2001年1月26日の新大久保駅事故

昨日、新大久保駅前にある創業100年以上の蕎麦屋へ行った。店内には町名である百人町の由来となった鉄砲百人組の歴史を証明するものがいくつか見られる。
 店を出た後、山手線に乗って高田馬場へ向かおうと思って新大久保駅の階段を上がる。階段の途中の踊り場には、2001年(平成13年)1月26日の夜、酔客を救助しようとして尊い命を落とされた韓国青年(李秀賢氏)と日本人カメラマン(関根史郎氏)の偉勲を韓国語と日本語で刻んだプレートがあるが、昨晩は時間が無かったのでそれを読む時間はなかった。
 ホームへ通じる階段を上がりながら、彼らの勇気ある行動に心の中で合掌した。この1月26日の事故は、毎年、思い出している。何故ならば、そのような勇気ある救助で落命されたお二人のことを思い出したいからである。
 あれから今日で15年が経過した。韓国青年のご両親の優しさも報道でいつも熟知している。
 今、私のPCの傍らには、関根史郎氏が撮ったワンちゃんの写真がある。私はずっとこの写真を大切にしてきた…..。

アユタヤ時代の女傑

昨日、授業で、アユタヤ時代の初めの頃(注:今から約460年前)に名誉の死をとげて、タイの四大女傑の一人になったスリヨータイ王妃の物語を読んだ。
 アユタヤ時代は王位簒奪が繰り返されたようだが、それを聞きつけたビルマの王が、アユタヤの騒乱に乗じてアユタヤに攻め入った。当時は象に乗っての闘いだが、アユタヤのマハーチャックラパット王が二人の王子を連れて戦場に出ようとすると、スリヨータイ王妃が自分も連れて行ってくださいと許可を求め、男装して象に乗った。しかし、王の危険を察して、自らが闘いの中に機敏に突撃した時、敵の一撃に遭い、あえなく象上で息絶えた。二人の息子が母の亡骸をアユタヤの都に持ち帰り、以後、タイの歴史に名を残す女傑となった。
 小学校の教科書だから、わずか2ページしかなく、1回の授業で読みきれるから、教材としては丁度いい。
 スリーヨータイという機名のタイ航空に何度も乗ったことがあるが、今思えば、なんとも頼もしい飛行機であったことか!

鍋パーティー

昨晩、我が家で鍋パーティーを開いた。ミカン先生の誕生日、そして、K氏とタイ女性の結婚を祝して、3時間、楽しい時間を過ごした。集まったのは計7名。みんな、大満足。
 「また、やりましょう。是非、是非。えーと、次なるパーティーの名目は何にしようか?」と誰かが言った。
 「暑気払いはどうですか?」
 「いや、その前に桜を見る会にしましょう!」
 それを聞いて、春が待ち遠しくなった。大雪の情報が流れる中、日本人はすでに春を待ちわびている。春には何をしようかと、早くも楽しいことを考える。
 新婚早々のK氏が言った。「ケーキよりも和菓子が好きになりました。おいしい日本茶もいいですね」
 外国語を習いながらも、日本人はやはり島国の中で日本情緒を味わうのが、一番向いているのかもしれない。

教科書は反復するに限る

昨晩、「タイ語中級 金曜日19:00」のクラスが実施されたが、諸事情により、いつもの先生ではなくて、違う先生にお願いした。
 このクラスはすでに『タイ語中級Ⅱ』というテキストが終わってしまったため、さて、次なるテキストは?と、生徒の誰しもが思うものだが、私はあえて、そのテキストの最初に再び戻ることを勧めた。発音矯正するだけでもいいと思っていたが、実際のところは、生徒達が単語を覚えていないことが判明。それでは同じテキストを反復したほうがよい。
 しかも、昨晩は一度も会ったことがないタイ人講師が登板したわけだから、違う先生から教わるのもまた良し。雰囲気が異なる先生に習うと新鮮なものだ。既習のテキストまでもが、まるで新しいテキストに思われてくる。
 今日の結論は、テキストは反復するに限るということ、そして、いろいろなタイ人講師に教わって、それぞれの先生の持ち味を感得するに限る。

旧友からの電話

勧誘電話が多いので、自宅の電話を取るのはやめにしたいのだが、やはり、ついつい取ってしまう。理由は親戚からの緊急かもしれないと思ってしまうからだ。
 昨日もそうであった。最初、無愛想に応対すると、なんと25年も会っていない旧友からのものであった。年賀状はずっと交わしているので、それでいいかなあと思っていた。
 彼女が花づくりに精を出しているのは年賀状からよく伝わって来ているが、「御主人は?」と尋ねると、「仕事はもうしていません。今、竹を切り出しに行ってます。花の周りに竹囲いを作ってくれるのよ」、と、彼女は答えた。
 そして、彼女は本題に入った。
 「昔からの友達が、このところ、急に会いましょう、ねえ、会いましょうよ、と言ってコンタクトしてきてるの。もう、そんな年齢になったのね。だから、私もあなたに会いたくなったわけよ」
 私は答えた。「それじゃあ、会いたがっている友人達を優先して会ってくださいな。私は現役ばりばりで働いているので、スケジュールがいっぱい」
 なんだか冷たそうな返事ではあるが、私は予定が未定という状態で、毎日をこなしている。旧友にも会いたいが、仕事人間の私は社会の中に飛び込んで行くほうが好きだ。

まさる守

正月のテレビニュースで、赤坂日枝神社の「まさる」というお守り(เครื่องราง)がとても御利益があり、霊験あらたかなるものである(มีศักดิ์สิทธิ์)と報道されていたので、是非とも欲しいと思い、日枝神社に詣でたのが1月7日。
 日本人だけではなくて、外国から来た人々も、お守りが並べられたコーナーにいっぱい集まっていた。
 「まさる」は、「魔去る」に通じるから縁起がいいようだ。それに、今年の干支であるお猿さんの顔をしているから、益々もって縁起がいい。
 今年は新年早々から、世界中で大きな事故が発生している。願わくば、この「まさる守」によって、2016年が穏やかに過ぎて行くことを願うのみである。

東京から地方へ

 昨日、大学では期末試験をした。学生達は黙々と回答用紙にペンを走らせている。窓の外に目をやると、遠くに富士山が見えた。これまで学生の方ばかり見て授業をしていたので、富士山には全く気がつかなかった。
 ところで、試験後、多くの学生達との別れが有った。今春、社会人になる学生達。時々、タイ語の授業を思い出してほしいと願いつつ、「โชคดีนะคะ 幸運を祈ります!」と、私は一人一人に声をかけた。
 学生の中に、香港から来た学生がいた。彼は将来、言語学者を目指しているだけあって、多言語を完璧に操る。どうすればそのような能力が身につくのか、いつも不思議でならなかった。
 彼は研究の場所をドイツに移そうとしているが、昨日、耳にしたところでは、しばらく日本の地方へ行って、広東語を教えることになったようである。
 それを聞いて、東京に住んでいるすばらしい逸材は、地方の要請を受けて、地方で活躍することはすばらしいと思った。 
 私も来月、一日だけ、タイ語の出張講義に行くことになっている。地方から東京に来るのは何かと費用がかさむ。数人の学生達が東京に来るよりも、一人の講師が出張するほうが経費的にも安上がりだ。新しい出会いで、互いに気持ちいい刺激が得られれば面白いと思う。

雪 ひらひら

昨日は東京に初雪が降った。交通機関は相当に混乱し、一日中、そのニュースでもちきりであった。
 泰日文化倶楽部はいつも通りの授業を展開した。去年4月に来日したタイ人講師に向かって、生徒が尋ねた。
 「先生、雪を見たのは生まれて初めてでしょ?」
 すると、講師は答えた。
 「いいえ、富士五湖へ行った時、雪を見ましたから、初めてではありません。しかし、実際に降っている雪を見たのは初めてです」
 横で彼らの会話を聞きながら、私は思った。写真で見る雪は静止状態だ。そして、雪が積もっている現場を見るのも、完全とは言えない。日本情緒を味わうのには、雪がひらひらと舞い降りている光景を見ることが一番だ。
 タイ人講師はものすごく感激していた。

今年最初の入会者は中国人

1月9日、中国人女性が「タイ語入門 土曜日10:30」のクラスに見学に見えた。年末に問合せの電話を頂いた時には、見学に来たいという明確な意思表示を示されなかったので、私としては期待していなかった。
 お会いすると、とても迫力のある女性であった。そして、見学後、入会することを決心された。その時、彼女は尋ねた。
 「あのー、声調ってどうやって勉強すればいいですか?」
 私はすかさず答えた。「あら、あなたは中国の方でしょ? 声調、声調というふうに考えて、中国語を喋ってますか? 違うでしょ? あなたなら出来ます。自然体で勉強するのが一番」
 1週間後の1月16日、彼女は正式に入会し、そして、楽しそうに勉強された。
 「私はズバズバ、ものを言います。大丈夫ですか?」と、私。
 「わたし、そのほうが好きです」と、彼女。
 今年最初の入会者となった中国人女性。これからも仲良くしていきたい。

溌剌見学者

「タイ語入門」の無料体験講座をメールで申し込まれたご夫妻がいらしたので、ご希望に沿うべく、昨日、彼らに対して特別に開講した。
 私はてっきり中年のご夫妻がお見えになるものと思っていたが、実際は若いお二人であった。駐在が決まったからタイ語を習うのであろうと勝手に想像していたが、これまた、はずれた。
 「今年の秋くらいにバンコクへ行って、仕事を探します。転職します」と、御主人。
 「ああ、そうですか。仕事ならいくらでも有りますよ」と、私。
 御主人はもうすでに5~6回、バンコクへ行き、感覚も空気もご存知であった。奥さんはこの正月に初めて行かれたそうだが、タイでやっていける自信を示された。
 それなら、これから半年間、タイ語をみっちり勉強されて、バンコクへ行くに限る。彼らの夢はすでにバンコクに飛んでいた。溌剌たる若い日本人カップルにお会いしたのは久々だ。是非とも彼らにタイ語を教えたい。