昨日、地下鉄に飛び乗ると、たまたま一つだけ席が空いていた。すかさず座った。ところが、隣りの男が携帯電話をかけていて、とてもうるさい。日本人ではない。アジアの人だ。
タイ語ではない。ラオス語でもカンボジア語でもない。インドネシア語でもないのはわかる。もちろん絶対に中国語ではない。
しかし、うるさい。マナー違反だ。電話が終わったら、話しかけてみようと、私は待ち構えていた。やっと終わったが、今度はラインを送っている模様。
「失礼ですが、あなたはどちらのお国の方ですか?」と尋ねた。私には彼がベトナム人であることはほぼ分かっていた。
「ベトナム」と彼は答えた。そこで、「シンチャオ」と挨拶し、「ハノイから? ホーチミンから?」と訊いた。彼は「ハノイ」と言った。
私は彼に対して、電車の中の電話はだめとは言わなかったが、いろいろと話しかけたので、そのうち、彼は電話するのをやめた。私の手段は成功した。
余談だが、最近は、ベトナム人の犯罪がものすごく増えているらしい。困ったものだ。
元生徒達のビックリ
昨晩、「タイ語初級 木曜日19:00」のクラスに、元生徒2名が復帰された。
ミスターAは、泰日文化倶楽部に初めていらしたのが2001年。最初はプライベート・レッスンから始め、やがてグループ・レッスンへ移籍。2005年頃まで勉強されたそうだ。したがって、約10年ぶりの再会であった。
彼が何よりも感心したことは、私が全く変わっていなかったことである。そして、27年以上、同じ受講料でタイ語教室を営々と継続させていることに、とても不思議そうな表情を見せた。
もう一人の女性は、ミセスH。彼女が最初に私とタイ語を勉強した年を尋ねてみると、「1992年です!」という返事。これには、私のほうがビックリ。
そして、彼女も驚きを見せた。「吉川先生は昔と全くお変わりありませんね。何よりも声量がすばらしい。授業中の指摘の仕方も以前と同じ。あっというまに当時の授業風景が思い浮かんで来ました!」
二人の元生徒に会えて、今年のビッグ・サプライズとなった。
泰日文化倶楽部の1週間
泰日文化倶楽部の今年の授業は1月7日からスタートした。昨日でちょうど1週間。すなわち、すべての授業が一周し、生徒の皆さんとお目にかかれることができた。
生徒さん達の表情には気負いが無く、淡々としておられた。願わくば、教室の中においてはタイ人講師に向かって大いにタイ語で話しかけてほしい。
そうそう、今、すべての生徒と言ったばかりだが、月曜日は「成人の日」で祭日であったので、授業はお休みであった。月曜日はカレンダー上、休みが多すぎるので、勉強にならない。だが、月曜日の生徒達はそれでいいと言うものだから、のんびりしたものである。
火曜日は午前10時半から午後8時半まで、5クラスが実施されているが、それぞれのクラスはそれぞれに特徴が有るので、合同にすることはできない。
水曜日は午前11時から午後9時半まで5クラス、木曜日は午後1時から午後8時半まで4クラス、金曜日は夜2クラス、土曜日は午前10時半から午後4時半まで7クラス、そして、日曜日は2クラスが実施されている。
私は自分を管制塔だと思っている。そして、交通整理係でもある。皆さんの要望、苦情を一手に聞いて、早期の対処に心を砕く。結構、疲れるものであるが、逆に、喜びでもある。
タイ人 と かっぱ橋
年末年始に我が家に泊まっていたタイ人の旦那さんに、東京で何を買ったのかを尋ねてみると、「かっぱ橋に行って、長方形のたまご焼き器を買いました。息子が好きなので、毎朝、たまご焼きを作ってあげようと思っています」と、答えてくれた。
外国人がかっぱ橋に興味を示しているのは、かなり以前から聞いていたが、タイ人も好きだったのだ。タイのたまご焼きは丸いシナ鍋にものすごくたくさんの油を入れて、溶き卵を放り込んでいるが、まるで油焼きって感じがしていた。8歳の少年が日本のたまご焼きを知っているということは、何度も日本に来ているので好きになったのかもしれない。
タイ人女流作家はバンコクでカフェを経営しているとのことで、スチール製のコーヒー・カップを購入していた。
「カフェにお客さん、たくさん来てますか?」と尋ねると、彼女は言った。
「開店当初は私がやっていましたが、創作に集中するために、今は弟にやらせています」
それを聞いて、タイ人って、マイペースでいいなあと思った。
DAI語
昨日、1月11日、有名な芸能人カップル(DAIGO & 北川景子)が結婚発表の記者会見を開いた。
「プロポーズの言葉は何ですか?」という芸能記者の質問に、DAIGOは「KSK 結婚してください」と答えた。アルファベットのイニシャルを使ったこのような言葉を、<DAI語>というそうだ。
そう言えば、KY(空気を読まない)とか、すでにもう定着している表現が有った、有った。では、そのノリで、私も提案したい。
①TNM = タイ語を習いましょう!
②TSM = タイ語を喋りましょう!
③TTT = タイを旅して楽しみましょう!
④NST = 寝ても覚めてもタイ語!
⑤KTAT =今日もタイ語、明日もタイ語!
シュガーロード
新年早々、お菓子をたくさん頂いた。金沢のお菓子「千年樹」は金粉がぴかりと光り、表面に抹茶を振りかけると、まさしく苔むす大樹と化した。千年も生きる樹! まことに目出度い。
昨晩は、3連休を利用して福岡から遊びに来た元生徒さんとお嬢さん2名を案内して銀座で食事した。その際、「なんばん往来」というお菓子を頂いた。菓子箱の中に入っているちらしには、次のように書かれていた。
「びいどろ、かるた、ボタン、クローバー….. これらの舶来品が日本に伝わったのは、鎖国の時代です。唯一外国に開かれた長崎の街に、届けられた南蛮文化は長崎街道…長崎~筑前六宿~小倉をつなぐ道を通って、江戸に伝えられました。<中略> お菓子作りに欠かせない砂糖は、多くの人を驚かせときめかせながら、長崎街道を伝って江戸幕府へ運ばれたのです。この道が「シュガーロード」と呼ばれるゆえんです。
ダイエットのためにはお菓子を控えるべきなのだが、このように歴史がわかるお菓子は大いに歓迎。シュガーロードという命名もなかなか面白い。
ชง (chong) というタイ語
3連休ということで、ミカン先生が長野県へスキーに行ったため、昨日の「タイ語上級 土曜日15:00」の授業(注:1月だけは15時開始)はピカピカ先生に代講していただいた。
ピカピカ先生と習うのが初めての生徒もいれば、すでに習ったことがある生徒もいた。いずれにせよ、新年早々から笑いに満ちた雰囲気が有り、今年もうまく行きそうだと確信した。
1時間近く自由会話をする中で、ピカピカ先生が次のように言い出した。
「สำหรับฉัน ปีนี้เป็นปีชง 私にとって、今年はชง chong の年です。私は24歳になりますから」
ชงという単語がわからなかった。辞書で調べると、T語(潮州語)と書いており、漢字は「衝」であった。辞書には「男女の合い性(筆者注:辞書のママ)が悪い」と書いてあった。
そう言えば、タイでは男女とも厄年が24歳から25歳の1年間であることを思い出した。ピカピカ先生は目下、23歳。今年の誕生日が来れば、24歳。だから、彼女は今から警戒しているというわけだ。
それにしても、ชงกาแฟ(コーヒーを淹れる)とか、ชงชา(お茶を淹れる)しか知らなかったが、ชงには別の意味があることを知り、一つ新しい単語が増えた。
タイの「子どもの日」
タイでは、毎年1月の第2土曜日を「子どもの日」と定めている。したがって、今日は子ども向けのいろいろなイベントが催されるそうだ。
一昨日まで我が家に宿泊していた8歳の少年は、インターナショナル・スクールの3年生。一人息子だから、おもちゃ買い放題。今回の来日でもたくさん買った。中身だけを出して、箱は全部置いていったが、それらを重ねると、まるで箱アートが飾られているようであった。
大人達の中で大いに甘えている姿は可愛い。しかし、大きな体を持て余し気味でもあった。母親が私に言った。
「インターへ通わせているので、タイ人としてのお行儀が身につかないの。困ったものだわ」
それを聞いて、なるほどと思った。タイでは、目下の者は目上の人にはきちんとした挨拶、すなわち、合掌をし、きれいな言葉づかいをしなければならない。母親は何度も息子に向かって注意していた。
「アジャーン・ヨーに失礼ですよ。そんな言葉はだめ。もっときれいな言葉で言いなさい」
椿の花 と 女流作家
昨日の朝8時、我が家に宿泊中のタイ人女流作家(45歳)を案内して椿山荘へ行った。彼女はまず、セブンイレブンに寄ってコーヒーを買った。毎朝、散歩の前にコーヒーで頭を覚醒させていたとのこと。
我が家から歩いて5分で日本女子大学だ。日本で一番最初の女子大学であることを作家に説明してあげた。
さらに歩くこと5分で東京カテドラル教会が見えて来た。私はタイ人に椿山荘の美しい日本庭園を見てもらおうと思って、庭園の中を案内したが、彼女、予想以上に感激の連続であった。雪除けのために松の木に吊るされた縄を指さしながら、「これ、何かわかりますか?」と尋ねてみたところ、「クリスマスツリー」と彼女は答えた。やはり雪が無い国から来た外国の人にはわからないんだなあと思った。
彼女は言った。「小さい時から日本のお話を読んでおりましたが、小説には椿もよく出て来ました。しかし、本物の椿を見たのは初めてです!」
椿山荘の庭園には、日本各地から寄贈された様々な品種の椿が植えられている。それらをカメラにおさめながら、直ちにタイの友人達に発信していた。
タイ人作家の滞在
年末年始の期間、我が家にタイ人4名が泊まっている。一組のご夫婦と8歳の坊やは去年の4月に来て泊まったことがあるので、もう慣れたものだ。
今回は奥さんが自分の友達を一人連れて来られた。その友達は作家であり、作詞家だそうだ。それを聞いただけで、私は緊張した。
彼女は毎朝6時半に私のマンションの周辺を一人で散歩し、写真を撮りまくっている。初来日にして、初正月。明治通りの幹線道路は、普段は24時間、車が走り回っている。ところが、元旦に彼女が撮った写真には車が一台も写っていなかった。
「東京は静かですね。すばらしい!」
それを聞いて、私は答えに窮した。本当は車社会なんだけどなあと思いつつ、笑顔を彼女に返した。
彼女達は今日、タイへ帰る。作家は言った。「東京滞在記を連載することにします」
あらあら、何を書かれるのかしら? 普段、書く側の立場にいる私は、書かれる立場に立たされそうである。
