神田川日記(29)

3日間で退院して行った若い女性は病院で手話通訳をしているそうだ。だからお見舞い客も手話ができる方であった。二人は手話で話していたので、話の内容はわからずじまい。
 手話娘が出て行くと、88歳のおばあちゃんが窓際のベッドからそこに移された。彼女は発話が不自由そうであった。だから、私がいつもナースコールを押して上げて、彼女の要望を看護師達に伝えてあげた。
 このおばあちゃんは夜中に荷物をまとめるのが癖になっており、ガサゴソ、シャワシャワ、いろいろな音がカーテン越しに聞こえてきた。看護師達から「何を言っているかわからない」と言われるたびにおばあちゃんはしょげかえり、荷物をまとめ、早く家に帰りたいと言った。
 今回の入院で、どんなに病気をしようが、自分の言いたいことは要点をつかんで、明瞭に話さなければならないと思った。60歳を過ぎて、語学を習うことはいいことだ。たとえ上手にならなくても、いつも発声をしていれば、喉の筋肉が鍛えられて、発話の力が衰えないからである。

神田川日記(30)

101歳のおばあちゃんと同じ部屋にいた93歳のおばあちゃんはもう退院してもよさそうなくらい病状が回復したのに、あえて退院しそうもなかった。理由は家に帰っても一人暮らしだから。時間が来ると三食必ず提供してくれる病院のほうがいいと言うのである。その気持ち、わからないでもない。だが、私の場合、いつまでも病院に甘えていては大きなマイナスだ。
 そのおばあちゃんには息子さんが3人もいるそうだが、近くに住んではいるものの、同居はしていないとのこと。年をとると、息子よりも娘がいたほうがいいなあと思った。
 その他に、子供がいないというおばあちゃんがいた。甥御さんが頻繁に見舞いに来てはいたものの、それはそれで大変なことである。ご主人に先立たれて一人残されたおばあちゃん達も多かった。結婚していようが、独身であろうが、子供がいようが、いまいが、結局のところ、一人で病いを乗り切らなくてはならないのである。

神田川日記(31)

白菜の葉っぱで滑って背骨を圧迫骨折した高田3丁目のおばあちゃんが退院した数日後、個室から73歳の女性が大部屋にやって来た。彼女の話によると、長年にわたり、自宅で介護していた母親が去年、103歳で亡くなり、その後、無気力になり、コンビニのおむすびかパンばかりでどうにか暮らしていたら、この11月に突然立ち上がれなくなり、入院することになったそうである。介護の疲れと栄養バランスの悪さが原因であろう?
 コンビニの食べ物ばかり食べていれば体がおかしくなるのは当然だ。実は退院して自室に戻ると、机の上にコンビニで買ったロールパンが2個、袋の中に入ったままであった。よく見ると、買った時と同じような照りが表面に見られ、カビが全く生えていない。防腐剤のせいとはいえ、気持ち悪かった。73歳の女性の話が現実味を帯びてきた。
 71歳の男性は、「あと5年くらいで、もう死んでもいいよ」と言う。しかし、女性達は違う。みんな、どんなに腰がいたかろうが、100歳を目指して、ベッドの上で寝ていた。

神田川日記(32)

毎朝6時起床。熱いおしぼりで顔を拭く。7時40分頃にお茶が来て、8時に朝食。ゆったりとした時間が過ぎる。7時頃、廊下の奥にある窓まで行って、新しい空気を吸った。神田川の水面(みなも)に水鳥が一羽泳いでいる。そこへもう一羽がやって来た。つがいであろう、と思った。ところがまた次なる水鳥がやって来た。子どもかしら?
 そう思いながらしばらく見ていると、鳥の数がどんどん増えて行った。理由はパンくずを投げる赤いジャケットのおじさんがやって来たからである。鳥達は生きる術(すべ)をよく知っている。
 午後3時頃、同じ窓に立つと、水面がきらきらと輝いている。少ししか開かない窓に立って、ひなたぼっこをすると、急に元気になるのを覚えた。太陽は有り難い。ビタミンDを体に取り入れて、骨を早くくっつけようと思った。

神田川日記(終)

33日間、入院していたので、この神田川日記も33回目で終了とする。
 私には病気も怪我も関係ないと思っていた。だが、筋力不足から骨折を招いてしまった。帰宅後、ご心配いただいた皆さんに退院をお知らせすると、尾道にいる元生徒さんから驚きのラインが返信されて来た。彼女のお母様(65歳)が家の中の階段で転倒し、頭蓋底骨折と脳挫傷をおこして入院中だというのである。彼女のお父様(67歳)は実の父親の介護もしておられるとのこと。もはや老老介護はそこかしこで始まっている。
 私は骨折した時、ビルの管理人さんの手を借りてタクシーに乗ったので、退院した旨を伝え、そしてお世話になった感謝の気持ちを伝えようと思い、管理人室に電話をかけた。だが、聞き慣れぬ声の方が電話を取った。事情を説明したところ、臨時の管理員さんは言った。「彼は入院しています」
すぐに管理会社に電話をすると、管理員さん(75歳)の復帰はもう無理であると言われた。川の流れは戻らない。それぞれの人生も川の如し。どこかへと流れて行く……。

神田川日記(追記)

追記したい項目が出てきたので追記する。入院中、獅子文六(1893-1969)と吉行淳之介(1924-1994)を読み、昭和の時代を回顧した。カトリック信徒の高橋たか子(1932-2013)のエッセイでは彼女の観想生活に触れることができた。阿部龍太郎の『等伯』では、安土桃山時代の絵画や茶道の流れを知った。
 考えようによっては、重病でなければ入院生活も悪くはない。何か文章が書ける。そう思った。
 私が入院していた病院は1950年(昭和25年)に開業しているので、建物は極めて古い。だが、ノンフィクション作家である澤地久枝さん(87歳)の昔の随筆を読んでいた時、彼女が若い頃に心臓の病気でこの病院に長く入院していたことが書かれてあったのを思い出した。彼女と同じ空気を吸ったこと、これを機縁に私にも文才よ、甦れ。

神田川日記(22)

タイ文字の歌 บทกวี ของ มยรลว(MYRLW マ行/ヤ行/ラ行/ワ行)
 มีสุขภาพแข็งแรงดี(健康な体を持ち)
ยาและหมอไม่จำเป็นเลย(薬も医者も全く不要)
รักสงบ เรียนเก่ง(静寂を愛し 懸命に学ぶ)
เล่นกีฬาอย่างสนุกสนาน(スポーツで楽しく体を動かし)
หวังว่าชีวิตมั่งมีและมั่นคง(豊かで安定性のある生活を望む)
 今回の骨折で筋力の無さを痛感した。病気や怪我をして入院すると仕事ができないので収入減。医療費や入院費がかなりかかることも実感した。今後は、筋力+金力を蓄積し、さらには気力を常に維持し続けなければならない。猛省。

神田川日記(23)

タイ文字の歌 บทกวี ของ สศหอฮ(余行=SSHOH)
 สามารทสิ่งที่ทำได้(やるべきことはやれるとも)
ศึกษาค้นคว้าความจริงของชีวิต(人生の真実を追求しよう)
ห้ามเกเร ต้องขยันเข้มแข็ง(怠けるな 勤勉であれ)
อยากเรียนรู้หลายอย่าง(いろいろなことを学びたい)
ฮวงจุ้ยกับโหราศาสตร์ก็น่าสนใจมาก(風水も占星術も面白そうだ)
 入院中、多くのことを見聞した。そして、見舞いに来る患者の家族達や友人達を通して、彼らの過去や現在が観察できた。私はこれまで理屈重視で考えて来たが、世の中はそうそううまく行くものではないことを思い知った。私の場合は骨折だから、リハビリをしながら、ただひたすら骨がくっつくのを待つだけ….。退院して行く人、入院して来る人。いやもう、人間デパートだ。

神田川日記(24)

神田川沿いに在る病院は2階と3階が病室で、そこに40名ほどが入院していた。私は3階の大部屋にいたが、或る一人の男性が朝夕、洗面を終えたあと、必ず女性の大部屋に入ってこようとした。嫌らしい意味ではなくて、彼はどうやら方向感覚がつかめないようであった。洗面所で彼に会った時、私は尋ねてみた。「あのー、どこがお悪いのですか?」 すると、彼はすかさず答えた。「頭」
 バイクの転倒で骨折した男性は別室にいる男性とよく話していた。聞くところによると、二人は過去、某会社で働いていた時の同僚だそうだ。病室の入り口に掲げられている名前がかなりユニークであったので、声をかけてみたところ元同僚と判明。奇遇!
 バイクの男性は元ホテルマン。その後いろいろな職業を転戦し、現在に至っているとか。話が実に面白かったので、彼としゃべるのが楽しみであったが、ヘルパーさんから注意された。「吉川さん、異性とはしゃべらないように」
 そう言われて、腰を痛めて動けないおばあちゃん達とは違って、私は女性として見られていたんだなあと気づくと、苦笑せざるを得なかった。

神田川日記(25)

ぎっくり腰で入院している男性(65歳)がいた。「家で家具を動かしていてぎっくり腰になっちまった。仕事は建設業。親方として働いているが、仕事の時は緊張しているから絶対に失敗が無い。これじゃあ、弟子達に笑われるよ。早く退院しないとえらいことになる。仕事がいっぱい。2020年の東京オリンピックまでは仕事がいっぱいだからね」
 ある夜中、看護師達がバタバタした。「患者さんの容態が悪い。早く電極を! 家族を呼ばなくては…..」とか言いながら、その患者を個室に入れた。朝になって、その方が亡くなられてすぐに病院から運び出されたことを知った。病院にいても、死ぬときは死ぬ。そう思った。
 カバンで向こう脛を骨折した女性はずっと個室に入っておられた。理由は会社の仕事をしておられたからだ。夜中になるとアメリカにいるご主人に電話。個室でないとできないことだ。私の場合は大部屋でおばあちゃん達の生きざまを観察。