猛暑でもう思考停止の毎日である。体のすべての器官ももはや機能低下。これではいかん。喝!
そこで、いろいろな体の部位を使った表現を列挙する。タイ語に訳してみよう。直訳では駄目。言わんとする意味をくみとった上で書くこと。
1.頭が切れる人
2.目が点になる
3.耳学問
4.鼻にかける
5.口はわざわいの元
6.首が回らなくて、ついに倒産
7.心臓に毛がはえている
8.腹にすえかねる
9.ケツの穴の小さい社長
10.手足となって働く
猛暑でもう思考停止の毎日である。体のすべての器官ももはや機能低下。これではいかん。喝!
そこで、いろいろな体の部位を使った表現を列挙する。タイ語に訳してみよう。直訳では駄目。言わんとする意味をくみとった上で書くこと。
1.頭が切れる人
2.目が点になる
3.耳学問
4.鼻にかける
5.口はわざわいの元
6.首が回らなくて、ついに倒産
7.心臓に毛がはえている
8.腹にすえかねる
9.ケツの穴の小さい社長
10.手足となって働く
最近、そろそろ本を整理しなければと思い、もう読まないであろうと思う本を徐々に捨てることにした。昨日、『天の夕顔』(中河与一著 新潮文庫 2003年)を手に取った時、これは捨てられないと思い、再読開始。
著者の中河与一(1897-1994)は香川県生まれ。旧制丸亀中学から早稲田大学英文科に進学(後、退学)。余談だが、父は1学年下なので、彼を知っていると言っていた。そして私も後輩。
同じく香川県出身の菊池寛が『文藝春秋』を創刊した時に、横光利一、川端康成(1899-1972)と一緒に小説を発表。
解説者に拠れば、『天の夕顔』は昭和13年(1938年)に発表され、以来、大東亜戦争中から戦後にわたって、おおよそ45万部が売れたそうである。
恋愛小説だと思えばそれまでだが、世の中がすべてのんびりしていた時代の男女の心の機微を描写しており、自分に正直なあまり苦悶する登場人物が、読後、さわやかな偶像絵となって残った。日本の浪漫主義文学を見直したい。
昨日、浜松市が日本一暑い気温(40.9度)に達したニュースが、テレビで何度も繰り返された。天竜区に船明という地名が有るのを初めて知った。読み方が<ふなぎら>とは! とても読めない。
町の由来を調べてみたが、船明ダムが有るということだけ書いてあった。
「明」という漢字はいろいろな読み方が有り、明るい、明日、明治、明けの明星、くらいまでなら慣れ親しんでいる。だが、どうして、<ぎら>になるのであろうか? キラキラ輝くのキラから来ているのかしら?
「松明 たいまつ」という単語が有る。これまた、知らないと読めない。調べてみると、「焚松 たきまつ」から由来していることが判明。「焚松」から「松明」への漢字転換は、古の人々の風流を貴ぶ心から来ているということにしよう。
昨日、積読していた本の中から『夢をかなえるゾウ』(水野敬也著 飛鳥新書 2011年』を読んだ。ゾウの話かと思って買っておいたのだと思う。しかし、内容はガネーシャを介しての成功ノウハウ本であった。傑作だったのは、ガネーシャが関西弁で喋ることであった。
著者は言いたいことを巻末に「ガネーシャ名言集」としてまとめてある。その中の10項目をピックアップするから、タイ語に訳してみよう。
1.靴をみがく。2.コンビニでお釣りを募金する。
3.食事を腹八分におさえる。4.会った人を笑わせる。
5.トイレ掃除をする。 6.その日頑張れた自分をホメる。
7. 一日何かをやめてみる。
8.決めたことを続けるための環境をつくる。
9.毎朝、全身鏡を見て身なりを整える。
10.やらずに後悔していることを今日から始める。
今日は終戦から75年。戦後生まれの私には悲惨な経験が無いから戦争のことを語る資格はない。戦争のことを勉強したわけでもなく、なんだか安穏と生きて来た気がする。だが、戦後50年から75年の25年間は特に早く過ぎ去った気がする。世の中の動きが国内外を問わず、あまりにも目まぐるしすぎるからだ。
昨日、『オキナワと少年』(伊佐千尋著 講談社 2006年)を読んだ。表紙につけられた本の帯には次のように書かれてあった。
ー 命(ぬち)どぅ宝、生きていてこそ。 沖縄の戦前、戦中、戦後を駆け抜けた少年仁(まさし)の切なくも希望に満ちた清新な物語。
ー 1941年 仁はおない年の信とガジュマルやデイゴの花に囲まれた野山へ昆虫採集に出かけた。サファイヤ・ブルーの海を眺めているだけで毎日が楽しかった。
ー 1945年 米軍はガソリンを壕の入り口から流し込み、火炎放射器を使って火の海にした。だが外へ出れば迫撃砲の集中攻撃が待っている。
著者の伊佐氏は2018年に逝去されている。ご自身の体験から書き残された文章には全く虚飾が見られなかった。
昨日、ドイツ在住の友人から熱暑見舞いのメールが届いた。
「夏休暇にスペイン、ポルトガルの島でどんちゃん騒ぎをした連中が帰国し、今2週間後に発病という最悪の状態です。政府の強い規制がないため、このような連中が戻り、コロナ菌を撒き散らしているということは、真面目にコロナ対策を励行し自粛している人々にとって実に許せぬ行為です。まあ、何処の国にも居る輩ですが」
これを読んで、友人(70歳代後半)の気持ちがよくわかった。ドイツも同じなんだ…. 。
それにしても、家で自粛し、読書ばかりしていても退屈至極。かと言って、この猛暑では外出は無理。コロナ禍が始まってすでに半年以上が経過した。焦りは禁物だが、なんとか有意義に過ごしたいものだ。
先日、ふらりと入った早稲田の古本屋のご主人は古本のほこりをはたき、黙々と頑張っておられた。創業は1966年。ご主人は63歳位。どうやら2代目らしい。コロナも猛暑も超えて、一筋の道を行く姿が印象的であった。
以下の単語を自力で書いてみましょう。辞書で調べるのは、答え合わせの時だけにしてください。
1. 泣く笑う 微笑む
2. 解体する建設する 修理する
3. 借りる 貸す(無利子)融資する
4. 助ける 援助する 支援する
5. お金を預けるお金をおろす お金を隠す
6. 無視する注目する
7. 否定する同意する
8. 拘束される 釈放される
昨日、大津在住の従姉にラインで暑中見舞いを伝えた。その際、丸亀の実家に残してある庭石を丸亀城の石垣の修復に供出することを知らせると、彼女から次なる返事が来た。
「実は去年の暮れに丸亀城の石垣修理については、穴太衆親方の奥さんから聞いていました。穴太衆は、大津の坂本にある城の石垣造りの集団です。もう何百年も代々受け継がれ、私の知人の家も10何代も続いています。彼女から主人は今、弘前城の石垣修理に行っているが、次は丸亀城に行く予定だと聞いていました。その穴太衆に敬子さんの家の石が使われるとは驚き! これから何百年も~ 本当に嬉しいです」
私は早速、「穴太衆」をネットで調べ、貴重なる知識をたくさん得た。最近は海外からも石垣を造ってほしいという仕事が舞い込むとのこと。悠久なる歴史は石垣で守られる…..。
この話を、目下、リモートワークのため大津に帰っておられる生徒さんに知らせると、「僕の家はその穴太衆がある隣りの町に在ります。話がみんな、繋がっていますね」と言ってくださった。
もう一年以上、個人レッスンに通って来られている女性がおられる。
私は彼女に言った。「8月はご自由にお休みしてかまいませんよ。レッスン代もばかになりませんから」
「大丈夫です」と、彼女はきっぱりと答えた。
「ところで、あなたのストレス解消法は何ですか?」と私は尋ねた。
「タイ語の勉強です!」 彼女は一段と高い声で答えた。
それを聞いて、私は嬉しくなった。彼女の熱意に応えてあげなければ!
ひるがえって、自分のストレス解消法は何かと自問した。
「タイ語を教えている時が一番楽しい。それがすなわちストレス解消になっている」
タイ語を習う生徒とタイ語を教える教師が、共にタイ語という媒体でストレスを解消し、二人とも歓びを感じる90分間。得難い時間だ。
昨日、教室の近くにある和菓子店へ行った。そこはアトム君がこぶしを盛り上げている看板を店頭に置いてある。何故ならば、昔、道路を隔てた反対側のビルに手塚治虫さんのスタジオが有ったからだ。
店内に入ると、<90周年記念のどら焼き>というのが目に飛び込んできた。「これは縁起がいい。是非買わないと」と、思った。
「あと、何年で百周年ですか?」と、私は店主に尋ねた。
「あと、5年です。しかし、さあ、どうですかねえ。お菓子、売れないんですよ」と、店主。
それを聞いて、コロナが影響しているからという方向に、私は話を持って行きたくはなかった。だが、コロナ禍で茶道教室もお稽古がストップしているから、お店の気持ちは痛々しいまでによくわかる。
昨日の朝、鮫洲からお花を運んで来てくださった花店の店員とやはり会話をした。学校が休みなので花がさばけないとのこと。しかし、皇室にもお花を届けているその花店の彼は謙虚に言った。「こうして少しでもお花を買っていただき、本当に助かります」、