漢字の遊び・タイ語の遊び

 一つの漢字にもう一つ画数を加えると、全く違った意味の漢字になる。
 口→日、日→白 白→百、目→自、十→土、木→本、大→犬、大→太、皿→血、了→子、等々。
 では、タイ語ではどうだろうか。一字、加えると、やはり全く異なる意味になる。
 ชา(茶)→ ชาย(男)、ตา(目)→ ตาย(死ぬ)、ทา(塗る)→ ทาง(方向)/ทาน(食べる)、 ปิด(閉める)→ เปิด(開ける)、รอ(待つ)→ รอง(副)/รอบ(~周)、สด(新鮮な)→ โสด(独身)/สุด(末の)、ขน(運ぶ)→ ขนม(お菓子)、มา(来る)→ หมา(犬)/มาก(たくさん)、หมอ(医者)→หมอก(霧)、 มอ(牛の鳴き声)→ มอง(眺める)/โมง(~時)、มด(蟻)→ หมด(無くなる)、หอ(タワー)→ หอม(香りがいい)、等々。
 枚挙にいとまがない。時間があれば、漢字遊び、タイ語遊びはいかが?

有気音 と 無気音 を練習しよう!

 授業をしていていつも思うこと、それは日本人にとって有気音と無気音の発音が難しいということである。発音している生徒達は何故、ダメなのか気づいていないようだ。
 今日は日曜日。のんびりと休日を楽しむ余裕のある方は、以下の文章を何度も発音してほしい。
① พ่อเพื่อนผัดผักเผ็ดๆแปดนาที
② ป้าไปปักกิ่งกับพี่สะใภ้ปีนี้
③ คุณกินกาแฟเย็นเก้าแก้ว
④ เขาเคยขายไข่ไก่ที่ขอนแก่น
⑤ ตอนเที่ยงเธออยู่ที่ไหน
⑥ ต้องตัดต้นไม้จนถึงวันอาทิตย์ 

不等辺三角形

 毎朝(ทุกเช้า)、テトラポッドに近い形をしたティ―バッグの紅茶を目覚まし代わりに飲む。三角形(รูปสามเหลี่ยม)はどことなく安定感を与える。
 街を歩くと、旧い建物(ตึกเก่าๆ)の場合は、窓枠に三角の筋交いが新たに付け加えられているところが多々見られる。目白駅も筋交い補強工事に入った。次なる地震(แผ่นดินไหว)に備えてであろう。
 そう言えば、華道講師がいつも強調して指導される点がある。
「小原流では不等辺三角形に生けます」
 正三角形はすっきりとしていて、それはそれで美しい。だが、不等辺三角形(รูปสามเหลี่ยมที่ด้านข้างไม่เท่ากัน)の中にこそ美が潜んでいるということだ。どこかいびつなところにこそ自然の奥深さ、そして、人生に通じる示唆が隠されているというわけか。

寒天工房 讃岐屋 

一昨日、下落合駅近くの神田川沿いを散策していたら、「寒天工房 讃岐屋」という茶屋が目にとまった。食事を終えたばかりであったが、「讃岐」という文字にひかれて、店内に入った。寒かったので、ぜんざいを頼む。「少々、お時間がかかりますよ」と言われたので、店に置いてあるちらしを見て待つ。
 この店は創業大正三年(1914年)であった。したがって、もう101年が経っている。店主はおばあさん。
 そのおばあさんが工房の中からひょいと出て来たではないか。さっそく、私はたずねた。
 「あのー、讃岐屋というお店ですが、何故、讃岐ですか?」
 「わたし、香川からきたからです。50年前に」
 「わたしも50年前に、香川から東京に来ましたよ」、と私。
 その後は同郷人同士として、ものすごく気が合った。彼女はこのお店に嫁いで来たのであろう。
 私が彼女(76歳)に感心したのは、非常に丁寧な仕事をしていることであった。日本一の寒天造りに誠心誠意、邁進している姿に、私は学ぶものが多かった。

自ら積極的に勉強する生徒さん

昨日、個人レッスンの生徒さんが第2回目の授業を受けに来られた。彼女は発音矯正を希望しておられるので、タイ人講師と私で徹底的に直し、適切な助言を与えた。
 しかし、発音矯正もさることながら、タイ語力のバランスを保つため、「最後の10分間はタイ文字も書いてみましょうか」と勧めると、「書けます」、とのこと。
 本当かしらと思い、簡単な単語を書いてもらうと、いともスラスラ…。
 そこで、難易度を高めて、木曜日(วันพฤหัสบดี)、11月(เดือนพฤศจิกายน)、政府(รัฐบาล)、経済(เศรษฐกิจ)、大学(มหาวิทยาลัย)、博物館(พิพิธภัณฑ์)、等を列挙したが、これまた、全部、正しく書けた。お見事!
 タイ語の学習歴、わずか半年の生徒さんとは思われない語学センスの良さだ。
 彼女は言った。「文字でしたら、家でひたすら書いております。自分で勉強できます」

エプロン

 元生徒さんがデパートでエプロンを売っており、昨日が最終日だというので、買いに行った。品数が有り過ぎて選ぶ(เลือก)のに大変だった。
 エプロンを買いに来る人達は、主婦だけではなくて、おじさん達もいるとのこと。書道や絵画をやっている方達らしい。もしかすれば、日曜大工や園芸を楽しんでいるのかも….。
 エプロンという単語は、「ผ้ากันเปื่อน パーガンプアン」。この単語は、ผ้า(パー 布)+กัน(ガン 防ぐ)+เปื่อน(プアン 汚れる)から合成されている。
 この単語、日本人にとっては意外と発音(ออกเสียง)が難しい。有気音と無気音、そして、末子音の「n音」が入っているので、かなりの練習を要する。
 年末(สิ้นปี)に向けて、お好みのエプロンが有ると掃除(ทำความสะอาด)も楽しくなる。今から少しずつ部屋の掃除を始めれば、余裕で新年(ปีใหม่)を迎えられることであろう。

店? それとも 孫?

 先週、「タイ語中級」のクラスで、自由会話をしている時、Aさんが「ラーン…..」という単語から始めた。それを聞いて、私は何かのお店のことを話題にしていると思った。そのうち、「ターイ・ループ」という単語が聞こえてきたから、写真屋さんの話かなと想像した。
 しかし、Aさんの文章が文章としてまとまりを欠いていたので、一体、何の話かと尋ねたところ、「孫の七五三で、写真を撮った話です」と答えた。
 それを聞いて、「店 ร้าน raan 高声」ではなくて、「孫 หลาน laan 上声」と言いたかったことがわかった。
 「ラーン」と聞こえる単語は他にもいくつかある。「百万/禿げ頭 ล้าน laan 高声」、「洗う ล้าง laang 高声」、「下 ล่าง laang 下声」、等。
 長母音ではなくて、短母音の「ラン」もある。「~後 หลัง lang 上声」、「大きな音を立てる ลั่น lan 下声」、「巣 รัง rang 平声」、等。
 タイ語の単語は原則として、一音節が多いから、一つ一つの単語をしっかりと覚えなければならない、特に、似たような発音には要注意である。

英語で会話するタイ人達

昨日、清澄庭園を散策しようと思って、地下鉄半蔵門線の清澄白河駅へ行った。地上に出たところ、小奇麗な鮨店が目にとまったので、入ってみることにした。
 カウンターに外国人が4名座っていた。おしゃれな彼らを見てラテン系?、と私は思った。 しかし、彼らの話す言語は英語であった。だが、そのうち、タイ語が聞こえてきた。あれあれ? どうしてタイ語を話すのであろうか? どう見てもタイ人には見えない。まず、ヘアスタイルが違う。そして、顔の表情も態度もタイ人のものではなく、欧米で住んでいる雰囲気を持っていた。
 4名のうち、3名は60代。いかにも裕福そうな感じであった。精算を済ませると、「安い! ถูกมาก」とタイ語で言った。残る1名は若者。この若者はほとんど英語でしゃべっていた。アメリカに留学中なのかしら?
 彼らは急ぐ様子もなく、会話を楽しんでいた。私は帰り際に、彼らに話しかけた。
「観光ですか? มาเที่ยวหรือคะ」
 彼らは一瞬、驚いたが、「タイ語がわかるの? เข้าใจภาษาไทยหรือ」と私に言って、嬉しそうにした。

富岡八幡宮 と 伊能忠敬

 先週、仕事帰りに門前仲町の富岡八幡宮に寄ってみた。早めの七五三をしている幸せそうな家族(ครอบครัว)が写真を撮っている(ถ่ายรูป)。せっかくの記念写真に他人が入ってしまうのは気の毒だと思い、お参りは端っこのほうで済ませた。
 境内を歩いていると、「写真を撮ってくれませんか?」と言って、老人が昔懐かしい紙製の箱カメラを私に渡した。そのカメラのことを何て言っていたか、もう忘れた。そうだ、思い出した。バカチョンカメラだ。
 「九州から来ました。あそこに伊能忠敬の銅像が有ります。感激しました」と、彼。一人旅だそうだ。
 そう言われたので、私も銅像(รูปหล่อทองแดง)に近寄り、説明文を読んだ。伊能忠敬は全国へ測量に出かける時には、必ずといっていいほどこの富岡八幡宮にお参りをしてから出発し、そして、日本全国の地図(แผนที่)を作り上げたそうだ。それを知って、富岡八幡宮は挑戦のスタート地のように思われて来た。

医療通訳

 一昨日、生まれて初めて救急車(รถพยาบาล)に乗った。それは自分のことではなくて仕事のためであった。後部座席から外部の様子が運転席周辺を通して少しだけ垣間見られたが、車両がなかなかよけてくれず、そして、横断歩道の歩行者も平気で歩いているのを見て、やきもきした。
 大学病院では大勢の患者さんが待っている状態だ。しかし、急患だから、すぐに診察を受けることができた。医者は女医(นายแพทย์หญิง)。的確なる診断を下していくので、私も負けじとスピードを上げて通訳する。個人的に言えば、病院(โรงพยาบาล)とは距離を置きたい、すなわち、いつまでも健康でいたいと願っているが、仕事となると話は別である。
 通訳の仕事を通じて、これまでに都内のいろいろな病院へ行ったことがある。それはそれでいい経験(ประสบการณ์)だ。
 一昨日の患者さんは、最初に小さな病院へ運ばれたそうだが、その小さな病院にタイ語が話せる職員がいたとのこと。なんとすばらしいことであろうか! おそらくその方はタイが大好きで、こつこつとタイ語を勉強しておられるのであろう。