今日8月6日は皆の目が広島に注目される。今年は原爆投下から73年。毎年、テレビ中継を見ながら、8時15分、合掌し黙祷している。
もう73年とは! 香川県在住の親戚の者から、昔、「広島が光ったのを見た」と聞かされても、戦後生まれの私にはその言葉が信じられなかった。広島と香川県は離れている。何故、見えたか? しかし、そのくらいピカドンは強烈な光を放ったのであろう。
大学に入った時、広島から来た女性と一緒に寮生活を送った。英米文学科でも一緒だった。彼女はそれとなく私に言った。「被爆者手帳を持っています」、と。あとで分かったことだが、彼女は一浪していたので、私よりも1年先輩であった。彼女は寮の中で孤立していた。非常に内面的で、ガラスのボディースーツを着ているようであった。
彼女を理解することが私にはできなかった。他の寮生も然り。彼女は寮を出た。彼女のその後のことは杳としてわからない。会いたい気持ちはやまやまだが、距離を置き、彼女のことを時々思い出すだけにとどめよう。
短音記号を用いた単語
8月に入って早くも7日。タイ語を習っている生徒さんは、「7 เจ็ด ジェット」の発音を「痛い เจ็บ ジェップ」と発音しがちだ。要注意。
ところで、今日は、「短音記号 ็ ไม้ไต่คู้ マイタイクー」を使った単語を以下に列挙する。意味を書きなさい。
1)動詞=เก็บ เข็ด เช็ด เด็ด เป็น เย็บ เสร็จ เห็น เหน็บ
2)形容詞=แข็ง เจ็บ เต็ม เท็จ เผ็ด เย็น เร็ว เล็ก เหม็น
3)名詞=เข็ม เคล็ด เช็ค เด็ก เบ็ด เป็ด เม็ด เมล็ด เล็บ เหล็ก ลูกเห็บ เอ็น
4)数詞=เจ็ด เอ็ด
短音記号を用いた単語
8月に入って早くも7日。タイ語を習っている生徒さんは、「7 เจ็ด ジェット」の発音を「痛い เจ็บ ジェップ」と発音しがちだ。要注意。
ところで、今日は、「短音記号 ็ ไม้ไต่คู้ マイタイクー」を使った単語を以下に列挙する。意味を書きなさい。
1)動詞=เก็บ เข็ด เช็ด เด็ด เป็น เย็บ เสร็จ เห็น เหน็บ
2)形容詞=แข็ง เจ็บ เต็ม เท็จ เผ็ด เย็น เร็ว เล็ก เหม็น
3)名詞=เข็ม เคล็ด เช็ค เด็ก เบ็ด เป็ด เม็ด เมล็ด เล็บ เหล็ก ลูกเห็บ เอ็น
4)数詞=เจ็ด เอ็ด
同音の漢字をタイ語に訳しなさい。
日本語には同音(音読み・訓読み)で読む漢字があまりにも多い。ただし、声調ではなくて、アクセント(高低)はあるので、文脈からはその違いがほぼ分かる。以下に列挙する単語をタイ語で書きなさい。
1)風-風邪2)波-並み3)海-膿4)川-皮5)道-未知6)田-他 7)原-腹 8)岸-騎士9)地-血10)洗濯ー選択
次は、3つ以上の出題である。
11)麺ー面ー綿
12)恋ー鯉ー濃いー来い
13)十ー住ー重ー銃ー獣
14)南ー男ー難ー軟ー何
15)頭ー東ー島ー刀ー糖ー桃ー党ー棟ー盗ー当ー投ー等
このような言葉遊びはいくらでもつくれるはず。毎日、少しずつノートに書き出し、タイ語の語彙力を増やそう!
私のドクター
先月、猛暑続きの日に、見覚えのあるお医者さんがテレビの取材に応じていた。
「塩分、塩分と言いますが、塩分の摂り過ぎはいけません。普通にしていればいいのです」
それだけを聞けば、なんて冷たい言い方をする医者かと勘違いされるかもしれない。表情も硬かった。
しかし、そのお医者さんは、私が去年10月に1ヶ月ばかり骨折で入院していた救急病院のドクターである。彼は口数が少ないタイプだが、誰にでも優しい。私の入院許可を出してくださったのも彼。ギプスを巻いたり、カットしてくださったのも彼。退院する時、「もう転ばないでね」と心をこめて言ってくださった。だから、私はその言葉をいつも思い出し、注意深く階段を降りている。
私は比較的、都内を歩いているほうだから、テレビのマイクを持った人が寄って来ることがある。しかし、すべてお断り。緊張した顔は画面を通して誤解されて見られるからだ。そして、自分の意見を述べても、編集されればおしまい。
テレビでは人はわからない。望ましいのは、直接会って、相手の言葉を直に聞くこと。それに限る。
わらび餅 & ハンバーグ
昨日、新橋駅地下街で、「わらびもち シュー」というお菓子の店頭広告を見た。「口あたりなめらかな黒須きな粉クリームに、ぷるぷる食感のわらびもちをあわせました。夏限定の和のシュークリームです」
ゆりかもめに早く乗らなければならなかったので買うのはパス。
なぜ、わらび餅の話にこだわるかというと、バンコクへ行ってわらび餅を売りたいという日本の店が有ることを知ったからである。ボン講師に「タイ人にわらび餅、売れる?」とたずねると、「日本に来たタイ人がよく買って食べてますよ」とのこと。意外や意外。
現在、習いに来ている生徒さんは、タイでハンバーグ店をやりたいという。「タイ人は牛肉をあまり食べないから、無理そうね。外国人相手なら話はわかりますが」と私。
しかしながら、タイ人の嗜好は相当に変わって来ている。それもこれも、日本へのリピーターが多くなったこと、そして、小さい頃から日本的環境(例:アニメ、ゲーム、等)に慣れているから、食べ物に対して抵抗感が無いタイ人が増えて来た。
浜名湖弁天島
私は机上に去年の手帳を置き、「去年の今日は何をしたか?」というチェックを怠らない。昨年の今日、すなわち8月2日は新幹線で浜松下車、そして、友人御夫妻と合流して浜名湖へ。太平洋が一望できる弁天島の温泉でゆったりとつかり、その後、鰻と刺身を堪能した。
昨日、友人にラインを送り、一年前の思い出に対して再度、感謝の気持ちを伝えた。すると、意外な返事が返って来た。「あの温泉、つぶれちゃったのよ」
私は2000年10月31日に世界貿易センタービルへ行き、美しい夜景を目におさめた。ところがである。約10ヶ月後の2001年9月11日、「9.11」の事件が発生。あのビルは崩壊。
弁天島の温泉と9.11の事件とは全く関係ない。しかし、何であれ、永遠ではないということだ。明日がわからない時代。持ち時間をどのように楽しむか。動的な自分と静的な自分とがじっくりと話し合う必要あり。
百日紅の花言葉
7月(เดือนกรกฎาคมのกรกฎは蟹座の蟹)が終わった。今日からは8月(เดือนสิงหาคมのสิงห์は獅子座の獅子)。先月の猛暑や豪雨により誰しもが体力消耗。したがって、蟹の横ばい状態が続いた。
しかし、今日からは気分一新だ。獅子の如く、獅子粉塵で頑張ろう。だが、それが他人に見え見えになると、かえって暑苦しいから、そこは自分一人の中にとどめおき、涼しい顔をして過ごそうではないか。
現在では、近所の酒店でシンハ・ビール(เบียร์สิงห์ 獅子印ビール)も安く買える。一人、獅子と仲良く時を過ごすこともできる。実に便利だ。気分はタイ。それも可能なり。
百日紅(サルスベリ)がきれいに咲いている。百日紅の花言葉は「雄弁」だそうだ。そして、もう一つの意味は、猿も木からすべり落ちるほど幹がツルツルしているという意味で、「不用意」、もしくは、「愛嬌」。
語学を習っている我々は「雄弁」を目指したい。しかし、その道ははるかに遠い。五感全開で切磋琢磨しよう。
『徒然草』の一節
以前、ベストセラーになった『清貧の思想』(中野孝次著 草思社 1992年)を読み返した。昔の人の生き方を中野先生が彼なりにわかりやすく解説している本書は、まさしく現代人に対する<シンプルライフ>の提言にほかならない。
その中で、『徒然草』の引用が有った。孫引きをすると、こうである。
身死して財残る事は、智者のせざる処なり。よからぬ物蓄へ置きたるもつたなく、よき物は、心を止めけんとはかなし。こちたく多かる、まして口惜し。「我こそは得め」など言ふ者どもありて、跡に争ひたる、様あし。後は誰にと志す物あらば、生けらんうちにぞ譲るべき。朝夕なくて叶はざらん物こそあらめ、その外は、何も持たでぞあらまほしき。
『徒然草』は大学受験の時に抜粋的に読んだだけ。今、50年以上を過ぎてから吉田兼好の文章に触れると、ふむふむ….。まことに示唆に富んでいる。だが、実践できるか否かは即答しがたい。
パイナップル vs 玉ねぎ
我が家には和食器も洋食器も有るが、夏になると、タイの食器であるパイナップル模様の皿や小鉢を使いたくなる。これにタイ料理を盛ると、まさしくタイにいる気分になれる。しかし私はあえて冷奴を入れ、目からも涼をとっている。パイナップル模様の皿類は合羽橋で買った。以前、泰日文化倶楽部でもたまにタイ料理教室をやっており、雰囲気を出すために用意した。
一方、私はマイセンのブルーオニオン皿も愛用している。何故、玉ねぎなんだろうと思って、マイセン陶器の歴史を調べると、1739年に中国からマイセンにもたらされた皿に柘榴(ざくろ)が描かれてあったのに、欧州人になじめるようにするため、いつのまにか玉ねぎ模様になったというのが一説だそうだ。
陶器は英語で「china」というだけあって、中国陶器のヨーロッパに対する影響は絶大なものが有る。それがまた欧州の意匠をこらしてアジアに舞い戻って来たところが面白い。
最後に単語チェック。次なる単語をタイ語で書きなさい。1)陶器 2)パイナップル 3)玉ねぎ 4)柘榴 5)欧州人 6)影響 7)雰囲気 8)模様 9)倶楽部 10)歴史
