1.開始 2.開幕
3.開通 4.開発
5.開放 6.開会
7.開拓 8.開業
9.開祖 10.公開
11.展開 12.打開策
1.開始 2.開幕
3.開通 4.開発
5.開放 6.開会
7.開拓 8.開業
9.開祖 10.公開
11.展開 12.打開策
昨夜、個人レッスンに来られた女性が盛岡出身なので、授業の合間に岩手県の話題を振り向けてみた。そして、遠野から送られて来たばかりの年賀状をお見せした。遠野で高校の先生をしている元生徒さんがいることを自慢したかったからである。
元生徒さんは東日本大震災の時、陸前高田で被災している。命だけが助かった。奇跡に近い。何日かが経過して、彼とやっとつながった。被災後、彼の勤務先は岩手県内の内陸部となった。そして今は遠野市で教鞭をとっておられる。
毎年、年賀状には同じ添え書きが記されている。「まだタイの国歌は歌えますよ。ちゃんと暗記してますからね」 彼は朝日カルチャー藤沢教室の時の生徒だ。教室でタイ国歌を斉唱して聞かせてくれた。タイに留学した時の日々を、赴任地である遠野でも決して忘れてはいない。
今日から日本列島が本格的に始動します。といっても、元旦から働いておられる方達も多く、彼らを見て刺激を受けました。ゆるんだ頭と体には刺激が必要!
学習にも小気味いい刺激が有るといいなあと思います。教師からの刺激、仲間からの刺激、そして、通学途中で遭遇する諸々なる刺激、等々。
2025年の泰日文化倶楽部は、今晩、個人レッスンからスタートです。勉強する意欲がいっぱいの女性がやって来られます。楽しみです。
今日から1月5日までの1週間、年末年始のためブログを休筆します。
皆様、2025年も楽しくタイ語を勉強しましょう。
どうか良いお年をお迎えになられてください。
水回りのリフォームに際して業者が入って来たため、荷物を2つの部屋に押し込んだ。捨てる時間が無かったというよりも、溜め込むタイプなので致し方ない。問題は本。「そのうちいつか…..」と思って積ん読にしていた本も移動を余儀なくさせられた。移動させながら、その本を購入した時のことを思い出す。捨ててしまえば思い出も消失。よってまた仮置きする。
昨日、最後に残っていたエアコンを設置。電気屋さんに心からの謝意を述べた。そして、早速、『九十三齢春秋』(北林谷榮著 岩波書店 2004年)を読み始める。本の帯にはこう書いてある。「わたしは真っ直ぐに躰を保って、すっすっと歩を運ぶのが好きだ / 他者の心のなかに感銘として残る演技は滅多には生まれない。千にひとつか、万にひとつか」
何故だかわからないが、大先輩方の生き様を記した本が積ん読状態でたくさん待機している。やっと読む時間ができたということは有難い。時空を超えて、いろいろな人生を、多種多様な表現で知ることができるのは積ん読のおかげである。
『タイ国語教科書3年生』(พ.ศ.๒๕๒๑)の練習問題に提示されている短文から出題する。
๑. คนทำบาปจะได้รับคำสาปแช่งจากคนทั่วไป
๒. เมื่อมีสงคราม คนจะอพยพหนีไปอยู่ในที่ปลอดภัย
๓. คนโลภมากมักจะลาภหาย
๔. คนเกียจคร้านจะไม่มีความเจริญ
๕. ทหารต่อสู้กับข้าศึกอย่างกล้าหาญ
๖. ฉันไม่ทำความชั่ว
今日は御用納め。私には関係ない。じっと机を見る。今年、何をしたか? マンションのクリスマスツリーは早くも地下の倉庫に追いやられた。あとは門松の到来を待つのみ。時間だけが淡々と確実に過ぎていく。
「来年、妻の七回忌です」と言って来られた元生徒さん。3人のお子さん達の弁当作り。それに対する頑張りを心から褒めてあげた。「12月11日に母が亡くなりました」というA子さんには、「母親との別れは娘には特別にこたえるものです」と返信。「落ち着けば、またタイ語再開します」の言葉に安心した。
昨日、バンコク駐在のT氏から、「突然ですが、日本に帰ります。12月30日、新宿に行く用事が有るのでお会いしたいです」というメールが来た。二つ返事でOK。彼は明朗でよく笑う。話していて気持ちがいい。会うのは2年ぶり。バンコクの最新情報を聞くのが楽しみだ。
昨日、生徒さん達にLINEでクリスマス動画を送ったところ、皆さんからそれぞれの近況報告が有った。その中の一つに、「タイ語よりも英語が必要になりました」とY子さん(元生徒)。彼女は来年6月にアメリカのクリーブランドへ行って組紐のワークショップの講師をされるとのこと。
彼女にとっては初アメリカ。クリーブランドへ行ったことがある私はさっそく知っている情報を教えてあげた。そして、シカゴのオヘア国際空港での乗り継ぎに関しても教えてあげると、彼女は安堵を覚えたようである。
来年の6月なら今からでもまだ十分に時間が有る。毎日、少しずつ英語に親しめば、アメリカでのワークショップが有意義なものになること間違いなし。必要に迫られて勉強するのも、これまた可。グーグル先生に頼ることなく、真っ向から直で会話する心構えは外国語の勉強に於いて、基本中の基本である。
1.タイの国語教科書には、動物達が助け合う話がよく出てくる。例えばこうである。
2.冬の或る日、北の村に住んでいる犬が虎に噛まれて大出血をした。
3.そこで鼠達が船を貸し切って、南の村にいる熊のお医者さんのところに連れて行った。
4.治療を受けた犬は命をとりとめた。
5.道徳的な意味合いがあるが、この話の勉強のポイントは「ห」が使われている単語を覚えることである。
6.実例:犬、鼠、熊、冬、或る日(1日)、北、村、流れる、貸し切る、医者。
『頭をよくするちょっとした習慣術』(和田秀樹著 祥伝社 平成13年)の中に、「<語学に強い頭>にするための習慣術」という章が有る。和田氏の意見をかいつまむと以下の通りである。
①英会話学校に多額の授業料を支払い、週に何時間か費やすのならば、一日三〇分でいいから、英文を読む習慣をつけたほうがはるかに「語学力」は身につく。
②もし学校というものが有効であるならば、やはり「大人のための英語塾」というものができないといけない。単にネイティブスピーカーと日常会話をするだけではなく、それぞれのレベルに合わせた「読解問題」をさせ、英作文の添削をしてくれるような「読み書き」専門の語学学校の登場が望まれる。
これを読んで、我が泰日文化倶楽部は「大人のためのタイ語塾」であると確信した。和田氏は「会話力」を軽んじているわけではない。何に力を入れるかは、必要に応じて自分で考えればいいのである。要は語学の勉強を通して思考力を鍛え、外国の人と対等に意見を交わせる訓練を継続させることが肝要なり。