90歳の老人 と PC

昨日、元生徒であるミセス・トシコと電話で話をした。彼女は84歳。年が明ければ、すぐに85歳になられる方だ。東日本震災直後、タイ語の勉強はおやめになられたから、彼女とはもう約5年近くお会いしていないが、年に2回位、お声を聞いて、お元気であることを確認している。彼女はたくさんお話をしてくださった。
 「2週間前に兄が亡くなりました。90歳でした。認知症でしたから、私のこともわかってもらえませんでした。病室に行くと、ベッドの上に大きなコンピューターが置いてあるのにはびっくり。姪に聞くと、お父さんに経理の仕事を手伝ってもらっていたので、コンピューターの前に坐るのが好きなんです。病院側からもう何にも処置することがありませんので、退院してくださいと言われ、兄は自宅に帰らざるを得ませんでした。兄のベッドの前にはまたしても大きなコンピューターが。やがて兄はコンピューターにお辞儀するような姿で息を引き取りました。妹である私は見舞いに行くたびに、トシコよ、トシコ、私はトシコと、連呼。何度も言っているうちに、兄はかすかに私を認識したかの如く、おお、トシコか…..と言いました。こんなことがありましたので、娘に言いました。お母さんが認知症になっても、とにかく名前を呼んでね、あきらめずに」

5歳の坊や と 英語

3日ほど前、テレビで、沖縄に住む5歳の坊やが嫌いな英語を話すようになったいきさつを取り上げていたので、興味を持って見た。
 坊やの父親はアメリカ人で海兵隊。母は日本人。坊やは日本の幼稚園に通っているので日本語で教育を受けている。家でも日本語しか話さず、そのため日本語ができない父親が心の交流ができないということで、とても残念がっている。坊やには兄がいて、兄から英語の単語を教えてもらっているが、根っから英語が好きではなさそうであった。
 ところが、父親がアメリカへ本帰国することになり、坊やはいやいや沖縄を離れることになった。帰国前の2ヶ月は米軍の幼稚園に移って英語の世界へ。
 テレビ局は坊やがアメリカでどのように暮らしているかを離日後、2ヶ月を経て取材に行くと、坊やはもう完全に英語使いになっていた。
 周囲が英語の環境だ。日本語は一切、聞こえてこない。甘えている場合ではなくなった。英語をしゃべるしかないのである。
 語学は環境だ。つくづくそう思う。今度は、母親が淋しい思いをし始めた。坊やとの意思疎通がだんだん遠ざかり始めたからだ。

生徒さん、1級合格!

今朝、メールを開くと、個人レッスンを受けていたMさんからメールが届いていた。タイ語検定1級の合格通知が届いたこと、そして、泰日文化倶楽部のD先生と私に感謝しますという内容であった。
 筆記試験の学力は十分にお持ちであったが、第2次の面接試験となると、面接官をうならせるテクニックが必要だ。40分間の面接で、ミスは許されない。それが減点対象になるからだ。
 タイ人講師には徹底的に発音矯正をさせた。そして、私は彼女に勇気と自信を植えつけた。結果は合格!
 そもそもMさんの実力と学力が花開いたわけだが、我々の助言を素直に聞き入れる彼女の態度がとても印象的であった。
 私の大学の後輩よ、お見事! 1級を取得されたわけだから、もう個人レッスンには来る必要がないと思うのだが、彼女は来年も受講されるとのこと。その持続力にも乾杯!

楽しい忘年会

昨晩(12月22日)、2015年におけるトリを取ったクラス、それは「タイ語中級 火曜日19:00」であった。
 このクラスの生徒達の要望で、授業後、教室で忘年会を開くことが3週間前から決まっていたので、皆さん、それぞれ食べ物や飲み物を教室に持参しての宴会となった。過去27年間の泰日文化倶楽部の歴史の中で、忘年会を教室で開いたのは初めてである。
 いやはや、とても楽しいパーティーとなった。何故だろうかと思ったが、集まった人数が7名(男性3名、女性4名)で、男女比のバランスがよかったこと、そして、皆さん、日頃から仲がいいのが起因しているからであろう。
 12月26日には、最後の忘年会が待っている。最古参である「タイ語上級 土曜日12:45」の生徒達がOBとOGを呼んで、高田馬場に在る「タイ・ベトナム料理店」に集結する。皆さん、タイ語歴は20年に及ぶから、いろいろな意味でとても濃いクラスだ。彼らと共に、泰日文化倶楽部は歴史を刻んでいるような感じがする。

逆打ち

来年は閏年だ。四国遍路では、閏年には、「逆打ち」のお参りをする習わしが有るとのこと。
 調べてみると、「逆打ち」とは、香川県にある第88番札所の大窪寺からスタートして、第87番札所、第86番札所…..と、遍路コースを反対に回ることである、そして、第1番札所から出発する「順打ち」よりも、3倍の功徳が得られるのである、と書いてあった。
 何故、3倍かというと、遍路コースは順打ちをするお遍路さん向けの道路標識や道路事情になっているので、逆コースを行くには、やや難易度が高くなるからだそうだ。
 この逆打ちが4年に一度、即ち、閏年のたびに実施されるのは、なかなかに興味深い。まるでオリンピックだ。
 そう言えば、毎年、真面目に頑張っているつもりでも、いつしかパワー・ダウンをしている。4年に一度、方向転換することにより、新たなる発見と飛躍があることを期待しよう。

レシピ(สูตรอาหาร)

昨日、個人レッスンを受講しておられるSさんがHPからダウンロードしたタイ料理のレシピを持って来られた。材料のページだけはすでにきちんと訳しておられ、それを音読しながら、タイ人講師に確認をしている姿に、私は「優」の成績を上げたくなった。
 タイ語でレシピは「สูตรอาหาร」。สูตร の文字を見ると、語源がサンスクリットであることがすぐに分かる。法則、公式という意味だが、元来は、「経」である。したがって、料理の作り方も、「経」を唱えるつもりで、一つ一つ丁寧に作っていかなければならないような気がする。
 ついでに、สูตร が使われている単語を列挙しておこう。掛算の九九はสูตรคูณ、算式はสูตรเลข、化学式はสูตรเคมี、そして、授業のシラバスも、สูตรを使う。
泰日文化倶楽部の今年2015年における授業は、今日が最後である。果たして、生徒の皆さん一人一人がどのくらいの「経 สูตร」を唱えられたことであろうか…..。

プック先生 チェンマイへ

4年前まで(จนถึง ๔ ปีที่แล้ว)タイ語を教えてくださっていたプック先生から、昨夕、お電話が有った。そろそろタイ語講師として復帰していただこうと思っていただけに、これは幸いと思った。
 ところが、プック先生は日本語とタイ語で用件を早口で伝えた。
 内容は、日本人の御主人がランプーン県にある日系企業に再度、赴任することになったため、5年ばかり(ประมาณ๕ปี)チェンマイへ帰ることになったこと、東京の生活に慣れているので、出来ることなら東京に残りたいこと、しかし、そうもいかないので、1月中旬(กลางเดือนมกราคม)に離日されるというお知らせであった。
 彼女は「แฟนโดนย้าย 主人は転勤させられる」というふうに、迷惑受身形で何度も喋った。おそらく工場長として行かれるわけだから、ご栄転なのだが、東京が大好きなプック先生は予想外の出来事のように、残念がって話された。
仲間のボン先生、ノーン先生はさぞかし淋しく感じていることであろう。

神様(เจ้า)と 朝(เช้า)

泰日文化倶楽部の今年における授業は12月22日(火曜日)までである。
 冬季休暇を前にして、初詣の話をタイ語でするクラスがとても多かった。タイ人講師が「神社へ行くんでしょ?(ไปศาลเจ้าใช่ไหม)」と尋ねたが、เจ้า(ヂャオ=神様)が、生徒さんにはเช้า(チャーオ=朝)に聞こえるらしく、その違いが分からないと言われてしまった。
 「เจ้าพระยาのเจ้าですよ」と、私はバンコクのヂャオプラヤー河を例に挙げて助け舟を出すと、生徒達はそこで初めて音の違いが分かったようである。
 今、NHKの朝のドラマで「あさが来た」が視聴率をかせぎ出している。私も見ているが、ヒロインの「あさ子」の行動力が面白い。
 神様の御加護を得て、毎日、朝から気持良いスタートが切れれば、人生、言うことなし。

還暦過ぎたら大学生

 昨日、元生徒(นักเรียนเก่า)のTさんから泰日文化倶楽部に美しいお花(ดอกไม้สวยๆ)が送られて来た。彼女の声が聞きたくて、御礼の電話をかけてみた。
 私:「毎年、有難うございます」
 Tさん:「私、いよいよ最後です」
 私:「えっ、最後ですって? それ、どういう意味ですか?(หมายความว่าอะไรนะคะ)」
 Tさん:「思いきって来春、大学に入ることにしました。すでに学位は持っているので、学位が欲しいというわけではありません」
 その後、話を続けている中で、彼女が音楽大学に編入して、大好きな声楽を極める決心をされたことが判明。
 還暦を過ぎてからの新たなる挑戦。Tさんの頭と心はすでに来春の入学でいっぱいに膨らんでおられる!
 
 

惑星「タコダナ」

今日12月18日から「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」が上映される。上映に際して、エイブラムス監督がひとつだけ明かしたこと、それは映画に出て来る惑星の名前「タコダナ」の由来についてだ。
 監督は「タコダナは、高田馬場をヒントにしています。日本に初めて来た時、高田馬場に泊まり、何ともいえないくらい面白い街だと思いました」と、舞台挨拶で明かしたそうである。
 タカダノババが、縮小するとタコダナ? いやはや傑作だ。これからこの「タコダナ」が定着するといいなあ。
 私は上京以来50年間、高田馬場をうろうろしているが、街の風景はそれほど変わってはいないと思う。しかし、最近はアジア系の人々がものすごく多くなった。日本ではないような気がしている。アジア系の彼らは元気そのもの。うかうかすると彼らの存在に気圧される。
 泰日文化倶楽部が入っている雑居ビルは、元々は税理士ビルであった。ところが、最近は部屋が売りに出されると、中国人が買って入って来るようになった。聞くところによると、タイ人も投資用に購入し、日本人に住まわせているとのこと。高田馬場の街だけではなくて、小さな雑居ビルでもアジア・ウォーズは始まっている。