1.石 2.岩
3.砂 4.礎
5.宝石 6.研磨する
7.研究する 8.確認する
9.破砕する 10.破裂する
11.大砲 12.他山の石
1.石 2.岩
3.砂 4.礎
5.宝石 6.研磨する
7.研究する 8.確認する
9.破砕する 10.破裂する
11.大砲 12.他山の石
かつて雑司が谷に小学校が有った。校庭の隅っこにウサギ小屋が有り、子供たちが世話をしている様子が見られ、のどかな風景であった。しかし、かなり前に閉校され、5年前からは公園として整備されている。遠くにはサンシャインビル……。次から次に建つ高層ビル群が都市化の速度を否が応でも感じさせる。
その小学校の近くに在った文房具屋が今春、ついに解体された。町なかの文房具屋として風情を残していたが、その頑張りにももはや限界が……。解体された更地にはあっという間に雑草が茫々。大人の腰の高さまでに達している。元の主(あるじ)は今、いずこに?
その文房具屋から100m位、離れたところに在った昔ながらの医院も先週、解体された。解体している業者はすべて体格の良い外国人。産業廃棄物車に廃材をどんどん載せていた。昨日、その場所の前を通ると、完璧なる更地になっていた。来月にはそこもおそらく雑草に覆われていることであろう。
元タイ人講師が大阪万博のタイ・パビリオンについて書かれたネットニュース(โดยเหมียวหง่าว/Catdumb.com/2025.4.18)を転送して来た。その中から抜粋して出題する。
๑. รายงานจากสื่อบอกว่างบประมาณที่เอาไปใช้ในการจัดแสดงโชว์และการก่อสร้างอาคารนี้ทั้งหมดรวมแล้วกว่า ๙๐๐ล้านบาท
๒. แต่คุณภาพของคอนเทนต์ที่โชว์ในงานเหมือนกับงานแสดงโชว์ผลงานของโรงเรียนมัธยมปลายยังไงอย่างงั้นเลย
๓. ขณะที่อีกส่วนก็มองว่า งานExpo มันการโชว์เทคโนโลยี และการมองถึงอนาคต แต่พอมาเดินที่บูธของไทย มีแต่กลิ่นร้านนวด มีแต่กลิ่นอะไรที่เป็นไทยๆ โบราณๆ ไม่มีการโชว์อะไรที่เป็นเทคโนโลยี อย่างน้อยก็ขอให้แสดงเทคฯ เกี่ยวกับด้านสุขภาพซักหน่อยก็ยังดี
๔. หลายคนติงว่ายังเหลือเวลาให้จัดแสดงโชว์ อีก ๖เดือน ยังไม่สายที่จะปรับปรุงแก้ไข
๕. แล้วเพื่อนๆ ชาวแคทดั๊มบ์คิดเห็นอย่างไรกับเรื่องนี้บ้าง? ลองคอมเมนต์มาแลกเปลี่ยนกันได้นะครับ
昨日、「タイ語中級 火曜日13:00」のクラスで、タイ人講師から面白い表現を教わった。それは以下の通りである。
日本に観光に来るタイ人の行動パタンには一律的な傾向が見られる。そこで生徒達に「タイ人はコマーシャルに弱い。それをタイ語で言うと、どう訳しますか?」と問いかけてみた。生徒達は「弱い」から訳し始めたがすぐに行き詰まった。
すると、タイ人講師が白板に「ทาสการตลาด」と書いた。ทาส ้は奴隷、そして การตลาดはマーケティング。つまり、「マーケティングの奴隷」となる。言い得て妙だ。念の為、ทาสを調べると、奴隷の他に、「〇〇の虜(とりこ)」という意味が有った。
昨日、仕事に出かける寸前にキャンセルの一報が入った。台風接近が理由であった。緊張していた神経が急にゆるんだ。「わーい、休みだ!」 怠け心がパーと体中に広がった。読書だ読書。
電気スタンドをつけようとすると、スタンドの台座に置かれた旧50円玉が目にとまった。鋳造年は昭和40年(1965年)。直径が約2センチ4ミリ。穴あきである。現50円玉にも穴があいているが、直径が2センチだから、旧のほうが現よりも大きくて威厳が有るように見える。
では何故この昭和40年発行の50円玉をスタンドに置いているのか? 理由は私が東京に出て来た年と同年だからである。この60年間、いろいろと学び経験した。この旧50円玉も様々な人々の手を経て私に辿り着いた。それを思うと、同士として愛おしいのである。
1.東京都選挙管理委員会による参議院議員選挙選挙公報が郵便受けに入っていた。
2.与党であれ野党であれ、あるいは新党であれ、選挙公約はすばらしい。
3.だが、それは選挙時だけのものであり、実行に移せたためしが無い。
4.国民の要望に対して、複雑化しすぎた社会では問題解決の端緒がみつからない。
5.利権と金儲けを狙う政治屋は要らない。とはいえ、一部の国民や業者が彼らにすがる態度を変えないのも問題だ。
ジューン先生が国際歯科学会参加のため、6月下旬から7月上旬にかけてバルセロナへ行かれた。そして生徒達にスペインのお菓子をお土産に買って来てくださった。ポロポロ感のあるクッキー風の菓子は、どことなく沖縄のちんすこうに似ていた。かすかに香る匂いはやはり遠い異国を思わせた。
餞別として手元にあったユーロを私は彼女に差し上げていたので、気を使われたのであろうか、私にはデミタス、及び、小皿がさらにプレゼントされた。デミタスの外側にはMadridの観光地が描かれている。中は真っ赤。いやはや情熱的である。
そして小皿の模様はセルビア焼の全方位型。360度の世界に向かって植物の花弁が広がっていく。基調の色は黄色。そして刺し色としての青が効いている。スペインは遠い。おそらく行くことはないであろう。せめてデミタスに熱いコーヒーを入れて、イベリア半島への想像を広げることにしよう。
『殉愛 原節子と小津安二郎』(西村雄一郎著・新潮社 2012)を読んだ。原節子と小津監督の二人のことが主題ではあるが、二人の周辺にいた映画人や家族との絡みが詳細なる調査のもと、事細かに描写されているので、戦前戦後の銀幕のことがあらためてよく分かった。
著者の西村氏が小津作品を繰り返し観ているのは映像ディレクターとして当然だが、特に10年毎に意識して観ているそうだ。すると、ご自分が年齢を重ねるにつけ共鳴部分が多くなり、小津監督の映画に通底する無常感(=孤独、寂寥、枯淡、清澄)が再認識されるとのこと。
今年は特に暑い。いや暑すぎて言葉にならない。映画館で往年の映画を観て、過ぎ去りし時代のシーンの中から人間とは何かを考えたい。
1.海岸 2.海原
3.海図 4.海峡
5.航海船 6.航海士
7.雲海 8.樹海
9.海藻 10.海豚
11.海月 12.海星
友人から、「和裁を教えることができる方をご存知であればご紹介ください」と言われた。そこで、20年間、和裁教室に通い、何枚も着物を縫った経験をお持ちの方が「タイ語中級 水曜日17:30」のクラスにおられるので、昨夕、この話をもちかけると、和裁教室の経緯を聞かせてくださった。着物を縫う基礎段階の運針のところで離脱して行く人を何人も見たそうだ。
元生徒さんにもあたってみた。すると和裁のプロをすぐに見つけてくださった。しかし、金額面で折り合いがつかない感じが見てとれたので、やんわりとお断りした。
友人は浴衣が縫えるようになりたいと思っているが、その浴衣にこそ、和裁の基本がすべて盛り込まれているとは、プロの弁。まずは運針からといっても、その運針にも数段階が有り、それを終えると、やっと浴衣の袖を縫うとのこと。生徒達は運針の段階で離脱。和裁なんて、浴衣なんて、と簡単に思っていたが、いやはや驚き桃の木山椒の木である。