親しくしている元タイ女性講師から傑作な写真がラインで送られて来たので、私は返信した。「วันนี้ก็มาเป็นล่ามให้ตำรวจค่ะ」 すると、彼女はこう返して来た。
「อาจารย์ทำงานแยะไหมคะ ทำงานก็ดีค่ะ จะได้ใช้สมอง สมองจะไม่ได้เสื่อมค่ะ」
後期高齢者の私を元気づけてくれていると素直に解釈した。しかし、今年の夏はこたえる暑さだ。脳みそがとろけそう…..。仕事中、いつも特上の鰻重を頭に描いている。
親しくしている元タイ女性講師から傑作な写真がラインで送られて来たので、私は返信した。「วันนี้ก็มาเป็นล่ามให้ตำรวจค่ะ」 すると、彼女はこう返して来た。
「อาจารย์ทำงานแยะไหมคะ ทำงานก็ดีค่ะ จะได้ใช้สมอง สมองจะไม่ได้เสื่อมค่ะ」
後期高齢者の私を元気づけてくれていると素直に解釈した。しかし、今年の夏はこたえる暑さだ。脳みそがとろけそう…..。仕事中、いつも特上の鰻重を頭に描いている。
1.タイ語では、魚、洋服、机の数え方は同じである。
2.タイ語では、書物、ナイフ、針の数え方は同じである。
3.タイ語では、靴、箸、夫婦の数え方は同じである。
4.タイ語では、犬と象は数え方が異なる。
5.タイ語では、葉書と切手は数え方が異なる。
6.タイ語では、庶民の年齢と国王の年齢は異なる単語を使う。
今日から大暑。8月7日までだそうだ。すでに連日の猛暑で心身ともにかなり消耗しているが、あと2週間、まだまだ耐えなければならない。そうすれば泰日文化倶楽部の夏休み(8月8日~21日)を迎える。
猛暑、酷暑、極暑、ではもはや表現しきれないほどの暑さだ。ダンテの『神曲』の中に「煉獄篇」があるが、それを文字って、「煉暑」と言いたい。「煉」という漢字には、①金属を火にとかして質のよいものにする、②粉状のものをこねて固める、という意味があるそうだが、この熱波では気合いのエンジンがかからず、とろけるだけだ。
画家の三岸節子(1905-1999)が書いた『花こそわが命』(求龍堂 1996年)を再読した。情熱的な文章はいつ読んでも新鮮だ。彼女が1955年にフランスから帰国した際、船上から見た日本列島に関する描写が面白い。
~帰りの船がだんだん日本に近づいて、やがて沖縄の島々が見えましたとき、空が白っぽくなり、ガスが一面にたれこめて、ああ水蒸気の風土に帰ってきたのだ、としみじみ思いました。~
日本は高温多湿だ。フランスと比べるとなおさらそうだ。だが、湿っぽいのは風土だけではない。日本人の気質も湿っぽくて、もやもやしている。理不尽な事件が頻発するのもこの不確実性のせいではないかと思う。
前回に引き続き、『เด็กชายมะลิวัลย์』(ประภัสสร เสวิกุล สำนักพิมพ์ดอกหญ้า พ.ศ.๒๕๓๐)から出題する。章のタイトルは「รั้วสังกะสี」である。
1.แม่เล่าว่า ก่อนสงครามโลกครั้งที่สอง มีญี่ปุ่นมาทำมาหากินในกรุงเทพฯ อยู่ไม่น้อย
2.บางคนเปิดร้านตัดแว่นตา บางคนเป็นหมอฟัน บางคนเป็นเสมียนตามห้างญี่ปุ่น…
3.แต่พอญี่ปุ่นยกกองทัพมาขึ้นฝั่งไทยที่ปากน้ำและภาคใต้ บรรดาชาวญี่ปุ่นในกรุงเทพฯ ก็พากันถอดชุดธรรมดามาสวมเครื่องแบบนายทหารญี่ปุ่นกันพรึ่บพรั่บ
4.แม้แต่นายธนาคารญี่ปุ่นคนหนึ่งก็เพิ่งทราบความจริงกันในตอนนั้น ว่าแกเป็นนายพลคนสำคัญของกองทัพงิที่เข้ามาวางแผนการใช้ดินแดนไทยเป็นฐานที่มั่นให้ทหารของพระเจ้าจักรพรรดิเคลื่อนพลไปตีมาเลเซีย เกาะสิงคโปร์ อินโดจีนของฝรั่งเศส และพม่า
5.แม่เล่าว่ากรุงเทพฯ เริ่มคับขัน เมื่อฝ่ายพันธมิตรมีชัยในยุโรป และตีโต้ญี่ปุ่นในแปซิฟิคกับเอเซียอาคเนย์ พร้อมๆกับที่ความขาดแคลนเสื้อผ้าเครื่องนุ่งห่ม อาหาร ยารักษาโรค และเครื่องอุปโภคบริโภคต่างๆกำลังระบาดไปทั่วนั้น เครื่องบินของฝ่ายสัมพันธมิตรก็เริ่มบินมาทิ้งระเบิด…..
昨日、朝の通勤時間帯に巣鴨駅に降りた。改札口に通じるエスカレーターには長蛇の列。そこでホーム上にある小さなキオスクに寄った。私とすれ違いに一人の女性が出て行った。「よろしく」、と言いながら。その人は日本人ではなかった。
交代してレジに立った女性も日本人ではなかった。他に客がいなかったので、彼女にたずねた。「どちらのお国の方?」 彼女は「ネパールです」、と。そこで私は「ナマステ」と挨拶。ほとんど客が無さそうなキオスク。そこで真面目に働きながら日本社会や日本人を観察しているアジアの女性。夕方6時前に再び巣鴨駅に戻り、そのキオスクの前を通ったが、店はもう閉まっていた。
昨日、旧知のタイ女性とお会いした。「娘は結婚しそうもありません。してもしなくてもいいです。縁だから」と彼女が言ったので、「そうですよ。結婚は御縁だから。ところでこの場合の御縁はタイ語で何と言いますか?」と私。「พรหมลิขิต」とすぐに彼女は答えた。
『タイ語辞典』(冨田竹二郎編纂)でこの単語を調べると、「宿命(生まれて6日目に大梵天王が赤児の額に線で書きつけると信じられている)」、とか、「梵天が書いた運命」と書いてあった。何だか悲観的な感じがただよう。だが、日本人が日頃使う「御縁」には「もしも機会に恵まれれば…..」というプラス志向がある。タイ人と日本人の感じ方が異なることを思えば、単語の訳し方も自由であってよい。
1.私にとって、山暮らしも島暮らしも無理です。
2.駅から近くて、いろいろな店がある街中が住みやすいです。
3.クリニックや美容院が歩行圏内にあるのも便利です。
4.願わくば、美味しいレストランがあるのも理想です。
5.いずれにせよ、どこに住もうとも、肝心なことは知恵を使って楽しく生きることです。
生徒さんから、「NHKの<ワールド トラック ロード ~タイ編>は面白いですよ。それに知っている単語が聞き取れて嬉しかったです」という報告を受けていた。昨日の午後、たまたま再放送していたので私も見た。チャイナート県からチェンラーイ県のメーサーイまで片道3日をかけてセメント(注:ミャンマーに売却)を運ぶトラック運転手の話であった。復路はランパーン県で鉱物資源を積載することになっていた。
中央タイから北タイの北端までの道路と周囲の田園風景がすばらしかった。帰路、運転手はラオス人の奥さんと子供に会うため、チェンコーンからラオス入りをするが、途中、黄金の三角地帯も寄ってくれた。雄大な景色だ。経済的開発はやめてほしい。運転手は子供に高い学歴をつけさせるために頑張って働いているという。時代は経ても、いつの世も、そして、いずこの国の親も同じく子供一筋なのだ…..。
昨日、高校生にタイ文字を教えていると、テキストの中に、「อยู่ดีมัสุข」という表現が出て来た。「อยู่ดีกินดี」と類似したもので、これらをタイ人は好んで使う。いずれも韻を踏んでおり発音しやすい。「อยู่ดี」は「安穏に暮らす」という意味であり、「贅沢な暮らし」ではない。「มีสุข」は「幸せである」。
日頃の暮らしに慣れきってしまうと幸福度がわからない。基本的なタイ語の動詞に置き換えて、あらためて自分がいかに幸せであるかを考えてみよう。๑. กินดีมึสุข ๒. นอนดีมีสุข ๓. ทำดีมีสุข ๔. ทำงานดีมีสุข ๕. เรียนดีมีสุข ๖. สอนดีมีสุข ๗. พูดดีมีสุข ๘. จำดีมีสุข ๙. ขายดีมึสุข 余談だが、これらの動詞は声調はあるものも含まれているが、いずれも声調記号はついていない。