昨日、横須賀のホテルで行われている「横須賀支部花展 碧水薫風」へ行った。横須賀は軍港の街。週末の街を歩いている人々を見ると、異国情緒たっぷり。
今どきの花はやはり紫陽花。私も紫陽花色の青い服を着て出かけた。もちろん意識して。
65名の方々が活け込んだ作品をひとつひとつ丁寧に見ていると、宴会が終わったばかりの男性が私に近づいて来てこう言った。
「私の知り合いは布で花を作っています。長く持っていいですよ」
「あら、それは素敵ですこと。いいアイディアですね」と、私。
だが、私は心の中で反論した。たしかに生の花はすぐ枯れる。美しさは一瞬のもの。だからこそ折々の季節の花の美が目に焼き付くのだ。埃をかぶってずっと飾られている布花よりも、私は生花に軍配を上げたい。
3歳の坊や、アメリカへ
国際弁護士であるアメリカ人T氏の坊やと先週、結婚披露宴で会ったが、それはそれは可愛い坊やであった。ネクタイをしたのは初めてらしいが、小さな紳士という感じであった。
昨夜、聞いたところによると、その坊やが日本人である母親と一緒に、T氏の実家があるアメリカへ1ヶ月の予定で出かけて行ったそうだ。
理由は、英語の音感をつけさせるため。想像するに、坊やはその1ヶ月で英語の感覚をたくさん吸収してくるにちがいない。
大人になると、外国語の発音はなかなか上達しない。外国語を始めるなら、早ければ早いほどよい。そう思う。
活字の大きな文庫本
一昨晩、日暮里駅を降りて、根岸にある精進カレー料理店「オンケル」に行く途中、古本屋が有ったので入ってみた。そして、『二つの祖国』(山崎豊子 新潮文庫 平成21年)を買った。新品で4巻本が何とたったの400円也。本屋でまともに買うと、消費税込みで3千円はしそうだ。
この一週間で喜びと悲しみが一斉におとずれたので、昨日は終日、家にこもって気持ちを静めようとした。だが、寮友の死は重かった。生き方について教えられることがあまりにも深くて大きいからである。
気分を変えようとして、『二つの祖国』を読み始めた。山崎豊子の取材力と構成力にぐんぐん惹きつけられる。
何よりも良い点は、活字が大きい文庫本であったこと。実に読みやすい。昔の本の活字はほんとうに小さかった。文字が詰まっていた。今思えば、よくぞそのような本を読んでいたものだなあ…..。
文字が大きいと漢字もよくわかる。有難い。
中学生と栓抜き
亡き寮友の葬儀はカトリック上野毛教会に於いて美しい聖歌隊の声につつまれて荘厳なうちに進行した。そして、棺は大森海岸近くの臨海斎場というところに運ばれた。行ってみると、閑散としていた。昨日は友引であったため、仏教徒の方達の葬儀が全く無かったせいである。
御親族達と一緒に軽食をとっている時、中学一年生のお孫さんが、瓶に入ったジュースやウーロン茶の栓を栓抜きで開けるのに格闘していた。非常に不思議に思った。しかし、やがてその理由がわかった。最近のお子さん達はペットボトルの栓を回すとか、缶のプルトップを引き上げるとか、紙パックに入った牛乳を飲んでいるから、昔ながらの栓抜きは使わない。この調子だと、缶切りで缶のふたをあけるのも無理だろう。
しかしながら、年をとってくると、そのペットボトルの栓を回すのに四苦八苦。指先に力が入らないから開かない。ペットボトルの飲料を飲む時は、だれか若い人を必要とする。だが、「栓を開けてくださいな」と頼むのが恥ずかしい。指先体操をして、握力をキープしておかなければいけないなあ。
2つのS と 2つのI
昨晩、寮友Sさんのお通夜に参列した。御主人のご挨拶がとても叡智に満ちていた。奥様の一生、そして、お二人のご家庭のことが理知的に語られた。中でも次なるお話に心うたれた。
「彼女は、新渡戸稲造博士が建学した東京女子大学で学びました。東女のマークは二つのS,サービス & サクリファイス、これが大学建学の基本精神であると伺っております。奉仕と献身、この二つは彼女の人格形成の基本であったと思います。 しかし、私は彼女にさらにもう二つのIを贈りたいと思います。それはインテリジェンス & インディペンダンスです。知性と独立不偏、二つのSに二つのI,これこそ彼女の性格と人生を象徴する言葉であったと思います」
Sさんとは大学卒業以来、ずっと年賀状を交わしてきた。10年位前は韓国語を習っていると書いてあった。御主人がソウル駐在であられたことを昨夜初めて知って納得。ところが今年の年賀状には中国語を習っていると書いてあった。やはり昨夜、その理由がわかった。御子息が中国人と結婚されたので3歳の孫息子と中国語で話したかったそうである。
Sさんは10年余にわたって体調をこわされていた。「タイのプーケットへ旅行する直前に発病しました」という御主人の説明を聞いて私は驚いた。彼女にタイを楽しんでもらいたかった。
六月上旬における時候の挨拶
今日から六月。時候の挨拶としては、以下のような表現があるようだ。
①衣替えの季節となりました。→ だが実際は、五月からすでに夏服を着て大いに汗をかいている。
②梅雨のうっとおしい時期 → この暑さだと、今年はきっと<からつゆ>かも?
③薄暑の候 → 猛暑の候みたい。
④麦秋の候 → 麦酒の候のほうがいいなあ。
というわけで、季節の挨拶は大いにずれっぱなしだ。エルニーニョ現象に合わせて、この際、挨拶言葉を変えても不思議ではない。
新しい講師のピカピカ先生
そろそろタイにお帰りになる予定のトン先生が、昨晩、後任の先生を教室に連れて来られた。愛称は、「プレーオ(แพรว)」。
生徒達は「どういう意味ですか?」と一斉に興味を示した。
「プレーオ・プラーオ แพรวพราว という言葉からきていますが、ピカピカ光り輝くという意味です」と彼女は答えた。
私は彼女を見た瞬間、はっとするものがあった。それは、今晩、お通夜、そして、明日、告別式に参列する予定の亡き寮友S子さんのおもかげを、このピカピカ先生が写し持っていたからである。
50年前に東京女子大学に入学し寮生活を始めた時、私はS子さんと同じグループであった。今月の中旬、同窓会を予定していたにもかかわらず、S子さんは早々に逝ってしまわれた。
先週の土曜日、訃報が入ってきてからというもの、私はS子さんをずっと偲んできた。しかし、彼女の雰囲気をそっくり持ったタイ女性が泰日文化倶楽部に現れた。私は輪廻転生を信じる。
いろいろなゴールイン
昨日、銀座で行われた結婚披露宴に行った。新郎と新婦が50代前後であったため、列席者は3歳の坊やから70代の紳士まで年齢の幅はものすごく広く、かつ、いろいろな職業の方達ばかりの集まりだから非常に面白かった。国際弁護士のアメリカ人が臨時牧師の役を演じた。普段は弁舌さわやかな方だが、さすがに緊張しておられた様子がありあり。
何度も食事をしたことがある花嫁に双子の妹さんがいることを全く知らなかったので、受付にいる妹さんを見て、「あなた、早くウエディング・ドレスに着替えなさいよ」と言ってしまった。
最後に花束贈呈が有ったが、それは新郎新婦から両親にというかたちではなくて、列席者の中の鮨職人(60歳後半)が長い恋を実らせて、最愛の女性(60歳前半)と入籍されたことに対するお祝いの花束であった。そして、7月に結婚式を迎えるとても若いカップルにも新郎新婦から花束が贈呈された。
いろいろなゴールインを見て、人生を感じた。ところが、二次会で、ドドーンと揺れた。またもや震度5弱の地震だ。東京は震度4だったが、山手線が止まり、タクシーで帰宅するはめとなった。
スウェーデンの女子剣士
昨日から明日まで、武道館で世界剣道大会が行われている。今日は女子の試合が有る。
生徒さんの姪御さんがスウェーデン代表で出場される。理由は、こうである。生徒さんのお兄様がスウェーデン女性と結婚され、長くスウェーデンに住まわれているそうだ。お兄様は剣道の先生をしておられ、50年近くの長きにわたり、たくさんのスウェーデン人に指導をされておられる。今度の大会には、娘さんも選手として参加して来られたとのこと。
ネットで調べると、ホテル代が高いので、スウェーデン人選手達は日本人のご家庭にホームステイしていると書いてあった。部屋を提供されている日本人はすばらしいと思う。これこそが<おもてなし>だ。
本当は応援に行きたいが、今日は午後から知人の結婚式がある。気持ちだけ、姪御さんにエールを送ることにしよう。
今日から「タイ語入門 金曜日19:00」を新規開講!
今日から、「タイ語入門 金曜日19:00」を新規開講する。久々の開講なので、とても嬉しい。
これから8月上旬まで勉強すれば、旅行タイ語のイロハくらいは話せるようになる。そして、実際にタイへ旅行して、大きな弾みと刺激を感得して来てもらいたい。
今日から勉強される3名はすでに無料体験受講をしておられるから、彼女達の学習目的を私は知っている。
K子さんの場合、タイ語を発音した時にリズムが感じられた。なんでも20年間、タイ舞踊を習って来られているそうだ。なるほどなあと思った。
タイ語は聞いたことがあっても、習うのは初めてだそうだ。指導するのが楽しみである。
