追記したい項目が出てきたので追記する。入院中、獅子文六(1893-1969)と吉行淳之介(1924-1994)を読み、昭和の時代を回顧した。カトリック信徒の高橋たか子(1932-2013)のエッセイでは彼女の観想生活に触れることができた。阿部龍太郎の『等伯』では、安土桃山時代の絵画や茶道の流れを知った。
考えようによっては、重病でなければ入院生活も悪くはない。何か文章が書ける。そう思った。
私が入院していた病院は1950年(昭和25年)に開業しているので、建物は極めて古い。だが、ノンフィクション作家である澤地久枝さん(87歳)の昔の随筆を読んでいた時、彼女が若い頃に心臓の病気でこの病院に長く入院していたことが書かれてあったのを思い出した。彼女と同じ空気を吸ったこと、これを機縁に私にも文才よ、甦れ。
神田川日記(22)
タイ文字の歌 บทกวี ของ มยรลว(MYRLW マ行/ヤ行/ラ行/ワ行)
มีสุขภาพแข็งแรงดี(健康な体を持ち)
ยาและหมอไม่จำเป็นเลย(薬も医者も全く不要)
รักสงบ เรียนเก่ง(静寂を愛し 懸命に学ぶ)
เล่นกีฬาอย่างสนุกสนาน(スポーツで楽しく体を動かし)
หวังว่าชีวิตมั่งมีและมั่นคง(豊かで安定性のある生活を望む)
今回の骨折で筋力の無さを痛感した。病気や怪我をして入院すると仕事ができないので収入減。医療費や入院費がかなりかかることも実感した。今後は、筋力+金力を蓄積し、さらには気力を常に維持し続けなければならない。猛省。
神田川日記(23)
タイ文字の歌 บทกวี ของ สศหอฮ(余行=SSHOH)
สามารทสิ่งที่ทำได้(やるべきことはやれるとも)
ศึกษาค้นคว้าความจริงของชีวิต(人生の真実を追求しよう)
ห้ามเกเร ต้องขยันเข้มแข็ง(怠けるな 勤勉であれ)
อยากเรียนรู้หลายอย่าง(いろいろなことを学びたい)
ฮวงจุ้ยกับโหราศาสตร์ก็น่าสนใจมาก(風水も占星術も面白そうだ)
入院中、多くのことを見聞した。そして、見舞いに来る患者の家族達や友人達を通して、彼らの過去や現在が観察できた。私はこれまで理屈重視で考えて来たが、世の中はそうそううまく行くものではないことを思い知った。私の場合は骨折だから、リハビリをしながら、ただひたすら骨がくっつくのを待つだけ….。退院して行く人、入院して来る人。いやもう、人間デパートだ。
神田川日記(24)
神田川沿いに在る病院は2階と3階が病室で、そこに40名ほどが入院していた。私は3階の大部屋にいたが、或る一人の男性が朝夕、洗面を終えたあと、必ず女性の大部屋に入ってこようとした。嫌らしい意味ではなくて、彼はどうやら方向感覚がつかめないようであった。洗面所で彼に会った時、私は尋ねてみた。「あのー、どこがお悪いのですか?」 すると、彼はすかさず答えた。「頭」
バイクの転倒で骨折した男性は別室にいる男性とよく話していた。聞くところによると、二人は過去、某会社で働いていた時の同僚だそうだ。病室の入り口に掲げられている名前がかなりユニークであったので、声をかけてみたところ元同僚と判明。奇遇!
バイクの男性は元ホテルマン。その後いろいろな職業を転戦し、現在に至っているとか。話が実に面白かったので、彼としゃべるのが楽しみであったが、ヘルパーさんから注意された。「吉川さん、異性とはしゃべらないように」
そう言われて、腰を痛めて動けないおばあちゃん達とは違って、私は女性として見られていたんだなあと気づくと、苦笑せざるを得なかった。
神田川日記(25)
ぎっくり腰で入院している男性(65歳)がいた。「家で家具を動かしていてぎっくり腰になっちまった。仕事は建設業。親方として働いているが、仕事の時は緊張しているから絶対に失敗が無い。これじゃあ、弟子達に笑われるよ。早く退院しないとえらいことになる。仕事がいっぱい。2020年の東京オリンピックまでは仕事がいっぱいだからね」
ある夜中、看護師達がバタバタした。「患者さんの容態が悪い。早く電極を! 家族を呼ばなくては…..」とか言いながら、その患者を個室に入れた。朝になって、その方が亡くなられてすぐに病院から運び出されたことを知った。病院にいても、死ぬときは死ぬ。そう思った。
カバンで向こう脛を骨折した女性はずっと個室に入っておられた。理由は会社の仕事をしておられたからだ。夜中になるとアメリカにいるご主人に電話。個室でないとできないことだ。私の場合は大部屋でおばあちゃん達の生きざまを観察。
神田川日記(26)
私よりも5日くらい後に入院して来られた女性は、淋しさのせいであろうか、いつも「あーちゃん」と発していた。病室が離れていたので、一体、何を言いたいのかわからなかった。看護師達やヘルパーさん達もわからないようであった。「あんちゃん? かしら」と言っていた。
そのうち、「あちゃん」とも聞こえるようになった。もしも彼女が「アーチャーン(先生)」と言えば、私は「はい」と答えようと思っていた。
そして、ある日のこと、彼女が部屋の前でひなたぼっこをしていたので、リハビリ歩行を兼ねて近くまで寄って行った。そして、彼女に手を差し出すと、彼女はとてもうれしそうな顔をして手を出した。我々はついに握手をした。
彼女の発声は「かあちゃん」が正しかった。だが、遠くにいると、「あちゃん」にしか聞こえなかった。
神田川日記(12)
入院して16日目にギプスカットが有った。リハビリの先生から「ギプスが無くなれば、右足に半分くらいの体重をかけられるようになりますから、かなりラクになりますよ」と言われていたので楽しみに待っていた。だが、医師はすぐにまたギプスを巻いた、踵(かかと)の部分だけを除いて….。
期待がはずれた途端、後半の入院生活をどのように乗り切ればいいのかと思案した。腰を痛めた老女達にはベッド脇にポータブルトイレが置かれている。24時間、誰かがそのP-トイレを使って用を足すので、臭いと音がとても気になりだした。私がお見舞いをお断りしていた最大の理由は、このP-トイレにあった。
だが、健康のバロメーターとして、毎朝6時起床とともに看護師が前日の大小便の回数を聞いて回る。したがって、他人の臭いや音を茶化してまぎらわすために、「あいうえおの歌」を作った。
神田川日記(13)
私は毎朝6時半から7時の間に、歌を作った。ただし、かなりこじつけの感があるのは否めない。気をまぎらし、自分を鼓舞するために…..。
あいうえおの歌
頭は空っぽ入れ歯探しといびき うんち メンメン(臭い臭い) 永久にまだらボケおむつとおならで はい、さよおなら
かきくけこの歌
感情まだらで勘定は無理 きのうのこと すでに忘却のかなた 食い気だけはまだまだお盛ん 倦怠感 日増しにつのり これから先の希望無し あら、いと悲し
さしすせその歌
淋しさも感じず 死の怖れも無く すでに彼岸へ向かうのみ 生も活も今は昔 そうなの 心はすでにおだやかなりけり
姥捨て山軍団の中にいて、なんだか暗いムードになって来た。次からは明るいムードの歌を作ることに切り替えよう。
神田川日記(14)
たちつてとの歌
楽しいこと まだまだ有るよ地球の果てまで行ってみようつくづく思う 人生の妙天の恵みに感謝しつつとうとう到達 よわい90歳
なにぬねのの歌
七十歳(ななせ)の坂越えに入院坂が立ちはだかるぬくぬくとした毎日念仏を唱えるにはまだ早い望みを持って 今日もリハビリ
はひふへほの歌
はるかなる海原広々とした碧空ふと我が人生をふり返り平安なるかな本当の人生の仕上げにいざ入らん
まみむめもの歌
まだまだ入院 カーテンの中みんなそれぞれの苦痛に耐える日々むなしいとは思うものか目指すは退院もうすぐ社会復帰だあ
神田川日記(15)
やいゆえよの歌
辞め時 退き時いろいろと考えるがゆとりある人生にはエンドレスで働かざるを得ないよーし 吉川 もうひと踏ん張りだあ
らりるれろの歌
ランランランと歌いながらリズミカルに過ごせる日はいつかしらルンルン気分に早くなりたいなあ連日のリハビリ 労多くして遅々たる効果
五十音の歌が終わった。さて、どうしよう。そうだ、今度はアルファベットの歌にしよう。
