神田川日記(4)

私の隣りのベッドには87歳の女性が寝ていた。タンスを動かそうとして腰を痛めたそうだ。窓際に寝ていた女性はボランティア活動をしている女性であったが、私と入れ替わるようにしてすぐに転院して行かれた。すると、その日のうちに88歳のおばあちゃんが入って来られた。このおばあちゃんの家と私の家は近かった。彼女は高田1丁目、そして、私は高田2丁目。すると、白菜の葉っぱで滑った女性(79歳)が、「あら、私は高田3丁目よ」と言った。それから後、彼女は毎日のように、「高田1丁目、2丁目、3丁目」と連呼するようになった。
 この病院は神田川沿いにある。救急車が次から次にやって来て24時間、にぎやかだ。特に週末の夜中は急性アルコール症状になった若者達が運ばれて来る。だが彼らはすぐに退院して行く。長くいるのは高齢者ばかり。新宿区、豊島区、文京区の方達がお世話になっているようだ。

神田川日記(5)

回診に来られた若い医師に私は尋ねた。「ひびが入っていたそうですね」
 すると、医師は答えた。「ひび イコール 骨折です」
 それを聞いて、私は観念した。ギプスを巻いた老医師は、治療室でレントゲン画像を見ながら私に言ったのを思い出した。「あなたは以前にも骨折していますね。ほら、ここに古傷が残っていますよ」
 そう言われると、思い当たるふしが有った。50年前に大学でバレーボールの上に乗って転倒したことを。その時は捻挫だと思い、病院へは行かなかった。3ヶ月ほど難儀したが、自力で頑張った。だが、それが良くなかったわけである。なにごともプロにお願いすべきであることを猛省した。

神田川日記(6)

同じく骨折で入院している方達とおしゃべりすることが有った。バイクで転倒し右足の甲の骨を複雑骨折した男性は、最初、家の近くにある大病院へ行ったそうだが、骨折ごときでは入院させないということで、神田川沿いの病院にやって来られたそうだ。それを聞いた途端、私の病院選択は間違っていなかったと思った。
 私より1歳下の女性は高田馬場駅構内を歩いている時、一緒に歩いていた身内のカバンが向う脛に当たり骨折。転倒しなくても、骨折するんだなあ……。
 古い病院だから談話室が無い。お見舞いに来られる方達はベッド脇で患者と話をする。全部の話が聞こえてしまう。そこで私はお見舞いに来たいという方達にはお断りの返事をした。
 いずれにせよ、朝夕、神田川の流れを見ながら、長い人生を闘い抜いて来た老男老女達の終末期とその悲哀はまさしく「川の如し」であると感じ入った。

偶然の不思議

一昨日、泰日文化倶楽部のHPの「お問い合わせ欄」を通じて、KK氏という方からお問い合わせが有った。目下、バンコクにロングステイをしておられる元生徒さんと同じ名前なのでびっくりした。ただし、ファーストネームの漢字は違う。
 元生徒さんは月に1回、「バンコク便り」というものを送信して来られるが、偶然にも、やはりその便りが一昨日、届いた。
 ところで、クラスのことを知りたいというKK氏には、昨晩、教室までお越しいただいた。お顔を見ると、バンコクにおられるKK氏とよく似ておられるではないか。表情や首の振り方までもが似ていて、二度びっくり。
 「あのー、以前にお会いしたこと、有りませんか?」と、私はキツネに包まれたような気持ちで尋ねた。他人の空似とはいえ、不思議で不思議でならなかったから…..。

結婚式場で働く外国人

 昨日、椿山荘で挙行された元生徒さんの結婚式と披露宴に参列した。飲み物を運んで来る男性が、「ビールになさいますか? それとも、ワイン? ウーロン茶、オレンジジュースでしょうか?」というようなことを丁寧な態度と口調で言ったが、それを聞いて、日本語のアクセントが変だったので、アジアから来た男性であると思った。そう思って周囲のテーブルを見ると、やはりそのような方達を何人も見た。
 かつてタイ語を習っていた大学生が結婚式場でバイトをしていると聞いていたが、今や、アジアからの学生達に変わったのかもしれない。
 最近、コンビニで働く方達は外国人に切り替わってしまっているが、結婚式のメッカである椿山荘においてすら、人手不足の問題をかかえている…..。

受入れ準備

早朝、バンコクからライン送信が有った。来週からの私のタイ旅行をすべて企画してくださっている元タイ人講師が送って来たものであるが、いつもと違う時間帯に送って来たことに対して、「おや、なんだろう?」と思いながらラインを見た。写真は彼女が友達と一緒に王宮前広場で場所取りをしている光景であった。沿道から人がはみ出さないように、私の背丈以上の柵が張り巡らされている。15センチ間隔の隙間から儀式を見るかたちになりそうだ。喩えて言えば、上野の子パンダ(香香)が檻の中から外の様子を見ている感じ….。彼女の文面は以下の如くである。
 「ไปนอนรอข้างถนนตอนตีหนึ่งดูพิธีขบวนแห่ราชรถซึ่งจะมาตอนเจ็ดโมงเช้าค่ะ surveyไปดูไว้ให้อาจารย์จะได้ไม่พลาด
この文章はあまり難しくない。文法的な要素もたくさん含まれているから勉強になる。

勉強の工夫

私の編物の先生は、仕事部屋、リビング、そして、寝室の3ヶ所に編みかけのものを置いて、同時進行で3つの作品を編んでおられるそうである。1つだけを編んでいると、どうしても飽きがきて気分が乗らないので、飽きた時は場所を変えて違う作品を編むという工夫をしているというわけだ。
 それを聞いて、タイ語の勉強にもそういった工夫が必要だと思った。教室に通って来るだけでは上達は遅い。それに何か用事が有って休むと、勉強が2週間も空いてしまう。教室だけが勉強の場所ではない。自宅にいるのが一番長いわけだから、自宅の中を3ヶ所(ベッド、机、トイレ)に分けて、それぞれ違う教材を用意しておいて、気分を変えながら勉強してみてはどうだろう。

ラーマ9世の崩御から一年

去年の10月13日、授業から帰って来てテレビをつけた。しばらくして夜8時45分のNHKニュースが始まった。50分頃であった。ラーマ9世の崩御を知らせるテロップが流れた。「ああ、ついにその日が来た…..」と思いながら、あわててスマホで画面を撮った。
 翌日、呆然として過ごす。そして、バンコクへ行くことを決め、10月19日の飛行機を予約。21日にタイ国民に混じって、王宮に設けられた記帳場へ行き、記帳した。
 あれから一年。10月25日~26日に御葬儀が王宮前広場で行われる。元タイ人講師が王宮前広場から1キロ離れたホテルを数ヶ月前から予約してくれているので、私も参列するつもりだ。
 昨晩、彼女から電話がかかって来た。「黒い傘が必要です。靴もサンダルはだめ。ちゃんとした靴を履かなくてはなりません。25日は午前3時に起きて王宮前広場へ行きますが、翌26日までずっとそこに居続けます。先生、我慢できますか?」
 「行ってみないとわからないけど、とにかく頑張ってみます」と答えた。今から体力温存しなければ。

タイ人のハンコ(印)

昨夜、「タイ語初級 水曜日19:30」のクラスを担当するタイ人講師に書類を書いてもらった時、署名の横に印を捺してもらう必要があった。印が無ければ自署でもかまわないと思っていたが、ちゃんと持っておられた。日本に約3年半も留学しているから印を捺すことに対して慣れた様子であった。
 捺された印を見ると、カタカナで「カンパン」と書いてあった。それを見た生徒が言った。「日本では非常時に食べる乾パンですよ、その意味は」
 すると、先生はすかさず反論した。「いいえ、ちがいます。私の姓はคำแผ่นと書きます。คำは金、そして、แผ่นは薄い板。したがって、金の延べ板です」
 正しくは、「カムペン」と書いたほうがいいと思うが、日本人が聞くと「カンパン」に聞こえるので、ハンコ屋がそのようにつくったのであろう。

アジアからの留学生が多い高田馬場

昨日の午後一時過ぎ、教室の近くの郵便局に行くと、これまでに見たことがないほどの人が並んでいた。特に、2階にあるATMのコーナーへ通じる階段には1階までずらりと人が…..。よく見ると、周辺にある日本語学校に通っているアジアからの留学生だ。最近、ベトナム料理屋が増えて来ている。ベトナム人留学生が増えて来ている証拠だと言えよう。
 ところで、8月末にお茶の仲間が世田谷区から豊島区に引っ越して来られた。彼女は次のように語った。
 「豊島区役所へ住民届を出しに行ったら1時間半も待たされたわ。世田谷区役所だと20分もかからないですぐにやってくれるのに…..。豊島区って外国人が多いですね。区の職員達、きっと外国語が出来ないのよ。来日したばかりの留学生に書類の説明をするのにものすごく時間がかかっているし…..。書類が出来ても、日本式の読み方で名前を呼ぶものだから、書類を受け取る当人は何が何だかわからず、ただ待っているだけ」
 それを聞いて、私は思った。豊島区の職員達、頑張って中国語やベトナム語を習ってください。もちろん、タイ語も。