練習

「絵を見るとは一種の練習である。練習するかしないかが問題だ。私も現代人であるから敢えて言うが、絵を見るとは、解っても解らなくても一向平気な一種の退屈に堪える練習である。練習して勝負に勝つのでもなければ、快楽を得るのでもない。理解する事とは全く別種な認識を得る練習だ」

上記の文章は、『人生の鍛錬』(小林秀雄 新潮社編 2007年)の第9章からの抜粋である。「絵を見る」のところを「〇〇を勉強する」に置き換えるとしよう。すると、それ(〇〇)を勉強することがどういう意味を持つかが自分なりに納得できる。タイ語の勉強も然り。研鑽を積んで、認識を得る練習、言い換えれば、気づきを得る作業を繰り返そう。

今日の語彙

1.二月      2.二浪

3.二車線     4.二重まぶた

5.二刀流     6.米の二期作

7.二面性     8.二極化する

9.二股をかける  10.二転三転する

11.二人三脚   12.二者択一

忘れ物は忘れない

昨日、仕事で三鷹へ行った。三鷹駅のトイレを利用するたびに、トイレの中にタイ語の辞書を忘れたことを思い出す。忘れたのは30年前。しかし、いまだにその時の悔しさが浮かび上がってくるのである。

トイレから出てホームまで行ったほんの数分のうちに思い出したので、トイレに戻ってみたが、辞書はもう無かった。駅の事務所まで行って外国語の辞書が落し物として届いていないか尋ねたが、届いていなかった。

それ以来、あの時の辞書の行方が気になって仕方がない。タイ語に興味の有る方が持って行ってくれたのであれば諦めもつくが、どこかのゴミ箱に捨てられて燃やされてしまったのであれば残念。いずれにせよ、辞書の忘れ物だけは絶対に忘れない。

石破首相がトランプ大統領への土産として、鳥取市の老舗人形店の「飾り兜」を選んだ。黄金色をした大きな兜はなかなかに見ごたえがある。同じ兜が人形店から鳥取市に寄贈されたため、さっそく兜の注文が舞い込んで来ているとか…..。

生徒達に「タイ語で兜は何と言いますか?」と尋ねると、スマホで調べた生徒が「หมวกกันน็อก」と答えた。だが、タイ人講師は怪訝な顔をするばかり。

英語の辞書では「兜=helmet」。次にタイ語の辞書で「helmet」を調べると、「หมวกกันน็อก」と出る。しかし、これを聞いたタイ人講師は工事現場でかぶるヘルメットを思い浮かべ、トランプさんに何故そんなものを?と訝しんだというわけだ。タイ語では、「兜=หมวกซามูไร →サムライの帽子」というと教えてもらった。

今日の翻訳

『พระพุทธศาสนา』(小学2年生向け พ.ศ.๒๕๕๓)の中から、万仏節(มาฆบูชา )の章の一部を抜粋して出題する。なお、今年(2025年)の万仏節は2月12日であった。[注:本文に出て来る暦はタイの陰暦である]

๑. วันมาฆบูชาซึ่งเป็นวันขึ้น ๑๕ ค่ำ เดือน ๓ ของทุกปี ตอนเช้าหลังจากที่ครอบครัวของเสรีไปทำบุญที่วัด ยายอยู่รักษาศีล ๘

๒. ส่วนเสรี สุดาและพ่อกับแม่กลับบ้านก่อน และจะกลับไปเวียนเทียนที่วัดในตอนค่ำ เหมือนวันสำคัญทางพระพุทธศาสนาวันอื่นๆ ที่เคยปฏิบัติมา

๓. พ่อได้โอกาสอธิบายให้ฟังว่า “มาฆบูชาหมายถึงการบูชาในวันเพ็ญขึ้น ๑๕ ค่ำ เดือน ๓ เพื่อระลึกถึงเหตุการณ์สำคัญ ๒ เหตุการณ์ซึ่งเกิดขึ้นขณะที่พระพุทธเจ้ายังทรงพระชนม์อยู่

๔. เหตุการณ์ที่๑ คือ วันนี้หลังจากตรัสรู้ได้ ๙เดือน พระองค์ทรงแสดงโอวาทปาฏิโมกข์แก่พระอรหันต์ จำนวน ๑,๒๕๐ องค์ ที่มาประชุมโดยมิได้นัดหมาย ณ วัดเวฬวัน เขตกรุงราชคฤห์

๕. เหตุการณ์ที่๒ คือ วันนี้ก่อนจะปรินิพพาน ๓เดือน พระองค์ทรงปลงพระชนมายุสังขาร”

ประมูล/ประเมิน/ประมาณ

政府が備蓄米の一部放出を決め、農林水産省が業者の入札を待っているというニュースが流れた。流通米の不足、及び、米価の高騰は一気に国民を不安におとしめる。よって、すみやかなる打開策を講じてもらいたい。

ところで、「入札する」というタイ語は「ประมูล」。これに似たような発音を有する単語が有る。「ประเมิน 見積もる」だ。辞書では、ประมูล のすぐあとにประเมินが出ている。紛らわしいから、きちんと覚えないと、後々まで混乱が起きそう…..。

他に、「ประมาณ」という単語が有る。我々は「約/およそ」という意味で使うが、動詞としては「見積もる」という意味を有する。งบประมาณは予算だ。いずれにせよ、タイ語の接頭辞である「ประ~」シリーズだけでも単語としては数限りなくある故、第二音節の発音にはとりわけ注意して、明瞭なる発音を心がけようではないか。

歯型 พิมพ์ฟัน

先週の土曜日、午前中の授業でPさんから質問が有った。「歯型って、タイ語で何と言いますか? カミさんを歯医者へ連れて行くたびに、通訳で四苦八苦しています」 このクラスを教えているタイ人講師はタイでは歯科医である。目下、文科省の国費留学生として博士号取得を目指している。さっそく教えてもらった。「พิมพ์ฟัน」というそうだ。

Pさんはさらに質問を投げかけてきた。「歯の噛み合わせ具合を確かめるために、上下の歯の間に紙をはさみますよね。歯医者はカチカチしてくださいと言うのですが、擬音が難しい。何と言えばいいですか?」

タイ人講師はこう答えた。「เคี้ยว (噛む)とか、 ถูซ้ายถูขวา(左右にこする)と言えばいいでしょう」擬音語や擬態語を使いこなすのは難しい。なるほど、動詞で動きを説明したほうが分かりやすい。

今日のタイ語作文

マンション居住者のための防災に関する東京都のチラシから抜粋して出題する。

1.防災マニュアルを作成し、居住者が共有する。

2.防災訓練を定期的に実施する。

3.居住者名簿、要配慮者名簿を整備する。

4.耐震基準を満たしたマンションは、被害が軽微であれば在宅避難が可能である。

5.在宅避難を継続するためには、各家庭とマンション全体での備えが必要です。

いのち暗い時代

「いのち暗い時代になりつつあると思う。時代がそうであるばかりでなく、いま生きている人々、その一人一人において、いのちが暗くなっているように思える。時代にいのちの輝きが感じられないのも、一人一人におけるいのちの暗さの表われなのかも知れない」

この文章は、『いのちの優しさ』(高史明著 ちくま文庫 1987年)のあとがきの冒頭に書かれた一節である。発行年を見て驚いた。2025年にそっくり当てはまるではないか。著者の高史明氏は2023年7月に91歳で逝去された。彼の経験値にもとづくいのちに関する考察は、現代にもそのまま通じると言えよう。

東京は毎日のように人身事故が有る。そして電車が止まる。何とかならないものかと思うが、何とかならないのだ。いのちの尊さを自分自身に言い聞かせるにはどうすればいいか。学校では教えてくれない。

象の貯金箱

私の部屋には象グッズがたくさん有るが、その一つはプラスチックでできた象の貯金箱だ。象だからタイ製かと思いきや、あらためてよく見ると、Made in Finlandであった。おや、珍しい。道理で森林を思わせる美しい緑色をしている。

ところでこの貯金箱だが、鍵を無くしたから開けることができない。小銭しか入っていないので揺らせばジャラジャラと派手な音がする。どうせ開かないのだからと思い、お金を入れるのはもうやめている。すると貯金箱の象が話しかけてくる。これは開かないぞう。お金はためなきゃいかんぞう……、と。

いよいよになったら鍵屋へ持って行って開けてもらおうと思っているが、その時は完全にキャッシュレス化しており、小銭の使い道が無くなっているかもしれない。頼みとする神社の賽銭箱もデジタル化してしまっていることであろう。