今日の翻訳

 児童書シリーズに書かれた序文(โดย นายชินภัทร ภูมิรัตน พ.ศ.๒๕๕๕)の序文から出題する。上級レベルの動詞がたくさん出ているので頑張って覚えよう。

1.เรื่องนี้ เป็นหนังสือเล่มหนึ่งในชุด สื่อนวัตกรรมแห่งการเรียนรู้เพื่อชีวิต ตามปรัชญาของเศรษฐกิจพอเพียง 

2.เป็นนิทานประกอบภาพที่ปลูกฝังคุณธรรมพื้นฐานที่ควรจะเริ่มจากภายในครอบครัวตั้งแต่เด็ก

3.ได้แก่ ความรักใคร่ ปรองดองในครอบครัว ความสามัคคี การรู้จักทำงาน การแบ่งปัน มีน้ำใจช่วยเหลือกัน สอดคล้องกับแนวปรัชญาของเศรษฐกิจพอเพียง

4.สื่อการเรียนรู้ชุดนี้จัดพิมท์เป็นครั้งที่๒ เพื่อใช้เป็นหนังสืออ่านเพิ่มเติมสำหรับนักเรียนระดับประถมศึกษา ซึ่งครูสามารถจัดกิจกรรมบูรณาการในกลุ่มสาระต่างๆ ได้

軽いタッチ

 先日、バスの中で不思議な光景を見た。それはご機嫌ななめの坊やがわめき散らすのを見た初老の女性が坊やの腕に軽く手を添えたところ、彼はぴたりと泣き止み、おばあさんをじっと見つめ続けた。女性は「大丈夫よ。大丈夫」と話しかけた。よくよく見ると、彼はハンディキャップのある子どもであった。彼の母親はベビーカーを持ったまま、呆然としていた。
 私はその光景を見ながら、<軽いタッチ>の効果に内心で感嘆した。子育て上手のおばあさんの手は魔法の手だ! 坊やとおばあさんが見事に気が合った!
 教育は力ではない。強いやり方よりも、軽いほうが効果を発する場合もあるんだ。しかしながら、肝心なのは両者の目と目、心と心。教える側はついつい頑張りすぎるが、軽いタッチのほうが教わる側にはちょうどいい場合もある。

今日の作文

1.一般家庭は節約生活に入った。

2.貯金の残高が減って行くのを見るのは恐い。

3.仕事をしても、所得税は引かれるは、住民税や健康保険料は増えるやで、いいこと無し。

4.外食を減らしたので、コレステロール、血圧、血糖、等のすべての数値が良くなった。

5.結論は、精神的におだやかな時間を過ごすことが一番良いということだ。

チョンブリの海

 バンコク在住であった元生徒さんの訃報が入って来たのは先月末。それからというもの、彼が在籍したクラスでの勉強風景を思い浮かべながら複雑な気持ちにおちいっていた。しかし、昨夜、彼の散骨の様子を写した動画が送られて来たのを見てようやく安堵した。彼の遺灰が彼の愛したチョンブリの海に静かに抱かれたからである。
 その後、私は眠りについた。そして夢を見た。仏教講座に参加し、初心者として仏教を学ぶ喜びにひたっている夢である。さらには、渡し船に乗ってどこかの湖を横切っている夢も見た。空気がきれいで爽快であった。心はおだやかな浮揚感でいっぱい。
 タイを愛する日本人は多い。日本で死のうがタイで死のうがどちらでもよい。ただ言えること、それはシャム湾の海は碧くて透明。そして空も海も広くておだやか。シャム湾全体が母の胎なのである。
 

蛙と鉋

 昨日の授業で使用したタイ国語教科書(2年生用)の中に、「ไสไม้ 木を削る」という表現が絵入りで出ていた。すると、タイ人講師は補足した。「鉋(กบ)という単語は、蛙(กบ)と同じ単語を使います。鉛筆削りはกบเหลาดินสอ)と言います。何故、鉋と蛙が同じなのかはよくわかりません」
 なるほど、謎である。しかし、よくよく考えてみると形状が似ている。そうだ、その感覚から同音異義語になったのかもしれない。辞書で「กบ」を調べてみると、全部で10の意味が掲載されている。とても覚え切れない。語学は根気を要する。じっくりと取り組むしかない。
 タイ人のニックネームの中に「蛙」が有る。「大地に這いつくばって、堂々と生きよ」という願いが込められている。たかが蛙と侮るなかれ。コロナ禍に打ちのめされた人間よりも根性はしっかりしている。

今日の翻訳

タイ人Aさんと、日本人Bさんとの会話を訳し、自然な会話表現を再確認してみてください。(出典:『日本語中級Ⅱ』(โดยสมาคมส่งเสริมเทคโนโลยี่ไทย-ญี่ปุ่น)

A. ดิฉันได้ยินชื่ออาจารย์มามากเลยค่ะ

B. รู้สึกเป็นเกียรติอย่างยิ่ง

A. คราวนี้อาจารย์ทำธุระอะไรที่กรุงเทพฯคะ

B. มางานโครงการเกี่ยวกับเรื่องผังเมือง เมื่อเดือนมีนาคม เกษียณจากมหาวิทยาลัย แต่กลับปรากฎว่ามีงานที่ต่างประเทศเพื่มมากขึ้น

A. ดิฉันไม่ทราบอยู่เลยค่ะนี่

B. จะพักอยู่ที่โรงแรมนี้อีกประมาณ ๓สัปดาห์ ไว้ทานข้าวด้วยกันซินะ

タイ語上級クラス

昨日、「タイ語上級クラス」に一人の男性が見学に見えた。そして、授業後、すぐに入会手続きを取られた。決断が早い。そういう方は好きだ。

 彼は尋ねた。「事務室はないのですか?」 私は即答した。「有りません。事務員もいません。私は校長でもあり、事務員でもあり、掃除をする用務員でもあります。経費を切り詰めて、授業料を安くしています」

 「タイ語上級」クラスのメンバーは新しい生徒さんをすぐに歓迎した。約30年近くやっているこの上級クラスはもはや永遠のクラスの域に達している。それもこれも有能なイー先生のご尽力によるものであり、かつ、生徒達の粘りによって支えられているのである。

ヤラセ会見

 Y!ニュースの見出しで、<菅首相「ヤラセ会見」疑惑 挙手していない記者が指名される″珍事″の目撃証言>というのを見て、それに対するコメントが延々と紹介されていたので読んでみた。そして、一般的日本人の菅首相記者会見に感じる不満に私も全面的に同感だ。

 菅首相の記者会見を私は期待しないで見る。どこを向いているかわからない目つきを見たくないから、画面はもう見ない。その代わり、彼の滑舌の悪い日本語にいやいや耳を傾むけ、果たしてきちんと答弁しているかをチェックする。「まだ答えてくれていませんが…」と質問した某記者が促すと、新しい女性報道官が「再度の質問はおやめください」と遮った。その時点で、過剰接待を役得としていた前女性報道官と似たり寄ったりだと思った。

 ヤラセ会見はこれからも繰り返される。コメントには「茶番だ」とも書かれていた。「カカシだ」とも書かれていた。記者会見の中継を見ていた小学生が、「この人、先生に叱られないの?」と父親に言ったそうだ。何故ならば、答弁にならない答弁を繰り返しているから。

 

今日の作文

東京の梅雨明けは7月19日頃だそうだ。あと10日は梅雨空を我慢しなければならない。さあ、いつものようにタイ語と英語で書いてみよう。

1.あなたにとって、気分転換の方法は何ですか?

2.近所の神社まで散歩して行き、静寂な雰囲気のもと、大木を根本から見上げることです。

3.切手博物館へ行き、ジャンルごとによくまとめられた世界の切手を何種類も見ることです。

4.おつまみを作り、夕方、自宅で一人酒を愉しむことです。

5.使い古したタオルを、ミシンではなく手縫いをし、雑巾を何枚もつくることです。

政治家の仮病

タイ語で「仮病を使う」は、แกล้งป่วยという。แกล้ง(振りをする)+ ป่วย(病む)の2つの単語を並べればよい。念のために辞書で調べてみると、面白い表現が書かれてあった。

 それは、政治家が常套手段で使う仮病についてである。政治家の仮病は、ป่วยการเมืองと言うそうだ。ป่วย(病む)+ การเมือง(政治)から構成されている。学校や会社へ行くのが嫌で仮病を使う場合、ป่วยการเรียนとか、ป่วยการทำงานとは言わない。ลาป่วย(病欠)で十分である。

 いずれにせよ、どこの国の政治家も汚い。政治家に関係する悪事の表現を集めれば、それはそれで立派なミニ辞書ができることであろう。