今日のタイ語作文

1.私は仕事上、タクシーを利用することが多い。

2.一昨日の夜11時頃、タクシーに乗ると、運転手は高齢者であった。

3.「朝何時まで働きますか?」と尋ねると、「朝4時までです」と彼は答えた。

4.「40時間シフトです。20年間、運転していますから、もう慣れています。

5.最初の頃は零時になると眠気に襲われ、車が交番に飛び込んだことがありました」

6.それを聞いて私は恐くなった。つとめて彼に話しかけ、眠らせないようにした。

7.何故ならば、私の目的地は警察署。タクシーごと警察署に飛び込んだら一大事だから。

35年という数字

 昨日のニュースで、1988年以来、35年間、公演されて来たブロードウェイのミュージカル「ファントム」がついに最後の日(4月16日)を迎えたことを知った。パンデミックの影響が一番大きかったようだから何とも致し方ない。新しいミュージカルが生まれ、ファンがたくさん戻って来ることを期待するのみである。何よりもミュージカル関係者の仕事が継続されることが肝心。
 今朝のニュースでは、1988年4月10日に開通した瀬戸大橋のことを取り上げていた。満35年を迎えた瀬戸大橋! 1960年頃より海底調査を実施していたのを知っている私としては感慨深いものがある。多くの人の知能と労力の結実であるからだ。
 いずれにせよ、1988年という年は私にとっても記念すべき年である。泰日文化倶楽部を開塾したのが1988年10月だからだ。あと半年で35年。そろそろ終わり? それとも新たなる始まり? 空気の如くあるがままに行くとするか…..。

目には青葉

  目には青葉 山時鳥 初鰹    (山口素堂)

 新緑がとても美しい季節になった。思わずこの俳句を思い出した。鎌倉で詠まれたそうだが、鎌倉でなくても、太平洋沿いの場所であればどこでもこの句が生まれそうな気がする。
 しかし、大岡信(詩人)の『夏のうた うたの歳時記2』(学研社 1986年)における解釈によればこうなる。 「目のためには一帯の山の青葉、耳のためにはほととぎす、鎌倉の初夏はすばらしい。それさえあるのに、相模の海の名物の初鰹とは、何といい土地柄だろうというのである。初物好きの江戸人の美意識が強く感じられる」
 江戸人の美意識か! 東京に住んで59年目になるが、何年経とうが、なかなか到達できない領域、いや領粋(りょういき)である。

今日の翻訳

 『เมื่อคุณตาคุณยายยังเด็ก เล่ม๒』(การพิมพ์สตรีสาร社編・発行 พ.ศ.๒๕๒๑)の「รองเท้า」から出題する。

1.เมื่อสมัยคุณตาคุณยายยังเป็นเด็กๆอยู่ คนไทยเรายังไม่ค่อยจะนิยมใส่รองเท้ากัน ยังนิยมเดินเท้าเปล่า

2.บางคนจนแก่ตายก็ไม่เคยใช้รองเท้ากันเลย แม้ว่าแดดจะร้อนระอุอย่างไรก็เดินเท้าเปล่าได้ เพราะมีหนังเท้าหนาพอ ด้วยเดินเท้าเปล่ากันมาแต่อ้อนแต่ออก

3.และตามถนนหนทางในชนบทของเราก็มีถนนดินทั้งนั้น ตามท้องนาท้องทุ่งก็เป็นดินอีกด้วย ถึงแดดร้อนก็ไม่ร้อนจัดนัก

4.แต่เมื่อเข้ามาเดินในเมืองในกรุงเทพฯที่มีถนนบางสายราดยางมะตอย เมื่อเวลาเที่ยงหรือบ่ายแดดร้อนจัด ถนนก็จะร้อนตามไปด้วย

5.พวกที่เดินเท้าเปล่าต้องลำบากหน่อย เดินไม่สบายนักแต่ก็ทนได้เพราะฝ่าเท้าหนาพอ

6.พวกที่เป็นขุนนาง เจ้านาย หรือคนมีเงินก็มีร้องเท้าใส่ ผู้ชายมักใช้แบบฝรั่ง เพราะเครื่องแบบราชการของเราใช้รองเท้าแบบฝรั่ง “สวมถุงน่องรองเท้า” เต็มที่

小さなお客様

 半年前より月一回の割合で日曜日の午後、個人レッスンを受けに来られる生徒さんがいる。彼女は20数年前に大学で教えた元学生だ。授業中に私が喋った余談まで実によく覚えていた。40歳を過ぎて、急にタイ語を再開したくなったらしい。私としては昔の学生にまた教える機会ができてとても嬉しく思っている。
 一つ異なる点は、彼女の横に娘さんが座っていることだ。孫がいない私にとっては小さい子供を観察することができて面白い。何よりも印象的なのは子供の目。輝いている! いろいろなことを知りたいという好奇心の目!
 彼女は今春、小学校に入学した。聞くところによると、女の子は母親と一緒に泰日文化倶楽部に来るのが好きだとのこと。タイの国語教科書の中に書かれた絵を見ながら不思議そうにしている。先日は「サワッディー・カ!」と言って教室に入って来た。彼女の後ろにはお兄ちゃんも一緒だった。

親友の意気込み

 昨日、大学時代の親友と4年ぶりに会った。彼女の希望で新宿御苑を散策。昨夏、未亡人になってしまった彼女がこう言った。
 「これが最後になるかどうかは分からないけれど、とにかくこれだけは言っておきたいの。東京ではあなたがいつも大いなる広い心で受け止めてくださったことに感謝します」
 そこで私はすかさず応じた。「四国の人間だから東南アジア的なのよ、私….。雪国の人とは確かに違うわね。その台詞、まだ早いわ。10年後に言ってちょうだい」、と。
 我々は努めて明るい話をしようとした。一人暮らしになった彼女から、別れ際に素晴らしい話を聞くことができた。
 「某校が日本の各地に分校をつくっており、なんと新潟にもできました。特殊な学校だけど、そこで西洋史を講義してほしいという依頼が有り、それを引き受けたの。これからは授業の準備で忙しくなるわ」
 

今日のタイ語作文

1.熟睡は体力回復、及び、精神的疲れの解消にとても良い。

2.寝る姿勢だが、体を曲げて寝るのは良くない。

3.寝室は空気の通りを良くすると眠りやすい。

4.湿気が多すぎると寝苦しい。

5.就寝前、タイ人は仏像に合掌し、読経を唱える。

聴力(ヒアリング)

 昨日、2つのクラスの生徒さん達に対して、タイ人講師に短文を読んでもらい、それを逐次訳させた。目的は「聴力(ヒアリング)」を確かめるためである。
 使用されている単語は既習語ばかり。したがって、すぐに訳せると期待したが、実はそうではなかった。好きな単語は聞き取れるが、それ以外はアウト。次から次に単語が出て来ると、前半部分を忘れ、最後の単語だけが頭に残る。それでは全体がつかめず文意は不明のまま。聞き取って、何を言わんとしているかをイメージする段階にまで達することができない。
 日本人は目で語学を勉強するのが好きだからテキストやプリントをどうしても求める。だが、紙やペンの無い状況の中でタイ語を耳だけで勉強することもやってみてはどうだろう。耳を傾け必死に覚えようとすると、文全体が自分の感覚でとらえられるようになる。そこまで頑張ってほしい。

เจริญ というタイ語

 「เจริญ 栄える」というタイ語は、タイの小学校国語教科書では1年生の後半には出て来ている。すなわち、タイ国はとても豊かであり、昔から餓えることなく栄えている国であるという意味合いで子供に教える。
 しかし、学校で習うよりも以前に、子供達はニュースでいやというほど耳にしているから、この言葉は誰でも知っていると言えよう。究極は「ทรงพระเจริญ 国王陛下に御栄有れ!万歳!」である。
 バンコクに初めて開通した「ニューロード」の名前は「เจริญกรุง」。これは日本人にも通暁している。
 先日、「今日の翻訳」で出したタイ文の中に、「เจริญพระพุทธมนต์」という表現が見られた。これは仏教用語であり、「読経する」という意味である。その他、辞書にはいろいろな表現が列挙されている。庶民に一番うれしい表現は「เจริญอาหาร 食がすすむ」であろう。

今日の翻訳

 『ชีวิตจำลอง』(พล.ต.จำลอง ศรีเมือง著 บริษัทเคล็ดไทย刊 พ.ศ.๒๕๓๓)の「ไม่ถึงคราว」から出題する。

1.ตอนอยู่ชั้นมธยม ผมพบหมอดูซินแสคนหนึ่ง เป็นเจ้าของสวนกล้วยหอมใกล้ๆวัดสำเหร่

2.ผมไม่ได้บอกให้แกดูผมสักหน่อย อยู่ดีๆแกก็เอ่ยปากทำนายทายทักว่าผมอายุสั้น ไม้เกิน ๒๕ปีก็ตาย

3.ผมไม่รู้จะเถียงอย่างไร ไม่เคยเรียนรู้วิชาหมอดู ไม่ว่าจะเป็นการผูกดวง ดูลายมือ หรือดูโหงวเฮ้ง

4.เคยเห็นมีใครๆไปดูหมอกับตาผมบ่อยๆ แม่นบ้างเกือบแม่นบ้าง

5.ตาเรียนดูหมอมานานตั้งแต่สมัยอยู่วัด ตำรับตำรามีครบ

6.ผมก็ไม่ได้ให้ตาตรวจดูโชคชะตาเสียด้วย คำทำนายของซินแสอาจถูกต้องก็ได้