桜見物 弘前(3)

4月27日、5時起床。快晴。5時半に弘前城公園へ行く。すでに大勢の写真家が写真を撮っていた。天守閣近くでは岩木山に向かってラジオ体操が始まった。皆さん、長生きしそう…..。
 雪をいただく岩木山。実に美しい。じっと眺めていると山の稜線が棟方志功の版画の線に見えてきた。彼は岩木山の申し子だ。
 9時を回ると大勢の観光客がやって来た。この日は大安。白無垢のお嫁さん、豪華な打掛のお嫁さんが城内に現れる。さっそく元タイ人講師がシャッターを切る。堀には白鳥、そして、鴛鴦(おしどり)のつがいが仲良く泳ぐ。水芭蕉も咲いて、写真の材料にこと欠かない。彼女は大満足。
 午前10時42分、弘前を出て新青森へ。新幹線ホームの売店でお茶を買っていると、背後でタイ語。さっそく話しかけた。
 今回の旅で、タイ人達から「いつ来たの?」と必ず聞かれた。私は答える。「70年前」、と。
 そして、青森のおじさんから、「お母さん、日本語うまいね」とも言われた。これにはびっくり。

桜見物 弘前(2)

元タイ人講師はライトアップされた桜を写真に収めたいということで、夕方からまた弘前城公園へと出かけて行った。
 私は弘前の町散歩をした。太宰治や棟方志功が暮らした町の空気感を感じ取りたかったからである。泊まっている旅館のすぐそばに青森銀行弘前支店があった。道路の反対側に古本屋を見つけたので入ってみた。6時を過ぎていた。
 高齢の女性が一人、本の山の中で座っていた。私は尋ねた。「あのー、ここは何時までですか?」
 彼女は答えた。「6時ですが、かまいませんよ。ゆっくり見て行ってください。2階に住んでいますから」
 そこへご主人が現れた。私の家から早稲田の古書店が近いことを話すと、「五十嵐書店、御存知ですか? あそこの先代の店主は弘前出身ですよ。私は30年間、新宿の京王デパートの古書展に出店したんですよ」と感慨深げに話した。
 私は、『棟方志功』、『歓喜する棟方志功』、『津軽の文学と風土』、そして、『図夢つがる弁(津・和・英訳)』という本を購入した。

桜見物 弘前(1)

4月27日、弘前へ行った。元タイ人講師がどうしても行きたいというので、弘前でも泊まることになった。弘前には44年前に桜見物に行ったことがある。その時もタイ人と一緒であった。
 あいにくの雨。だが、弘前城内はいっぱいの観光客。あずまや(ศาลา)で軽食をとっていると、雨宿りの中国人が続々とやって来た。途端に中国語の大合唱だ。そして、彼らはりんごを食べ始めた。
 晴れていれば岩木山がよく見える場所まで行った。寒い。3枚も着込んでいるのに、そして、その上にレインコートをはおっているのに、体がどんどん冷えて行くのがわかった。
 そこでもタイ人達を多く見かけた。彼らはダウンを着ている。代わる代わる写真を撮り合っている彼らを、私はスマホで撮った。

桜見物 角館(2)

武家屋敷の枝垂れ桜を撮影した後、元タイ人講師と私は桧木内川沿いの桜並木へ行った。桜は8分咲きであった。しかし、多くの家族が弁当を広げ、実に楽しそうにしていた。土手に寝そべっている一組の夫婦はシルバー世代。第一線を退いた今、時間がたっぷりと有る。二人一緒に小さな幸せを味わっているようだ。
 そんな長閑な雰囲気の中、突然、ドドンとけたたましい音が鳴り響いた。数分前、元タイ人講師に朝鮮半島情勢の説明をしていた矢先だけに、これは北朝鮮の弾道ミサイルがいよいよ秋田県に着弾したのかと思ってしまった。
 すかさず近くの人に「あの音は何ですか?」と尋ねると、「ああ、あれは正午を知らせる音ですよ」と教えてくれた。地方ではいまだにそのような音で正午を知らせていることを知り、時代を感じた。

桜見物 角館(1)

4月25日(火)、北上駅から午前7時30分発のこまち号に乗った。たくさんの中国人観光客も同乗。角館には8時45分着。元タイ人講師が写真を撮るエネルギーを蓄えておきたいというので、タクシーで武家屋敷へ向かった。
 すでに大勢の観光客がごったがえしていた。枝垂れ桜を撮りまくる元講師から離れて、私は地酒の大吟醸の試飲をした。それから甘酒を飲みながら店先のベンチに座っていると、すぐそばに3台の脚立を立てたまま、何かをじっと待ち構えている一行がいるではないか。
 そんなところに元講師がやって来た。太陽が雲に隠れたのでちょっと休むと言いながら、隣りの一行も太陽光線を待っているのだと教えてくれた。彼らはタイから来た映画の撮影クルーであった。
 日照が確保されると撮影が始まった。チンピラ役の俳優は拳銃を構えるアクションを何度も繰り返した。主演の男優(ธนากร โปษยานนท์)は武家屋敷の黒塀の前に立った。背が高くて格好がいい。タマサート大学出身だから頭も良さそうだ。映画が完成しタイで上映されると、これで角館は一気に有名になるにちがいない。

桜見物 北上(3)

北上では、中国人が断トツで目立ったが、インドネシア人やフィリピン人の観光客も見かけた。屋台が居並ぶところでは、日本人とアジアからの人々が入り混じって、思い思いに土地の食べ物を楽しんでいる。東北の春にアジアの風…….。面白いコラボレーションだ!
 元タイ人講師はとにかく写真を撮ることに夢中。一方、私はといえば、アジアの人々に遠慮なく話しかけた。フィリピン人の花見弁当はパンとミートソース。「食べる?」と勧められた。
 ベンチに座って北上川を眺めている60歳位の女性がいたので、タイ語で話しかけたがキョトンとされた。そこで英語に切り替えると、香港から来たということがわかった。姉妹で旅行中とのこと。
 カメラに夢中なのは妹のほうであった。やがて妹も加わって、いろいろと話をした。「あなたの英語はすばらしい!」と褒めてくれた。褒められると嬉しいものだ。馬場の教室に戻れば、生徒のタイ語を褒めてあげなければと一瞬思った。だが、やめた。あくまでも辛口を押し通そう。

桜見物 北上(1)

4月24日(月)、元タイ人講師と一緒に北上の展勝地へ桜見物に行った。ホテルに荷物を預けて、午前11時過ぎに北上川の船着き場まで行くと、背後からタイ語がいっぱい聞こえて来た。さっそく話しかけたところ、気さくに答えてくれた。チャンタブリ県から来た観光客達であった。
 我々は同じ渡し船に乗り込んだ。「ナーオ、ナーオ(寒い 寒い)」と彼ら。救命胴衣をつけて船べりに並んで座っているタイ人達を私はスマホで写真に撮った。展勝地の桜並木で満足そうに歩くタイ人達。写真のポーズがきまっている!
 夜、泰日文化倶楽部の生徒さんに渡し船の写真をラインで送ると、彼女からすかさず返事が来た。
 「私の友達が写っています。びっくり。右から3人目のジュースを飲んでいる女性です」
 それを知って、私もびっくり。偶然とはこのことか。

桜見物 北上(2)

元タイ人講師はライトアップまでずっと展勝地にいたいと言い出した。しかし、北上川に吊り下げられた鯉のぼりがまるで龍の如くくねっていること、そして、陽がかげってくるとともにどんどん寒くなって来たので、一旦ホテルに帰ることにした。
 案の定、彼女は言った。「ライトアップに行くのやめたわ。風が強いから」。
 そこで、ホテル近辺の食堂で夕食をとることにした。最初に入った店は予約が入っているということで断られた。2軒目の店に行ってみると、昭和の匂いのする食事処であった。客はゼロ。寒いので、その店で我慢することにした。
 店主は声が出ない方であった。小さなホワイトボードを使って客と意思疎通だ。店に貼り紙がしてあった。「声が出ません。何でもつくります」
 料理は美味しかった。しかし、一人で切り盛りしているから、一品が出て来るのに30分もかかった。だから追加注文はあきらめた。「お客さん、来ないの?」と尋ねると、彼はボードに「これから」と書き、笑顔を見せた。生涯独身だそうだ。それは私も同じだから、二人一緒に記念写真を撮った。

元タイ人講師と旅行します!

4月24日(月)から、写真が得意な元タイ人講師(25年前)と一緒に北上へ桜見物に行きます。もしかすれば、角館まで行くかもしれません。帰京は26日(水)の夕方です。「水曜日19:30 タイ語入門」の授業には出席いたします。
 従いまして、ブログは3日間、お休みさせていただきます。

花の角度

今年1月までは「アジア女性のための生け花教室」と銘打って、泰日文化倶楽部が主催していたが、東南アジアの女性達の参加が無くなって来てしまったので、10周年を迎えたのを契機に辞めた。ところが、華道講師がどうしても東京で教えたいと申し出られたので、有志だけで存続することになった。
 昨日は、「皆さん、基本を忘れていると思いますから、基本に戻りましょう」という華道講師の号令で、ブルー・パフューム、ガーベラ、そして鳴子百合の三種の花材を生けた。
「主枝は直立、副枝は45度、客枝は60度に傾けてください」と言われても、なかなか感覚がつかめない。だが、その通りにすると、花と花の間に空間ができて、そこに葉を入れていくと、全体が緑でしまることがわかった。
 角度をつけて空間を生み出す。そこに新たなものをあしらう。勉強になった。