜柑を1個くれた。「今晩、ホテルでいただきましょう」とつけ加えると、「じゃあ、もう1個どうぞ」と、またくれた。
 豊後の平野は今まさに稲刈りの季節を迎え黄金一色であった。まさしく豊後の<豊>の漢字に相応しい豊かさを呈していた。
 JR日豊本線に乗って、結婚式が行われる臼杵市へ向かった。臼杵市は石仏で有名なところらしく、駅のホームに石仏の頭が据えつけられていた。写真を撮って、友人に送ると、「まるでカンボジアみたいね」という返事が返ってきた。

大分旅行(1)

10月10日から12日まで、2泊3日で大分県へ出かけた。親戚の結婚式に参列するためであった。昨晩のうちに帰京できたのでほっとしている、何故ならば、台風19号の影響で、今日の九州発着便はそのほとんどが欠航となっているからだ。
 8月の福井旅行に続いて、今年2回目の国内旅行を楽しもうと思い、10日午前6時、自宅を出発。タイ語のことはしばし忘れるつもりで、目白駅から山手線内回りに乗り込むと、大きなスーツケースが3個、目にとまった。成田空港着のタグがついていたので、アジアから来た観光客であることは間違いなし。小声で話す彼ら。あっ、タイ語だ! 
 私のほうから声をかけた。東京に4泊して、そのあとは大阪に行くと、一人の男が答えてくれた。このぶんだと、大分県でもタイ人に会いそうな気がしてきた。だが、それはなかった。
 大分空港に午前10時着。空港からバスに乗り、宇佐八幡宮へ行った。日本全国にある八幡宮の総本山である宇佐八幡宮。本殿の前でうやうやしく合掌した。

結婚式に行きます!

10日から12日まで大分県へ行きます。結婚式に参列するためです。15年位前にタイのテレビ・クルーと一緒に大分へ行ったことがあります。その時は、「一村一品運動」の取材でした。
 今回は全くプライベートな旅行です。いろいろな場所へ行きたいのですが、車が無いと不便だということがわかりました。「一日一ヶ所」の観光をしてまいります。
 したがいまして、ブログは3日間、お休みいたします。

聞き取りが得意な生徒さん

昨晩、「タイ語入門 水曜日20:00」のクラスを代講した。何故ならば、トン講師にタイからの来客が有ったからである。バンコクの外資系に在籍しているトン講師は、休職して、日本語の勉強に来ているが、上司が来日したため、何かと忙しそうである。
 さて、昨晩のクラスの生徒は3名。男性2名+女性1名のクラスである。入門テキストの第7課まで終わったので、未来形も、経験を表す過去形も、そして、願望を表わす助動詞も、すべて習ったことになる。
 そこで、私がいろいろな表現をタイ語で言って、生徒達に意味を言わせると、Mr.Wがどんどん訳した。その反応が非常に速い!
「あら、訳すのがすばらしいですね」と誉めてあげると、「タイ人が言っていることはわかるんです」、とのこと。
 その理由は、彼のビジネスがタイの洋服の買付けなので、バンコクへはよく出かけており、タイ語を耳にする機会が多いからであった。彼の課題は発音だけ。何とか磨いて差し上げたいものだ。

N子さんのバンコク近況報告

今年の9月上旬、バンコクのご主人のもとへ行かれたN子さんから、昨晩、近況報告が有った。
 「先生、今日からタイ語学校でした。泰日でたくさん教わったので、なんとかやっていけそうですが、毎日なので頑張らないと!です。そして、声調も口の開き方も教わっていたからよく分かりました。頑張ります。タイの学校よりも泰日の方が安いだなんて、やっぱり先生、すごいですね」
 それに対して、私はすぐに返信した。「それは良かったですこと!ペラペラになってください!」
 声調と口の開け方をしっかり学ばれて行かれたN子さん。きっと他の生徒よりも上達が早いこと、まちがいなし。

聞き取れると、大変うれしい。

昨晩、「タイ語初級 月曜日18:00」のクラスが終わった後、生徒達3名と居酒屋へ行った。彼らは一杯呑みながら、あれやこれやタイの話をするのが楽しみなグループだ。
 Mさんがこう言った。「この間、タイへ行った時、タイ人の友人から、君はとても上手だ(เก่งมาก)とほめられました。ほめられると嬉しいものだから、いい気分になり、タイ語ができてよかったと思いました。ところが、そのタイの友人は、そばにいたタイ人の仲間に向かって、この日本人、タイ語はあんまりできない(ไม่ค่อยเก่ง)けどね…..と紹介しているのが聞き取れました。自分に対してはほめるけれど、タイ人にはけなしている。いささか嫌な気がしましたが、タイ人が喋っているタイ語が聞き取れたので、なんだか嬉しくなりました」
 Mさんは来月もタイへ行く計画だ。チャレンジとリベンジの精神で頑張ってらっしゃい!