人生の宿題

昨日は大学時代の親友の誕生日であった。卒業後、毎年、彼女の誕生日に電話をかけること、56回。だが、ここ数年は長話をしなくなった。理由は彼女が「人生の宿題」で忙しいからである。

彼女が言うところの「人生の宿題」とは、ご親族との永別を指す。3年前に未亡人になった彼女は老人ホームに入るつもりだと言った。そこで西洋史の専門書を読破するならば大賛成だと思ったが、親戚が多い彼女にはその前に人生の宿題をやりこなすことで忙しい。

「宿題」という言葉、嫌いである。自由時間を束縛するいやなやつだ。いやいややるのであれば、しないほうが精神的に良い。だが、学校の宿題はサボることができても、人生の宿題はそうもいかない。あまり深く考えないで、坦々と生きるしかないか。そうだ。それがベスト。

今日のタイ語作文

1.中国人は、夫婦、あるいは、仲の良い男女が一緒に梨を食べることを嫌うそうだ。

2.理由は、梨の発音の「り」が、離婚や離別に通じるからである。

3.これは独身者には全く関係ない話だ。

4.栗は縁起がいい。「勝ち栗」は戦いの勝利につながり、「栗きんとん」は黄金に喩えられる。

5.干し柿が吊るされている田舎の光景はいつ見ても郷愁をさそう。

6.葡萄はたくさんの実がつくので、子孫繁栄の象徴である。

書庫バー

昔の新聞(毎日新聞夕刊 2006.3.9)の切り抜きがひょっこり出て来た。「私がやってます」というコラムに、書庫バーを開い平石広美氏のことが紹介されていた。

「街の喫茶店が次々につぶれていく。コーヒーチェーン店ではどこか落ち着かない。『私たちの世代がゆったりとくつろげる空間がほしかった。その夢が”書庫バー″となって結実した。』 東京・四谷のバーのドアを開けると、3階の天井まで吹き抜けとなった壁に本がぎっしりと並ぶ。その数約5000冊。平石さんがせっせと集めた蔵書だ」

この記事から推察するに、約20数年前からすでに落ち着いた喫茶店は消滅の一途をたどっていたということだ。「書庫バー」で検索すると、平石氏では検出できなかった。だが彼の店を承継したとおぼしき書庫バーが見つかった。そして都内には他の店も数軒…….。従って特に珍しくはない。とはいうものの、開店当時の平石氏の心意気を大いに貴びたい。

今日の語彙

1.神無月     2.神話

3.神社      4.神官

5.女神      6.神殿

7.神童      8.神聖な

9.神経     10.心神喪失

11.神格化   12.神出鬼没

北海道から電話

一昨日、北海道から電話が有った。電話の主は冒頭、タイ語で話しかけて来た。話す速度がゆっくりめではあったものの、発音がいい。話しているうちに、彼が誰であるか声で推察できた。20年以上会っていない昔の生徒さんであった。

彼は今、北海道某市の市民病院でタイ語の通訳をしていると言った。タイ人の患者さんが来ると、ちょっとした世間話をして、タイ人達を笑わせているそうだ。彼ならできる。何故なら、小学校の頃、某企業のバンコク駐在員であったお父様と一緒に、タイの空気を吸って育ったから。

彼の結婚式に参列するため、約28年前、札幌へ行った。私にとっての初めての北海道であった。その頃、北海道とタイ人は結びつかなかった。だが昨今、冬になるとニセコには裕福なタイ人達がいっぱいやって来る。彼の勤務地はニセコではないものの、タイ人が北海道の主たる場所に増えているのは確か。隔世の感を禁じ得ない。

人間の本質を突く劇

昨夜、「ねりま演劇を観る会」の第240回例会『夜の来訪者』(俳優座劇場プロデュース)を観た。たまたま余った券が出たため友人を誘ったところ、彼女は演劇に対してトラウマが有り、しばらく観ていないと言った。だが、一緒に来てくれた。

彼女の観劇後の感想=「お誘い頂きありがとうございます。プロって素敵です。時間をかけて訓練されたものは、さすがの一言です。心から拍手しました」

『夜の来訪者』の原作者はイギリス人作家のJ.B.Priestley で、原題は『An Inspector Calls』。事前に彼のことを調べると、私が大学時代に教わった教授もこの作家の某作品を翻訳しておられた。英文学を戯曲にすると、「人間の本質を突いて、誰もが抱える心の闇が浮かび上がる」ことがあらためてよく分かった。

今日の翻訳

タイ小学校教科書(2年生向けの仏教読本 พ.ศ.๒๕๕๓)から出題する。いろいろな動詞が多用されているので、しっかりと覚えよう。

๑. ก่อนถึงชั่วโมงเรียน เด็กๆ พากันมุงดูภาพที่ครูจริยานำมาติดที่กระดานดำเพื่อเตรียมการสอน

๒. “ภาพใครครับ คุณครูจะเล่านิทานให้ฟังใช่ไหมครับ” มานะถามอย่างสนใจ สายตาจ้องอยู่ที่ภาพเจ้าชายกำลังอุ้มหงส์ขาวซึ่งถูกธนูปักบาดเจ็บ

๓. “ครูจะเล่าเรื่องหนึ่งที่สนุกเหมือนนิทานและมีประโยชน์ต่อทุกคนด้วย นักเรียนไปนั่งที่โต๊ะให้เรียบร้อย แล้วครูจะพากันนักเรียนไปรู้จักกับเจ้าชายรูปงามองค์นี้”

๔. ครูจริยาเกริ่นนำและเล่าต่อ

ปัจฉิมลิขิต(ป.ล.) =追伸

古いプリントを整理していたら、30年前にタイ語の授業を手伝ってくれた元タイ人留学生からの手紙が見つかった。日付は1996年9月末。差し出した場所はバンコクのパヤータイ区。日本から本帰国した彼女は1ヶ月以内に、今度はドイツへ行く予定であると書いていた。

そして、手紙の最後に「ปัจฉิมลิขิต(ป.ล.)」と書き、東京の数ヵ所でタイ語を教える機会を得た感謝、及び、私の健康と幸福を祈る言葉が添えられていた。現在、彼女は50代後半。

「ปัจฉิมลิขิต (追伸)」は、ปัจฉิม(最後)+ ลิขิต(書く)からの合成語である。『タイ日辞典』(冨田竹二郎編纂)で確認していると、「ปัจฉิมโอวาท」という単語が目にとまった。意味は「仏陀の最後の教えの言葉」だそうである。「即ち、อัปปมาเทน สัมปาเทถ ぼんやりと放心することなしに、気をつけて、一切のなすべきことを実現せよ」とのこと。

台無し

最近、「台無し」という言葉に数回、接することがあった。意味としては、「駄目になる」とか、「おじゃんになる」、あるいは「面目丸つぶれ」、等々。これらがまずは頭に浮かぶ。しかし、語源を探ってみると、文字通り、「台が無い」から来ていることがわかった。

茶道講師いわく、「何事も基本が肝心」。ここでいう基本とは、「基になる台」と考えられる。毎回の稽古は同じことの繰り返しだ。所作を繰り返すことで、体が覚え手が覚える。したがって、我々は研鑽を積み、「台無し」から「台有り」を目指すのみ。語学の勉強も然り。

今日のタイ語作文

1.一昨日、地下鉄駅舎内の女性用トイレに入ったら、欧米人の男性が手を洗っていた。

2.一瞬、自分が間違えたかと思い、一旦外に出たが、赤いスカートをはいたピクトグラムが目にとまった。

3.男性用の個室が空いていなかったから、彼は急遽、女性用に入ったのであろうか?

4.あるいは彼の心は女性なのであろうか?

5.いずれにせよ、外国人が増えて来ると、トイレも安心して使えそうにないことが有り得る。